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「霊感 ~ 姪っ子との不思議な夜」その1「救われた命」

  亡くなった母には霊感があったらしい。私はそのことを知らなかったが、妹からそれを聞いた。

 妹にも霊感があり、若い頃から数多くの霊現象を体験したらしい。「らしい」と書いたのは、私自身がその体験を共有したわけではなく、後になって本人から聞いたからである。

 霊感とは遺伝するものなのだろうか。妹の娘、私から見れば姪っ子にも霊感がある。彼女についてだけ断定できるのは、直接その能力を目の当たりにしたからである。その体験を、詳細に思い出して、ここに書いてみようと思う。

 もう20年前のことになる。その頃、私は長野県上田市に住んでいて、妹とその3人の子どもたちも同じ町に住んでいた。両親の高齢化を受け、故郷鹿児島への引っ越し準備をしている最中のできごとだった。当時10歳だった姪っ子が、霊感があり交信もできると言うので、亡くなった友人の霊を呼び出してもらったことがあった。

 高校時代、一番仲の良かった友だち。24歳のとき急性白血病で亡くなった。ここに本名を明かすことはためらわれるので、仮に孝樹と呼ぶことにしよう。

 姪っ子に友人孝樹のフルネームを伝えると、目を閉じて彼に呼び掛けた。しばらくして目をあけると、中空を見つめて口にした第一声。

「あ・・・、この人カッコいい」

 まさにそのとおりだと言えた。美しい顔立ちで、容姿だけでラブレターが舞い込むような男で、そのことを間近で見てうらやましく思っていたのだ。

 その次に姪っ子はこう言った。
「おじちゃん、火事にあったよね。」

 そのことは、新聞にも載ったし、テレビのローカルニュースでも取り上げられたので、姪っ子が知っていても不思議はない。

「あのとき、おじちゃん死んでるよ」

 出し抜けに何を言うのかと思った。現にこうして自分は生きているではないか・・・。

「孝樹さんが助けてくれたって言ってる」

 にわかには信じがたかった。すでに亡くなっている人間が、どうやって助けたというのか・・・。
 さらに姪っ子はこう続けた。

「家は全焼だったでしょ?」

 これには驚いた。確かに全焼だったが、小学生の姪っ子にわざわざそんなことを話したはずもない。

 姪っ子は、さらにこう続けた。

「でも、大事なものは残ったでしょ?」

 たしかにそうだった。現金の入った財布、銀行口座の通帳、シンセサイザー音源、シーケンサー、1500枚のCDのコレクションなどが、焼け焦げた家の中にきれいな状態で残っていた。CDなどは、プラケースの一部が溶けていたので、ぎりぎりのところまで火の手が迫っていたことになる。

「孝樹さんが守ってくれたって言ってる」

 あの夜のことを振り返ると、本当にそうだったとも思える。酒に酔っていて、石油ファンヒーターの扱いを間違え、あふれ出た灯油に火が引火し、たちまち燃え広がった。それを消化しようとしてもたもたしたのがまずかった。隣の部屋から一抱えの毛布を持って戻って来た時には、部屋中に火が燃え広がっていた。もう部屋の隅から隅までが真っ赤に燃え上がっている。
 まるでテレビドラマの一場面のような非現実を見せられているようだった。
 逃げ出すとしたら、今自分がいる場所から最も遠い玄関しかない。そこにたどり着くには、火の海となった6畳二間を通過しなければならない。その中には楽器や音響機材、楽譜、音楽書、文学書などが並んだ本棚などが所狭しと並んでいて、燃え盛る中を無事に逃げ出すことなど困難である。

 そのような状況を目の当たりにしていると、不思議なことにそれまでの焦りがスーッと消えていった。

 「オレって、このまま死ぬのかな・・・」

 ぼんやりとそんなことが頭に浮かんだまま、めらめらと燃え盛る炎を、間仕切りの隙間から、ただぼんやりと眺めていた。
 観念するとは、こういうことなのかと思った。

 ふと我に返った。

 ただ死を待つという手はない。逃げ出せるかどうかはわからないが、いちかばちかやるだけやってみよう。

 一旦襖を閉め、まだ煙が回っていない隣の部屋で胸いっぱいに息を吸い込んだ。火と煙の充満する中で呼吸などしたら、たちまち一酸化中毒に陥り絶命してしまう。
 再度襖を開け、意を決して火の中に飛び込んだ。
 息を止めたまま全力で玄関を目指す。燃え盛る部屋のどこそこに体がぶち当たった。
 運良く外まで逃げ出し我が身を見ると、髪や服の一部が焦げ、全身煤だらけになっていた。

 一瞬火だるまになったらしい。
 間一髪のところで助かったのだ。

 あと少し行動に移すのが遅れていたら、棚の上に天井まで山と積みあげた楽譜や本が崩れ落ち、逃げ場は完全に塞がれて いたことだろう。

 隣の家にかけこみ、電話を借りて消防車と救急車を呼んでもらい、燃え盛る我が家をイライラしながら待った。やがて高鳴るサイレンの音が近づき、救急車が到着すると、私は担架に乗せられ、そのまま国立病院に搬送された。

