見出し画像

【理事長への公開質問状】国立精神・神経医療研究センター病院「高度先駆的医療」の実態、一体何事ですか?



ピュリッツァーが決断した潜入取材

    ネリー・ブライというアメリカ人女性の名をご存じでしょうか? 
 彼女の伝記に『世界最初の婦人記者 ネリー・ブライ』※1があります。このサブタイトルは事実ではないのですが、このように称されたのも不思議なことではありません。
    ネリー・ブライ(本名エリザベス・ジェーン・コクラン)は、世界初の女性スター記者であり、「男性と同様に働く女性の能力と権利」を世に知らしめた先駆者のひとりでした。
 一八六四年生まれの彼女は、高学歴の人ではありません。彼女は十五歳で学業を断念し、母の離婚により貧窮に陥った一家の生計を支えるために、さまざまな仕事で働きました。離婚の原因はネリーの継父よる母に対するDV(ドメスティック・バイオレンス)でした。この経験から、彼女は経済的自立を志したのです。
    ジャーナリズムの世界に入ったのは二十歳の頃でした。ネリー・ブライの名を全米に轟かせたのは、彼女が二十三歳のとき、病者を装って精神病院で潜入取材を行ない、その患者虐待の実態を告発した記事です。この大胆な企画にゴーサインを出したのが、ニューヨークの「ワールド」紙社長ジョゼフ・ピューリッツアーでした。かの「ピューリッツァー賞」とは、この人の名を冠したものです。ちなみにこのときの編集局長は、南北戦争の経験者でした。
    その後ネリーは華々しい活躍を重ねます。
     彼女のペンネームは記事末尾の署名だけではなく、大見出しにも記されることとなりました。「ネリー・ブライ空を飛ぶ」「ネリー・ブライ催眠術師になる」「ネリー・ブライ囚人になる」…といったふうに。ネリーは新聞記者の枠を越えた国民的な人気者になったのです。このようなネリーの成功は、彼女が美貌の人であったことと無関係ではない、と私は思います。

たしかに美人です


 全国婦人参政権協会会長と会ったときには、ネリーは会のあり方に対する異論を直言しました。
「女性が成功しようと思うなら、女として世に出て行かねばなりません。できるだけ美しく魅力的でいなければ」と。※2
 ネリーは三十歳のとき、七十歳の富豪と結婚します。九年後に死別し、夫の事業を意欲的に引き継いだのですが、経営に失敗し、莫大な負債を抱えて破産してしまいました。その後記者として復帰しましたが、かつての盛名を取り戻すことはなく、肺炎により五十七歳で死去しました。
    先にネリーの生年を記しましたが、それが明らかになったのは、彼女の没後のことです。ネリーが実際より若く年齢を詐称していたからでした。
 ネリー・ブライの生涯が私たちに示唆するものは、今日なお数多くある、と思います。

※1 アイリス・ノーブル著、佐藤亮一訳、『世界の人間像 3』(角川書店一九五六年刊 所収/原題    NELLIE BLY, First Woman Reporter)

