見出し画像

アイデンティティがなくても

子供をうんだら「母」という立場が手に入り、何者もめざす必要がなくなりホッとした、という話を聞きました。それに対して「子供が巣立ったら、また焦り出す日がくるよ」という声があり、とても興味深く思いました。

私には子供はいませんが、夫がいます。母であることと妻であることは全く別の話かもしれませんが、「自分は誰かにとって特別な存在である」と思えることは、心の支えになる。確かにあります。目標とか生きがいとかなくても、いわゆる母の仕事・妻の仕事をやっていれば、自分のいる意味みたいなものが、保証された感じがします。

人は、何かの枠におさまることで自分を確認し、安心すると聞いたことがあります。枠の名前はいろいろです。母や妻などの社会的立場、職業名、国籍、病名も、自分をあらわす何かとして機能します。収入がいくらある、こんな人脈がある、コミュニティ、趣味、座右の銘、推しは誰か。定まっていると、共感を得たり、応援されたりして、便利です。

しかし、人は生きてるし、謎の衝動とかあるし、ぜんぜん一定じゃない。枠を必須と捉えると、中身が枠からはみ出さないよう抑えたりして、肝心の自分を苦しめてしまう場合がある。

私は、ちゃんと奥さんしなきゃって思っていた時期、中身がめっちゃこじれました。何も頼まれてないのに無理をしてしまい、被害者意識がうまれた。それで急に「ねえ私って一体なんなの!?」って夫に詰め寄った日がありました。夫は2chの発音で「ナカーマ」と答え、私は脱力しました。そして、この人は正直だな、私も正直でいよう、と思いました。

現在の私は、家事をしていても「なんかむかついてきたからやめるね」と途中で放り出したり、「今すぐ抱きしめてくれないとしぬ」と叫んだりしています。夫は「大変だね」と言いつつ、ギリ嫌そうではない。私は、自分のやばさを隠して関係を保つより、全開にして、終わる時は終わる!と覚悟するほうが、良い人生な気がしています。

社会で生きてるから、立場や肩書で動く日もあるけれど、役立たずの異物、自己紹介しづらい状態も、自分で愛していけたら良いなと思いました。


この記事が参加している募集

自己紹介

この経験に学べ

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?