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220408



窓から差し込む朝日に嬉しくて飛び起きた


朝が気持ち良すぎて
コンビニコーヒーを外で飲んでから出勤した


赤い橋の下
開発される前にはよく行っていたけれど
お店ができて道が綺麗になってからは初だった



音楽もひとの声もしない
橋を通る車の音
水鳥が羽を洗う音と波の音
たまに船のエンジン音




海の向こうの富士山を眺めながら30分くらいぼーっと
何も考えずたまに目を瞑り
海水の匂いと背中に刺さる強烈な朝日を感じていた




リラックスしているとアイデアが閃くように
脳が勝手に動きだす
これは心なのだろうか




「怖かった」
「寂しかった」




確かに私の心がそう呟いている
(現在これといって怖い思いも
寂しい思いもしているわけではない)




そのまま
心の声に任せ
海を眺めていた




昔の父とのことだった




私は幼少期をビクビクして生きていた



彼は虫の居所が悪いと
私が居るだけで睨みつけてきた

私が彼の気に食わないことをしてしまうと
舌打ちをした

彼のしつけルールに反することをすると
何も言わずに腕を引っ張り玄関の外へ放り出された

怒ると壁を殴ったりドアを強く閉めた



言葉では無く態度を持って注意され
反省させられる恐怖が
家にいる時いつもついて回った




そのせいでか
お陰なのか

今の私はだいぶ空気が読めるし勘が鋭い
他人の言動や態度・文章の中に本音を見つけてしまう癖がある



それは言葉で叱ったり話し合いをするのではなく
"怒っている態度"を見せて戒める彼に適応した
私の防衛反応だ




何が気に触るのかわからなかった
だから常に顔色を伺い心を読み取るという名の守備をした
これから起こることに驚かないように
身構えることが出来るように





それらを見て見ぬ振りしているように見えた母にも
私は本当はイラついていた




勿論
私が忘れてしまった愛もあったのだとは思う

父が問題を抱えていたのかもしれないし
自分のことで精一杯だったのかもしれない





でも

あり得ない
助けて
こわい
大嫌い
いなくなれ
大切にしてほしい
死ねばいいのに
とも思ってしまった




今は認められる
当時の気持ち
"父親だから"娘がそんなこと思っちゃダメ
そう押し殺し隠し捨てていた気持ちを…





その当時にこの気持ちを大切に扱っていれば
私の心はこんなにも複雑に絡まっていないのではと思う


グレたり家出したりできたら楽だった
当時兄が絵に描いたような不良になったり
引き篭もったりしていたので
私はちゃんとしなきゃと思っていた




幼い私は
父を変えられなくても
自分の気持ちを認めてあげることはできたはずだ




でも出来なかった



それが悔しくて怒っていた
私自身に対してだった



私の中に常にこびりついている男性への怒りは
自分の気持ちを蔑ろにしていた私自身への
怒りだったのだと気付いた




私は人一倍安心感が欲しい
家は安心できる場所だ
お陰で居心地の良い空間を作るのは
自信があるし得意(自慢げ)




今一人暮らしをしていて
他人と一緒に暮らすなんて今は考えられない
と思っているのも
安心が無くなる恐怖があるのだな理解できた





私が深く他人と付き合わないのは
すぐに離れられない関係を避けているから
不安のある関係からはとっとと逃げたい

だから大体のひととは上部だけで充分だった
少しの不安ももう懲り懲りだから


でも
一緒にいる"安心"と"信頼"を教えてくれたのは
親ではなく他人だった


今は両親に対して
恨みも怒りも何もない


距離が有れば
なんてことないということは
よくあることだし


"親子だから"
特別こうしなければいけないということは
今は全く思わない


私がいなくなった家で
元気ならばそれでいい


私はこれからも
自分の心地良い世界をつくって生きていく


凍結していた記憶が溶け出して
蒸発していくような感覚


なんだか思い掛けず
能動的な癒しというものを体感した朝だった


私が自分の家の次に私らしく在れるのは
10年弱一緒働いていてなんでも話せる同僚といる時


有難い存在


いつも以上に感謝が湧いて
あーでもねこーでもねー言いながら
モリモリ働いてきた!
楽しかったー!


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