※2 『ヴェルヌの「八十日間世界一周」に挑む 4万5千キロを競った二人の女性記者』(マシュー・グッドマン著、金原瑞人・井上里訳、柏書房二〇一三年刊)七〇ページ  

ネリーの告発と同じことが二一世紀の日本で

 ある精神科病院の実態を記します。
 その病院では、冬期に、ある患者が、掛け布団一枚では寒さに耐えられないので、かぶるものがもっと欲しいと訴えたのですが、そんなものはないと拒絶して済ませされてしまいました。
 その後、患者はおそらく高熱を発したためでしょう、大量に発汗し、シーツもかけ布団もびしょ濡れになってしまいました。
 翌朝、患者は当然シーツと布団の交換を看護師に求めたのですが、「それは決った曜日にしかしない」との理由でこれも拒まれました。
「とにかくこのままでは気持ち悪くて眠れない」と再度訴えたのですが、看護師は同じ言葉を繰り返すだけでした。そのために、ただでさえ睡眠に顕著な障害のあった患者は、数日の間多量の水分を含んだ床で寝ることを強いられたのです。なお、その患者は高熱こそ治まったものの、微熱が続いていました。
 その病棟では、就寝・消灯時刻前に十二~十五人ほどの患者が、看護師の詰所の前に列を成していました。看護師から処方薬を受け取るためです。詰所から二メートル半ほど後方に、食卓となる長テーブルがあるのですが、そこに座って呑むことは許されません。薬は看護師の目の前で(監視下で)吞まねばならないからです。看護師は椅子に座った状態で、患者は立ったままで受け渡しが行なわれます。  
   すると患者の掌から薬が床にこぼれ落ちてしまうことがあるのです。患者には視力に難のある人もいます。手が震える症状の人もいます。そうでなくとも何かの拍子に落してしまうのは、あり得ることです。
 その床は、誰もが土足で歩き回っています。患者も看護師も医師もその他の職員も、そして遠くの自宅から訪れる面会人たちも。
   そのような床に落ちた薬を、患者は自分で拾って口に含み、呑み下してしまうのです。それは強要によるものです。「看護師の目の前で吞ませる」こと自体がすでに強要でした。
    先の患者は、約四カ月の入院中に、そうした事例を三つ知りました。二つは目撃したものであり、後のひとつは自分自身が拾って呑み下したものです。それは、「ごく希れな事例」では決してありませんでした。
 掌からこぼれ落ちてしまうような薬は、もちろん大きなものではありません。床に落ちたそれを服薬しても、おそらく健康被害はないのでしょう。しかし、例えばそのような床を舌先でほんの少し舐めたとしても、やはり同様に健康被害はないはずです。
 「誰もが土足で歩き回っている床」に落ちた薬の服用嚥下を強要することなど、あって良いはずがありません。それは、舌で床を舐めさせる行為と、どこが違うと言うのでしょう。人が人に対してなし得る最大限の侮辱ではありませんか。
 ここまで読まれた読者は、ネリー・ブライが潜入した一九世紀アメリカの精神病院は、何というひどい患者虐待を行なっていたのか、と思われたのではありませんか。
 しかし冒頭の三行を除いて、ネリーの記事に記されていることではありません。
 上の記述は、冒頭の三行をも含めて、すべて日本の精神科病院で起きたことなのです。「ある患者」とは、私です。
 冒頭の三行について言えば、ネリーが告発した内容と同じことが、現代のわが国の精神科病院で生じていたのです。一九世紀でも二〇世紀でもない、二一世紀の日本で(今日日本に精神科病院はありますが、「精神病院」はひとつも存在しません)。
 その病院の名が、国立精神・神経医療研究センター病院(東京都小平市)です(以下センター病院と略記します。研究機関のみを意味する場合は「センター」と略記)。
 なお、上の記述には意図的に省略したことがあります。


