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動員に頼らない次のまちづくり

「動員」をもって物事を行う、そうした組織作りをやめていくこと。

これが地方の次の生き残りのための施策となろう。


理由は明白だ。
次世代の子達を身近に見ていると、
組織や団体に対するそのようなかつての大人の振る舞いができない、と、わかるからだ。


あなたの周りを見渡してみてほしい。

付き合いだから、とか、組織で決まっているから、という理由で、
若者が顔を出す活動やイベントは、どんどん減ってきていることに気づくはずだ。

ご近所さんに言われたから、だとか、上司や会社に指示されたから、だとかいった理由では、
もうこの先の世代は動かない。


そして、僕の言及する次世代というのは、もっと下の世代のことでもある。

今の大学2年生の世代、さらには、今の高2の世代で、順に、2段階の変化が起こる。
多分目に見えてわかりやすいほどの価値観変革、タイプの変化が起こるだろう。
そして、さらにその下、中1以下の世代で3段階目の変革も起こると見ている。

これら3段階の(新しい世代が社会に出るタイミングでの)変革を迎えた後には、これが普通よね、とみんなが認識・許容していけるのではないかと思っている。


この世代の価値観と振る舞い方から考えていけば、
(彼ら彼女らによりフィットするという意味で)、
どのような社会・コミュニティの形成が適切なのか?が見えてくるだろう。

では、動員ではない組織や団体の成り立ちとは、一体どのようなものか?


それは「動機」である。


今後必要となる、または、次世代を動かし得る要素は、

「動員」ではなく「動機」である。

そう、モチベーションだ。

組織は固定化するのではなく、プロジェクトによって変動する流動的なものであってよいだろう。
自分のモチベーションが湧くものに、自らの積極性をもって参画する。
まさに、「やりたいやつがやれ!」というようなものだ。


日常では、オンラインやSNSでゆるいつながりを作り維持しつつ、必要な場面が来たら、
プロジェクトに必要とされるスキルを持つ者が役割分担をしながら集まればよい。

いわゆるボランティア的活動であってもこれは同じで、
動員されていれば不平不満が出るようなことでも、自らの「積極」をもって行うのであれば納得しやすい。報酬についても同様だ。

逆に言えば、動員で維持しようとする組織や団体は、
その成り立ちからして、すでに不平不満を内含してしまっているために危うさが付きまとう。

組織に従順でいやすい工業社会のもとでは、
うまく機能したかもしれない動員は、
デジタルネイティブ以降の次世代の子達には、
そもそも理解不能となるだろう。

そしてもう一点、
動員には弱点があることを付け加えておく。

その弱点とは、動員を要請する組織の中では、
「無意味」でかつ「儀礼的・儀式的」な「会議」や「集会」が行われやすいという点。

そこでは組織や団体の維持のための組織論だけにとどまらず、団結力を強めるためというような精神論までもが語られてしまう。

次世代の子たちは、納得できないことや意味のない(と感じられるもの)には参加しない。
そういう意思表明は非常に得意なのだ。
合理的で、効率的であるともいえる。

無意味な会議や集会に出席する暇があったら、
自分の部屋にこもってオンラインゲームをしたほうが、よっぽど得だと思うはずだ。


世代交代とともに「動員」はどんどん通じなくなる。

よくある例会のようなものにうつつを抜かしている場合ではない。
集まって飲み会で喜び合っていても何も変わらない。

通じなくなるのだから、やり方を考えていく必要があるのだ。

地方や地域の生き残りのためには避けては通れない命題である。


策を誤れば、コミュニティーそのものが維持されないだろう。

旧来の価値観だけを信じ、それにすがり続けるのであれば、もはやそれはリスクでしかない。

共同体のあり方までもを変えようとしている。

それが、次世代の子の、次世代のインパクトなのである。

おわり

(2019.1 ブログより)



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