 家が全焼したことは、翌朝病院のベッドで知らされた。

 事情聴取に来た警察官からその知らせを聞いた途端、全身脱力状態に陥った。そのときの落胆を、どう表現して良いかわからない。楽器や楽譜、音響機材、音楽書など、総額いくらかわからないほどの財産が一夜にして消え去ったのだ。

 消火しようとした際、足を火傷しており、その後しばらくは松葉杖に頼っての生活を余儀なくされた。まさに九死に一生であり、あのとき死んでいてもおかしくなかった。
 姪っ子の言うとおり、友人孝樹の加護がなければそうなっていたのかもしれない。

 火傷も最悪の状態を回避し、退院できることになったが、それを単純に喜ぶことはできなかった。
 知り合いが車で駆け付け退院を手伝ってくれたが、住む場所などどこにもない。途方に暮れていた。私を気遣ってくれた知人が、しばらくあてのないドライブに付き合ってくれている間、ただただ呆然としているだけで、何の考えも浮かばなかった。何しろ、これまで総力をあげて買い揃え、音楽の仕事、ひいては我が人生を支えてきた全財産を失ったうえに、身を横たえる場所さえないのだ。心は、砂漠のように渇き切り、頭の中は真っ白な無気力状態だった。

 知人が口を開いた。

 「大層なことを考えるなよ。大層な事っちゅうのが、どういうことだか分るよな?」
 「あぁ・・・、それは無いです。時が過ぎるのを、ただ待つだけです」

 取り敢えず翌朝までを凌げそうな場所だけは思い当たった。知人の一人が私費で建てた誰でも自由に使える小さな小屋。そこに転がり込み、車で駆け付けてくれた知人から毛布を1枚借りて、一夜を過ごした。

 そんなとき、懇意にしていた画家さんが声をかけてくれた。使っていない部屋がひと部屋あるということで、そこに仮住まいさせてもらえたのは、不幸中の幸いだった。食事も、一人分ぐらいだったら家族全員分の量とさほど変わらないからと、無償で提供してくれた。

 燃えてしまった家は借家だった。上田でも大手として知られる会社の所有物件。
 当然賠償問題が生じる。不動産部門担当者は、火事を出した当事者が謝罪に来るのを待ちつつ、訴訟に踏み切る準備を進めていた。火災の原因は自らの過失であり、楽器や機材などにも一切保険を掛けていなかった。訴訟になったら人生は一巻の終わりだ。
 ところが、当の本人は茫然自失の余り、そんなことを考える余力など一切残っていなかった。本人のあずかり知らないところで刻一刻と、新たなる危機が迫っていた。
 そんな時、普通では有りえないような幸運に救われることになる。その頃知り合ったばかりの知人が、その担当者の実の兄弟だったのだ。
 その知り合いは、どういうきっかけで知り合ったかは忘れたが、私の音楽を気に入ってくれて、シンセサイザーを使ったライブを行う際、安価で音響を請け負ってくれた人だった。その人が、新聞で私の火事のことを知り、不動産担当の弟さんとの間を取り持ってくれた。
 私のことをどういう人物であるかをこんこんと話した。心を打つ音楽を作る人なので、どうか訴訟を踏みとどまって助けてくれるようにと説得してくれたのである。
 弟さんは、それでもかなり迷ったらしい。本来一社員の一存ではどうなることでもないが、兄の説得に負け、知恵を絞って会社側を納得させる理由を考えて、一旦書き上げた書類を破棄してくれた。一日遅ければ、手続きに入っていたと、後で聞いて知った。

 この件までもが孝樹の助けによるものかはわからないが、偶然の巡り合わせという運命の力によって、すんでのところで助けられた。それが無かったら、今頃どうなっていたか分からない。

 姪っ子の霊視はさらに続いた。

 「高校時代、キーボードを自由に弾けることがうらやましかったって言ってる。だから演奏するときはいつも一緒に付いていって、演奏中の写真を撮ってたんだって」

 そんな風に思ってくれていたのか・・・、自分の美貌に自信を持っていて、プライドも高く、こちらに羨む素振りなど、当時は微塵も感じさせなかった。単に、ステージ裏などから近接して撮れるチャンスだと思っているのだろう、ぐらいにしか思っていなかった。
 芸術写真家を目指し、バイトして貯めた金で家に現像用の暗室を設えていた。暇さえあればカメラを首からぶら下げて町中を歩き回って被写体を探していた。市役所の市民画廊を借りて個展を開いたこともあった。高校生の個展開催など前例がなく、職員も驚いたという。姪っ子は、そんなことなどもちろん知らないはずだ。
             
 友人孝樹については、彼の死後、30代半ば過ぎのあるときにも、交流が成立したことがあった。などと書くと、あなたは何のことやらと思われることだろう。だが、姪っ子はそのことにも言及した。次回は、そのことについて書くことにしよう。
                   (つづく)


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