エラソーな冷血看護師のデタラメな仕事

 すでに記したとおり、かぶるものが足りなかった私は、ベッドの中で寒くてたまらず、全身を悪寒で震わせました。これで高熱を生じたのでしょう。耐えきれなくなった私はナースコールをしました。
 精神科に限らずあらゆる病院の入院患者にとって、「ナースコール」とは、文字どおり「看護師さんを呼ぶ信号」です。それは、まず常識と言って良いでしょう。
 ところがセンター病院ではナースコールをしても看護師が来ようとしないし、実際に来ない。来ることが絶対にあり得ない、とは言いきれませんが、私の場合はそうでした。
 ただし、コールするとインターフォンによる会話での対応はしましたが、それさえもが、これから述べるとおりの酷いものだったのです。
 インターフォンから発せられた看護師の第一声は、こうでした。
「何?」
 ナースコールされた看護師さんは、(病室に来なかったことは置いといて)まず「どうしましたか?」と訊くものでしょ。これも常識ですね。ところがセンター病院の看護師は、社会人としての普通の話し方すら知らないのです。けれどもそんなことにムカつくどころではなかった私は、寒気が耐えられないので何とかしてください、と懸命に訴えました。
 すると返ってきた言葉は。
「じゃあ暖房入れて温度上げるわね」
 と言うものでした(よっぽど丁寧語を使うことが嫌いな女性なのですね、この人の言葉遣いについてはのちにまたふれます)。
 私は、初めて自分がいる個室に温度調節がまったくなされていないことと、そのコントロールが看護師詰所でできることを知りました。この時点になって初めて。
 センター病院への入院時から、私には微熱があり、そのことは、食事(それは食堂=ホールで他の入院患者たちと一緒にとっていました)のときなどにも看護師たちに訴えていたのです。つけ加えますと、このとき私は全身が酷く衰弱しており、慢性的な極度の睡眠不足もあって、思考力も気力も鈍りきった状態でした。
 ここに記しているのは入院初日の話ではなく、(何日だったか正確にはおぼえていないのですが)数日寒々とした部屋に放置されたののちのことです。これじゃあ熱も上がるわけだ。ひどい話でしょ。
 なぜ先の記述で私がこのことを省いたか、もうお分かりですね。これを書くと「一九世紀の話じゃないだろ」とバレてしまうからです。
 私の個室はたちまち温かくなりました(これもトンデモないことだったのです。理由はすぐに分かります)。睡眠障害のために鎮静系の薬を処方されており、全身が弱りきっていた私は、ほどなく眠りに落ちました。


患者虐待を平然と行なうセンター病院

 それからどのくらい経ったのか定かではありませんが、大した時間は過ぎていません。私はとんでもない寝苦しさを感じて目をさましてしまいました。とにかく暑い。暑くて暑くて眠ってなどいられない。気づくと全身汗びっしょりでした。
 要するに、対応した看護師さんは、「寒いのだったら暑くすれば良いんでしょ」てな調子でイキナリめちゃくちゃに温度を上げてしまったわけです。乱暴とか粗雑という言葉は、こうした仕事ぶりを表すためにあるようなもんです。
 たまらなくなった私はまたナースコールしました。しかしやはり看護師は来ようとせず、スピーカーを通じてのやりとりに終始することとなりました。
 このとき私は、自分が何を言ったのか、正確にはおぼえていません。鎮静系の薬の作用で(それと体力の衰弱もあって)意識が半ば朦朧(もうろう)としていたからです。薬の作用がどんなものかと言うと、正確には違うのですが、意識のぼやけ、判断力の著しい低下、回らないろれつ、といった点からすると「酒に酔っ払った状態」に似たものですね。
 しかし、「暑くて我慢できない」「何とかして欲しい」という意味のことは、間違いなく伝えたと思います。そうした状態での言葉のやり取りは、そのときの私に取ってとてもしんどいくらいの長さで続いたことは、おぼえています。また、最後に交わした言葉は、ここに記すことができます。それは、こうでした。
 看護師「じゃあ、暖房、切るわね」
 私(かすれきったか細い声で)「き、切って…ください」
このとき私は、暖房を適温にしてください、と言うべきだったのですが、それが何度かなんて判断はできるはずがありません。今が何度なのかも知らないんだから。
 たちどころに室温は下がり、薬の作用もあって、私は再び眠りに落ちました。しかし睡眠障害が著しかった私は、起床時刻よりずっと早く、十分な睡眠など取れるはずもなく目をさましました。このときベッドの中はびしょ濡れでしたが、高熱は大量の発汗のためか下がっていました。しかし、微熱はなお二週間くらい続いたのです。
 そんな私の、シーツや布団の交換の要求を、すでに記したとおり、この病棟は、「それは決った曜日にしかしていない」との理由で、にべもなくはねつけてしまったわけです。
 これは凄まじい患者虐待です。
 だってそうでしょう。日本中のどんな安ホテルだって、そんなバカなこと、あるわけないではありませんか。
 センター病院は果たして「病院」なのですか。それでも「医療」を行なう施設なのですか。      
 そもそも私が二度目のナースコールをしたとき、看護師がいくら鈍い人だったとしても、私が。
①暑さに苦しんでいること。
②言葉もとぎれとぎれで心身ともにとても弱っていること。
③自分の意志をうまく伝えられないこと。
 には、ハッキリと気がついたはずです。それでも様子を見に来ようともしない。直(じか)に言葉を交わそうとしない。一体何のための看護師なのですか。
 お分かりのとおり、私は、高熱の原因となった、冬期(一月)の外気温とさほど変わらぬ寒さに戻された病室(当初は個室でした)内の、めちゃめちゃに湿ったベッドの中で朝を迎えたわけです。
 再び高熱を発したとしてもおかしくありません。肺炎になったとしても。と言うよりも、そうならなかったほうが不思議です。多分運が良かったんでしょう。
 しかし患者の健康を「運」にゆだねて済まされるものなら、医師も看護師も要りませんよね。
 私に対応した看護師さんの言葉遣いは既述のとおりです。テレビドラマにも「性格の悪い看護師」が描かれるのはよくあることですが、患者に対して彼女のような口の利き方をするキャラクターは(少なくとも現代物には)登場しません。視聴者に、あり得なさ過ぎてリアリティに欠けると思われてしまうからです。そのような信じ難い患者対応があたり前のように行なわれていたのは、精神障害者を端(はな)から人間扱いしていなかった、センター病院の体質を露呈するものに外なりません。
 センター病院に入院するまで、東京医科大学附属病院救急救命センターに入院していた私には、ハッキリ申し上げられます。そこでは患者を人間として扱っていました。患者の健康を気遣っていました。センター病院は人間扱いをせず、健康を気遣っていません…って、一体どんな「病院」なんだよ。

