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ブッダの存在も疑っていい

自分が何を「ナシ」としているか、自分だけでは気づきにくいなーと思った話です。

こないだ仏教の勉強会で「あらゆるものに実体はないよ、というのが空の教えです」という話を聞いていた時、ある人が質問をしました。

「じゃあ、ブッダも、実体ないってことですか?」

私はその瞬間、講師でもないのに焦り狂いました。いやいやその質問はタブーだろ!前提壊しちゃいかんだろ!と思いました。

先生の答えは、こんな感じでした。仏教において唯一、絶対的とされるのは、すべては瞬間ごとの営みであるということ。それを悟ったのがブッダと言われています。

紀元前5世紀にゴータマ・シッダルタという人が真理を悟って目覚めた人(=ブッダ)となった、というのは世界中の仏教者の共通基盤ではあるけれど、注目すべきは教えのほうである、みたいな話でした。

私は、なるほどーと思うと同時に、質問した人の勇気に感謝しました。物事の前提を問うことを大事にしているつもりで、実は全然ストップかけている自分に気づいたからです。「さすがにこれを問うのはまずいだろ」みたいな、内なる常識のようなものがあって、それに反する行為を、無意識に却下している。

自分というものを、瞬間ごとに現れては消える認識主体であると捉えた時、勇気がなかろうが、ストップかけようが、別に問題はない。でもなんか、制限を取り払っていきたいし、自分の行動が、誰かの選択肢を増やすことにつながるのは、嬉しいことだと感じました。


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