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タケノコ、春キャベツ、アスパラ、ベーコン、アリオオーリオ

僕はパスタが大好きだ。糖尿病なのでドガンと血糖値は上がる。それに対応してA1cも上がる。長く医者の治療を受けて血糖値で一喜一憂していた。模範的な良い患者だったろう。しかし、失明するからインスリン打って眼底網膜の凝固しろと言われた。

インスリンはI型の患者さんにとってはとても大事なものだ。膵臓で作れなくなってしまったから注射で身体というコロニーに取り込まねば生きてはいけない。

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タケノコのアーリオオーリオを作る。じっくりと油で味を一つにする。まもなく冬につくったベーコンはなくなってしまう。困った。

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では、I型の患者さんが血糖値を正常範囲内におさえてておくと合併症やガンや難病、膠原病にはならないだろうか?そんなことはないのだ。つまり、検査値の異常と致命的な症状には因果関係はない。単なる相関関係である。両者ともに食事とは因果関係があるのだ。血糖値を正常にしても食事が何よりも大事なのだ。

一度、40歳前ぐらいに発症したI型の方と話をしたことがある。毎食おにぎりばかり食べて、かなり肥満している方で、インスリンを打ちながら、血糖値が600mg/dlを超えるという。前歯が皆抜け落ちていた。どうなるのか他人事ながら苦しい思いをした。大事なのは食事である。食事のことを話したが、「医師の言うことしか聞かないぞ」と言う感じであった。鍋ごと\汁をさしあげたのだるが。僕も、いずれ追いつかれると思っている。膵臓の力が弱ってくれば誰でもII型ー>I型と推移するのだ。いま新規のII型患者は高齢者が多いと呼んだことがある。お恐ろしいことに正式な発表では殆ど触れられていないのだ。若い人を恐ろしがらせてインスリンを始めさせようとするのだ。ヤクの売人真っ青である。あ、あの人達って薬の売人だったね。

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僕の食事メソッド

皿に並んでいる料理の栄養素ではなく、その料理が作られたプロセスを大事にするというのが僕の「幸運な病のレシピ」と言うメソッドである。

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キャベツは麺お先に茹でておいて、パスタを合わせるのだ。妻はパスタを少なめに食う(笑)。僕は夜食に残しておいて食べる。

「幸運な病のレシピ」には「医者の喜ぶ『エビデンス』」はない。しかし、50年前の食事と今の食事を比較すればわかる。この変化は社会自身の構造的変化が生んだものだ。個人の責任ではない。しかし、私達は「生活習慣病とその合併症」と呼び個人の自己責任にしてしまう。だから、どんな治療もうなだれながら受けて、医療費のATMとなる。

とは言っても権威の言うことに逆らうのは大変なことだ。僕はいまでも苦しい。医者の言うことを聞かないで、失明したらどうすればいい。しかし、僕は父を最後の一ヶ月連れて行かなくとも良い医者のところにつれていき、苦しめて殺した。今でも苦しい。夢に見る。自分の頭で考えて、命を守る行動をとるのだ。自分の人生にとっての正しさは自分にしか見つけられない。

多くの人が家庭で料理を作ることに価値を感じているのも、商品化された食事(インスタント麺などもはいる)に不安を感じているからっだ。だから、健康料理のレストランやら、自然食品の食堂に行く。できるだけジャンクなものは避ける。それはそれでいい、しかし私たちの身体は常に作り直されている。毎日続けなければ破綻するのだ。

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医者や栄養士(商売人)を味方だと思ってはならない。

彼らはマニュアル通りのことをするだけなのだ。本来、医師は患者の苦しさを聞き、解決をを研究して、知見を集めて新たな治療を考えねばならない。現場でこそ新しいものが見つかるのだ。

しかし、今や臨床の医師は製薬会社とその仲間(大学の研究医)たちの奴隷になってしまっている。これこそが問題である。今や現場では薬で苦しむ患者の姿しか見えない。

血糖値や、多くの検査値という医者にとっての「ドル箱」はそれなりに症状をもたらす。しかしながら、それはドッグフードのような食事(乾燥・濃縮・抽出を通り、必須栄養素は添付されている生命のミイラ)がもたらしているのだ。見た目はきれいで、美味しそうであるが、「炭水化物を抜いて食べた時に満腹」になるだろうか?美味しいだろうか?