上から目線の、センター病院理事長のもの言い

 メンタル・ヘルスに多少なりとも関心をお持ちの方ならば、センター病院の名はご存じの事と思います。
 朝日新聞、読売新聞、毎日新聞や週刊文春といった大手メディアは、しばしばセンター病院の医師にコメントや寄稿を求めています(毎日新聞ウェブサイト医療プレミア特集「薬物『ダメ。ゼッタイ』は嘘 治療の第一人者が明かす依存症の本質」二〇二二年六月一六日「センター」薬物依存研究部長松本俊彦さんのコメントほか)。
 この病院は「高度専門医療に関する研究等を行う独立行政法人に関する法律」に基づいて設立されている国立研究開発法人です。同法により設立されているのは、他に国立がん研究センターなど五法人があるのみです。そのすべてに研究機関と病院が置かれています。もちろん精神科病院はセンター病院しかありません。法律に「高度専門医療」なんて書かれている病院なんですよ。凄いですねー(笑)
 センターの基本理念について、センター病院理事長・総長の中込和幸さんはこのように述べています。
「病院と研究所が一体となり、精神疾患、神経疾患、筋疾患、及び発達障害の克服を目指した研究開発を行い、その成果をもとに高度先駆的医療を提供するとともに、全国への普及を図ること」であると(令和三年四月)。

「センター病院で行なっている医療を全国に普及したい」とおっしゃる中込和幸さん。
そんなことをされたら日本じゅうの患者たちがめちゃめちゃ迷惑します


 お分かりですね。全国の精神科、神経科等の医師たちに対して、完全に「上から目線」でのエラソーな物言いをしていらっしゃいます。
 しかし、このお言葉のつい一年前に、センター病院の入院患者であった私は問いたい。中込さんのおっしゃる「高度先駆的医療」とは、一体何なのですか、と。

