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優しさと弱さを履き違えないために、優しさを再定義した。
優しい人を「心が満たされている人」だと定義しました。
満たされていない状態での優しさは、気配りではなく、気遣いです。
なんとなくですが、
気配りは、エネルギーをgive&takeする行為ですが、気遣いは、自らが我慢してエネルギーを消費しすり減らす行為です。
優しさを再定義することで、満たされてない状態で、他人に気を配る行為は全て優しさではなく弱さ(自己防衛)だと判断できます。
また、満た
ハローワークに行ってきたよ。
2月の中頃にリゾートバイトによる派遣先でのお仕事を終えてからというもの。
実家に帰って、しばらく体調を整えていました。
急に頭がモヤっとなり、心拍が上がり手汗がでてくるような症状が突然出てきて、こりゃまずいなと安静にしてた。お薬も飲んでる。
すぐ精神的なストレスによるものだと察知した。ここ数年どうも自分の様子がおかしくてムリしてる自覚があった。
でも体からのSOSは絶対に無視してはいけない
人は、自分が実現できそうなことを思いつく。
「行きたいな」と思っていた場所にはいずれ行ける。
「Life happens for you, not to you」
「人生の出来事はあなたのために起こる、あなたに対して起こるのではない」
「帰ったら寝よ」と思うことの大切さ。
まず、寝る状態がこの上なく幸せであって。
学生時代にアルバイト行くときとか、学校に通うときに、必ず「帰ったら絶対寝よ。」って思ってたのを覚えてる。
そんで、
いざ、働き終えたり、学校に通い終えたりしても、そのまま寝たりなんかはしない。
おやすみまでの時間を寝て過ごすのは勿体ないから、まずゲームをする。疲れててもゲームはしてた。
ただね、
集団の場に足を運ぶ前に「帰ったら寝よ」と考えると
誰のせいでもないさ。人はみんな鏡だから。
ふと、ゆずさんの「虹」を聴いていたら、この歌詞が頭に残ったままだった。
「誰のせいでもないさ 人はみんな鏡だから」
僕はけっこう自分を責めるときがある。
相手に不快な思いをさせてしまったんじゃないかと感じたとき、その罪悪感から自責の念にかられる。
思い返しては身悶えして自己嫌悪のモヤモヤループから抜け出せない。優しさの完璧主義みたいなのに陥る。
そんなだからイベントを発生させるのがこわく
「この人も人が好きなんだろうな」と思うためには
人生を生きていくにおいてね、「人を好きでいること」ってもの凄く重要だなって思うわけ。
だって、人を好きじゃないと、他人に笑顔で接することができないでしょ?
人を好きじゃないと、警戒することになるから疲れるし、敵意や悪意ばかり返ってきて、ストレスは溜まるし、モテないから、健やかさから遠ざかってしまう。
でね。
「人を好きでいること」も重要だけど、「この人も人が好きなんだろうな」と思うことも重
親和欲求を取り戻したい。
たまに本屋さんへ行って、自分がどんな本や内容に引っ掛かるかをメタ認知する。
その中には、最近の自分がずっと考えていることだったり、気にしているものがある。
(例えば、恋愛本をやたら気にするのなら、恋をしたがっているということだ)
今回のそれは心理学の本にある「親和欲求」の話だった。
誰かと一緒にいたいという欲求。
極めて自然な欲求。
なぜ気にしているのかはすぐに分かる。
僕は今の派遣先
人が好きなほど優しくなろうとするし、自分の考える優しさが個性になる。