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ボクのおばあちゃん


ボクのおばあちゃんは
言いまちがいが多い人でした

『おばあちゃん、どこ行くの?』

『病院に行って放射線をもらってくるんだよ』

ボクは思いました

放射線もらったら死んじゃうよ


病院では処方箋をもらった方が良いと思います


『おばあちゃん、転んで擦り傷出来ちゃった』

『あらあら、じゃあオロナミンを塗ってあげようね』

ボクは思いました

シュワシュワが怪我に染みるよ〜


擦り傷にはオロナインだと思います


『今日のお昼は焼きそばだよ』

『わーい、いただきまーす……おばあちゃん、この焼きそばなんかベチャベチャするよ…』

『あれ、おかしいね……あらやだ、これ焼きそばじゃなくて生ラーメンだったわ』

僕は思いました

焼きラーメンを始めて作ったのは僕のおばあちゃんだ

袋麺の見た目似てるから気を付けよう


そんなおばあちゃんのおうちはボクのおうちから歩いて5分くらいです

ある日おばあちゃんがボクのおうちに来てこう言いました

『しゅん、お前はここにいたらダメになる』


そう言ってボクはおばあちゃんのおうちにつれて行かれました

おばあちゃんは親子3人で暮らすより

自分の息子であるお父さんが孫のボクを育てるより

おばあちゃんの家に来た方が良いと思ったみたいです

それからおばあちゃんは変わりました

優しかったおばあちゃんはよくボクを怒るようになりました

だからボクはよくおばあちゃんと喧嘩するようになりました

別の家に住んでるいとこには優しいから余計に悲しかったです

でも今は知っています

おばあちゃんはあの日からボクを

孫ではなく息子として育てるようにしたのだと

怒っていたのではなく叱ってくれていたのだと


ある日おばあちゃんは入院しました

でもしばらくして退院します

だからボクが今度はお世話しようと思いました

けどボクの目を盗んでおばあちゃんは

買い物に行ったり、掃除をしたりしてました

これくらい平気だと言いながら

でもやっぱり無理をしてたのかまた入院します

しばらくして目も覚まさなくなりました

家族や姉妹、親戚などが声をかけても何も反応しませんでした

でもある日ボクが手を握った時おばあちゃんは握り返してくれました

たまたまかもしれません

でもその次の日おばあちゃんは亡くなりました

きっとおばあちゃんの最期のメッセージだったんだと思います

一人じゃないよ


って


お葬式の日

親族含めて100人以上の人が来てくれました

これだけ慕われてたんだと思います

そして久しぶりに会うおじさんから
始めて会う人まで口を揃えて言われました

『会う度しゅん君の話しかしなかったよ』


色んなところでボクの話をしてくれてたと言うのです

いとこの話もするけど一緒に住むようになってからはほとんどボクの話だったそうです

ボクは人前で泣くのは恥ずかしいことだと思ってました

感動する映画も映画館では泣けないし

おばあちゃんと同じくらい大好きなおじいちゃんのお葬式でも泣かずおうちに帰って一人で泣きました


でもその日は色んな人の目の前で泣いてしまいました


おばあちゃんは

ボクのおばあちゃんであり

お母さんであり

大好きな人


ボクが芸人になることをおばあちゃんは知らないまま

ずっと料理人になりたいと言っていたから

今のボクをおばあちゃんが見たらなんて言うのかな




あの頃より歯の隙間が広がったボクを見て
なんて言うだろう………



スキッパッパー









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