医師の権威絶対化のために隠された法律条文

 私は令和二年四月一日にセンター病院に任意入院しました(それ以前には同院に「医療保護入院」していたのですが、そのことについての記述は割愛します)。
「任意入院」という言葉は、一般の方には耳慣れないものでしょう。この概念は、あらゆる病院の中で、精神科病院にしか存在しません。これは、文字どおり自由意志によって「入院したいな」と思ったから入院する人のことを定めた法的概念です。ですから「出たいな」と思ったら、いつでも退院できるのです(ただし時限的な例外規定はあります)。それが、わが国の法律が明確に記している、任意入院についての規定です。
 骨折や潰瘍や結核で入院した人たちには、こんな規定は不要ですし、そもそも「好きなときに退院できる権利」など、与えられたりしても、当の患者はとまどうだけですよね。
 何のためにこのような規定が存在するのでしょうか。
 それは、(第一義的には)患者の人権を尊重するためです『四訂 精神保健福祉法詳解』精神保健福祉研究会・監修/中央法規214ページ、監修者の精神保健福祉研究会なる団体は実在せず、その実体は厚生労働省の担当課です)。
 言い換えれば、このような規定を設けておかなければ、患者の人権が尊重されない事態(=人権侵害)も起こり得る、精神科の入院治療とはそのような危険性をはらんだものである、ということになります。実際に、世界的に見ても精神病院の歴史においては、ネリー・ブライが告発したような人権侵害が数限りなく繰り返されてきましたから。しかしながら、センター病院入院経験者である私に言わせれば、規定があったって平気で行なわれていました、人権侵害(「土足で歩く床に落ちた薬の服用を強要」するなど、ハッキリ申し上げればもはや人権蹂躙です)。
 さらに言えば、そんなこと言ってる厚生労働省からして、精神障害者の人権を本気で尊重する意志など端(はな)から持ち合わせず、任意入院を事実上任意入院ではなくしてしまう(「出たいな」と思ってもそう言い出せなくしてしまう)卑劣でインチキな小細工(後述する文書「入院(任意入院)に際してお知らせ」のことです)を弄しており、センター病院もその言いなりになっていたのですから、患者のほうはたまったものではありません(その詳細につきましては本文末をクリックされてください)。
 そうすることで、医師の権威を絶対化し、好き勝手に患者たちを服従させたい。それがこの人たち(厚生労働省担当課およびセンター病院)の本音です。医師にだって不誠実な人間はいます。誠実な医師だって誤りを犯すことはあります。ですから、現行の法律は医師もまた人間であり不完全であることを前提として、医師や医師たちの管理者に対して、好き勝手なことはできないように、シバリをかけているのです(その現行法さえもが、とんでもない欠陥だらけで、明らかに人権侵害を常態化するものなのですが、そのことはここでは論じません)。
 ところが、現行法の規定を正しく知らせると、「医師もまた法によってシバラレる存在である」≒「医師もまた不完全な人間である」という当然の事実を患者が意識してしまいます(するのがあたり前なんだけど)。
 厚生労働省が作った「入院(任意入院)に際してのお知らせ」という文書は、患者たちにそうしたアタリマエのことを徹底的に隠すことによって、医師は何ものにもシバラレることなく恣意的(=好き勝手)に患者を支配することができる、とする、悪質きわまりない、そして驚くべきことに明白に違法なしろものです。

これが厚生労働省が作ったインチキ文書! どう「インチキ」
なのかは本文末をクリックされればお分かりになります


 センター病院もまた、そんなフザケタしろもので「お知らせ」することによって、任意入院患者たちを騙してきたのです。
 端からそんな料簡なのですから、入院中に私の主治医となった能力の素晴らしさに疑問符がつくお方なんか、そりゃもうエラソーにエバってました。    そして法律では許されていない(=してはならない)強制を、平気で私に課していました。好き勝手な自己判断によって。
 具体的なことをひとつ言うと、私が衰えきった体力の回復のためにスクワットをしたら、看護師を通じて「変なことしないでエアロバイクをこげ」と伝えてきたのです。
 まったく、医師免許はもっていても、何て無知なお方なんでしょ。