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炭水化物は毒ではないのだ。あまりに美味しすぎてコスト安く満腹になることが問題なのだ。おおよそ2人前の麺を子供と妻と3人で食べる。少し残して夜食にもた食べる。キャベツとベーコンとタケノコがオイルの味を合わさって美味い!何よりも美味いことが大事。

栄養学の教科書では、食事は「栄養素を取るものだ」と書かれている。1980年代に最高潮に達した分子栄養学の残骸である。1960年にライナスポーリング博士が提唱した「分子栄養学=オーソモレキュラー」は未だに大流行だ。健康本でこの考え方の影響を受けていないものは少ない。

何よりも、トクホやサプリメントの宣伝なのだ。それか、クリニックの宣伝である。

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私達を待ち受ける憂鬱な未来

最終的には渡し達を苦しめて、毎年の健康診断で薬で下げられる「検査値の異常」を見つけて、何種類もの薬を処方され、やがて同じような手術を繰り返してやがて致命的な臓器不全を迎え、管だらけになって生かされるのだ。ミイイラのようになり、意識無く、「輸液・経管栄養・胃瘻」で本物の三井イラになるまでイカせられて、最後は医師に「よく頑張っリました」と褒められる。年金ATMとなって医療費=医者や製薬会社に金を供給し続けるのだ。

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チーズはペルジャーミノを削る。粉で売られているものとは比較にならないくらい美味い。自分お食べたいところを食べたいように盛って食べるのが大事なことだ。自分の体が必要にしているものは、栄養士や医師に決められる訳がない。

残念ながら、そのスパン(高度医療と言う拷問)に入ったら、もう誰も助けてくれない。施設に一回入ってミイラ化に向かいだしたら、誰も怖がって見舞いにはこない。自分がそうなることもわからないのだろうか?僕は、延命治療は拒否する。

僕には憂鬱な未来が見える。僕一人では変えられない。けどね、多くの人がそれに気がついて、自分の場所で何が出来るかを考えることで変わると信じている。

原発の反対運動に少し関わったときのことだ。署名をお願いした人が原発の従業員だった。話をしたら、彼は自分には生活があるから、こういう署名は出来ないが、奥さんは書けるからと言って署名してもらえた。誰もが生活がある。しかし、自分の場所でできることはあるはずである。自分の目で世界を見て、頭で考えることだけが自分の未来を良きものにする。

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まずは、採れたばかりのタケノコと自家製ベーコンのパスタを味わうのだ。人生明日はどうなるかわからないが、この一皿は粗末には出来ない。きっと、食べ物さんに助けてもらえる。その時は、ピンピンコロリと父母の愛した庭を見ながらアチラに言って久しぶりの挨拶をする。バラのアーチの話をすることにしよう。

昨日取ったたタケノコなのです。

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いまの世の中で「食事を家で素材からつくる生活」を毎日続けいる人はいない。皆忙しいのだ。けどね、きっと出来ないことはない。僕のような人間でも何とかやっている。色々な健康法や食事メソッドをやってみたが、最後に僕が信じることが出来たのは、小さい頃毎日食事を作ってくれた母の思いだ。

すでに、次の世代は、キッチンで時間を掛けて食事をつくる母の背中を見ることはない。一緒にスーパー行って好きなものを買うだけだ。

子どもたちに、このことを伝えたい、家族のことを愛して食事をつくることが大事だということを。そのために食事作りをYou Tubeしている。息の長い遺言である。

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2015年から食事を作り続けている。食事作りは簡単ではない。食事をつくって食べてもらうということは単に料理を作るということではないのだ。家族の間の関係、ディールとパワーバランス、多くの問題を秘めている。何とかぼんやりとだが見えてきている。

もし、命に関わる病気だと告げられたら、どんなことをしても時間をつくって治療に走るだろう。

どうしてその情熱で料理を作れないのだろうか?僕はとんでもない時間を掛けている。年取った時に、世界と食事の価値を共有していたい。

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厨房研究に使います。世界の人々の食事の価値を変えたいのです。