筆者(64)近影(5月16日撮影)。20歳の頃からいろいろやってきた私は、
フィジカル・トレーニングについてなら、そこいらのへっぽこな藪医者よりも良く
知っています。私は病棟で主治医となられたお方が「へっぼこ」とか「藪医者」
だなんて失礼なことは申しておりません。良医ではなく頭悪かったことは確かだけど

 それにちゃんと法律読んで、守ってね。
 法律には、「精神科病院の管理者は、入院中の者につき、その医療又は保護に欠く事のできない限度において、その行動について必要な制限を行うことができる。」とあります。
 すなわち、どのような制限であれ、医師に判断を下す権限などないのです。それは管理者の仕事。それが法律の規定です。
 
「入院(任意入院)に際してのお知らせ」では、5項で

あなたの入院中、治療上どうしても必要な場合には、あなたの行動を制限することがあります。

とされています。お分かりのとおりこの文では「制限するのは誰なのか」という、法律に明記されているポイントを完全に隠蔽しています。どこまでもデタラメでお粗末な、患者を舐め切った文書。それが 「入院(任意入院)に際してのお知らせ」です。繰り返しますが、作ったのは厚生労働省です。
 

精神疾患の病名はプライバシーではない?

 私が入院したセンター病院の病棟では、医師による問診や病名の告知が平然と相部屋の病室や廊下で行なわれていました。それらは「立ち話」です。
 私自身、主治医から「平成三〇年九月(つまりこのヒトがリアルタイムではまったく診察していない当時に)鬱病(うつびょう)を発症した」と、相部屋の病室(このときは個室から移っていました)で告知を受けました。
 しかもこの告知はとんでもない大間違いなのですのです(すなわち「誤診」ですね)。という根拠は、私の主観だけではありません。リアルタイムで診察されていた(私が信頼申し上げている)センター病院外来の先生も、そのような判断をされてはいないのです。真面目にお仕事なさってね。
「三分診療」という言葉があります。精神科に限らず広く病院一般の診察の慌(あわただ)しさを誇張気味に揶揄(やゆ)したものだと思いますが、ここで行なわれていたのは、驚くべきことに文字どおりの「三〇秒問診」や「一分問診」でした(一五秒問診なんてこともフツーにありました)
 診察室はもちろんあるのですが、そこでの診察はむしろ例外で、右のような「立ち話」で済まされるほうが常態だったと言いきれます。   
 現に私は、任意入院してから退院前日までの一ヵ月以上の間、一度も診察室に入ったことはありません。
 それは私に限ったことではありません。センター病院は、明らかに入院患者の病名や病状に秘匿性などまったくない(つまり他の患者に何を聞かれても良い)、と考えているわけです。
 そんなお考えは、「病院」「精神科」といったくくりとは無関係に、社会のあらゆる場において、めちゃくちゃな非常識と言うほかありません。(「病院」「精神科」という場や特性に照らせば…もはやあきれ果てて言うべき言葉を知りません)。
 患者側から医師に聞いてもらいたい悩みがあっても(容易にご理解いただけると思うのですが、精神疾患患者の多くはそんな悩みを抱えています)、こんな状態でのやりとりでは、重要な話はもちろん、微妙な話だってできやしません。あたり前ではないですか(現在の私の率直な実感を言えば、私の主治医となったお方の場合、そんな話をしても何の役にも立たない〇〇だったわけですが、まあそんなこと言ったってしょうがないか)。

中込理事長に、質します(ちゃんと答えてね)


 精神科病院という場を離れて一般常識で考えれば分かることですが、全然腰のすわらないこんな雑なやりとりでは、例えば、小学校の教師が児童から信頼を得ることだって、できやしません。児童の抱える問題を把握することも、できるわけがない。どうして心の病を複雑にこじらせている大人の治療が、できるのですか。
 まったく、この病院の医療のどこが「高度先駆的」なのですか。私には理解できません。
 これが二一世紀の病院なのですか。二〇世紀の病院だとも思えない。何もかもが一九世紀並み。

発明王トーマス・エジソン。ネリー・ブライが精神病院で潜入取材を行なった1887年は、エジソンが白熱電灯の特許を取得した年です


 中込さんの仰っているお言葉は、もはや爆笑もののブラックユーモアではないですか(北朝鮮のことを「地上の楽園」と言っていたようなもの)。
 私はセンター病院の医療が完全にダメだ、と言っているわけではありません。
 現に同院外来で私を長年診察・治療して来られ、現在もしておられる先生は、心から尊敬申し上げることのできる、素晴らしい方です。
 しかしそれは、その先生の医師としてのスキルや人間性がとても優れている、ということであり、中込さんのおっしゃる「高度先駆的医療」が素晴らしいわけでは、まったくありません。
 貴院の「高度先駆的医療」って、一体どういうことなのですか?
 中込理事長に質します。お答えください。

 もちろんnoteという場や方法でなくとも構わないのですが、逃げないでちゃんと答えてね。
 
 中込理事長におかれましては、近々辞任なさる可能性もおありかと思います。そうなさるのが当然です、だって私がそう要求したのですから(その要求書面は現在非公開)。その場合は辞任にさいしての記者会見(または公開文書)で、誠意あるご回答をなされてください。

(本名・池田直也/東京都杉並区/元文筆業・無職)


【附記】「患者さんの権利」の嘘八百

センター病院は、ネット上に下記の文章を公開しておられます。

               患者さんの権利

私達、国立研究開発法人国立精神・神経医療研究センター病院の 職員は、病をもつ方も、障がいをもつ方も、年齢・性別を問わず、 以下の患者さんの権利を保障します。
1. 常に個人としての人格を尊重されます。
2. 良質で最適の医療を受けることができます。
3. 病気、治療、検査、薬などについて、情報提供と納得できる説明を受けること ができます。
4. 十分な情報提供と説明を受けることで自分の意思によって検査・治療法を   選択 できます。
5. 診断や治療について他の医師に意見を求めることができます。
6. 自分の受けている診療の内容を知るために、診療録の開示を求めることができ ます。
7. 個人情報は、厳密に保護され、プライバシーを他人にさらされることはありま せん。
(以下筆者により略)

よくもまあ、嘘八百ばかり並べているものです。開いた口がふさがせないとは、このことであります(ただし、6項についてはよく分かりません。試してみたことないから。それ以外はすべて、ブラックユーモアとしか言いようがありません)。




 

#公開質問状
#国立精神・神経医療研究センター病院
#NCNP
#理事長
#高度先駆的医療
#実態
#一九世紀
#ネリー・ブライ
#婦人記者
#スター記者
#DV
#精神病院
#潜入取材
#女性の権利
#年の差婚
#富豪
#破産
#年齢詐称
#ジュール・ヴェルヌ
#八十日間世界一周
#精神科病院
#看護師
#強要
#冷酷
#無神経
#何様
#監視下
#土足
#ナースコール
#社会人
#患者虐待
#環境劣悪
#国立研究開発法人
#国立がんセンター
#松本俊彦
#高度専門医療
#中込和幸
#上から目線
#任意入院
#自由意志
#人権
#四訂精神保健福祉法詳解
#精神保健福祉研究会
#人権侵害
#人権蹂躙
#厚生労働省
#卑劣
#インチキ
#無能
#小細工
#違法
#筋トレ
#藪医者
#医師の権威
#精神科病院管理者
#病名告知
#誤診
#鬱病
#リアルタイム
#三分診療
#プライバシー
#秘匿性
#非常識
#爆笑
#ブラックユーモア
#お笑いぐさ
#北朝鮮
#地上の楽園
#回答要求
#問責
#辞任
#記者会見
#公開文書
#誠意ある回答
#逃げるな
#卑怯者
#職権濫用
#権威主義
#虚像

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?