見出し画像

自分を信じてみよう

自分が信じられないから

自分に自信がない。自分を信じることが出来ませんでした。だから、僕は自分の何もかもを疑っていました。何かあった時、はじめはいつも大丈夫だと思うのですが、すぐにそうではないと疑うようになるのです。これの何処が大丈夫なんだって。何を持って大丈夫と思っているのかって。

どうしてそんな風になってしまったのかというと、僕は自分に嘘をつき続けてきたからでした。自分の気持ちをいつも無視しては、虐げてきたから。だから、僕は僕からの信用を失ってしまったのでした。

もう6年くらいも前のこと。僕は友達と思っていた人から裏切られてしまいました。親身になって、身を削ってでも渡したお金は、彼と共に姿を消しました。考えてみれば、どうして渡したのか。後悔ばかりが残ってしまっていたんです。とても、悔しくも情けなくなってしまっていたんです。

失敗をして失ったからこそ得たもの

でも、こうして今、色んな経験をして学んでみて、思うことがあります。

あのお金は、きっと、僕自身に渡したんだと。そして、何よりも裏切ったのは僕自身に間違いないものだと。

ずっと、自分を裏切り続けてきたんです。だから、自分を信用することが出来ずに生きてきました。

でも、そうやって見捨てたつもりでも、心の何処かでは、自分を信じたい気持ちがあったんだと思います。だから、自信をつけようと、必死にもがいていたんだと思います。努力だって、懸命にしていました。

でも、何処かでまた自分を裏切ってしまうのではないかと不安で仕方なかったし、裏切られるかもしれないという恐怖で怯えてしまっていたんです。だから、どう頑張ってみても、すぐに躊躇してしまい、自信を得ることは出来ませんでした。

自分を信じようと努力しては、裏切られては、何かを諦めていました。

そんな矢先に、友からの相談が来たんです。僕自身の深層心理を考えたときに、どう考えたって、こうした場合返ってこないのは一目瞭然です。でも、裏切るのは分かっているけど、どうにか信じたいという思いの部分が、自分自身に対しての思いと重なってしまったのでした。

本当に大きな痛手であったし、ひどく傷つきました。もう、だれも信用しないとまで誓ったくらいです。ですが、時間が経つにつれて、傷が癒されていくのにつれて、僕の気持ちは晴れやかになっていきました。僕は自分に希望を持つことができたのです。

だって、どんな自分であっても、信じようと思えることが出来たのだと理解することが出来たから。

人は自分を映し出す鏡だと言われています。もしかすると、僕を裏切った親友は、僕自身を裏切り続けた自分を写し出していたのだと思えるようになったんです。

裏切ると分かっていても、僕は自分を信じようと決心することができたのです。

その時の金額や心の傷は、僕にとって、とても大きなものでした。しかし、だからこそ、今でも思い出すことが出来るくらい、記憶に残っているのです。それが、どんな自分も信じる決意表明のようなものに変わったんです。

僕は、自分に何度裏切られたって、自分を許そうとする。どんなにショックで落ち込んだって、かつての僕のように、見捨てたり、虐げたりはもうしていません。どんな自分であっても、自分を信じていこうと思えているのです。

それが、自分を信じるということだと思うのです。それが揺るぎない自信ではないかと思うのです。

何かに挑戦し続けることが出来る。どんなことがあっても自分に大丈夫だと言える。そうした築き上げたような自信ではなく、僕と言う人間の根底となるもの。あるいは、土台のようなもの。それが、確かでしっかりとしたもにのになるのだと感じています。

お知らせです

お悩み相談はじめました!

人生に迷った時、どうしたらいいのか分からない時、誰にも相談できずに、苦しみました。いつか、僕自身も誰かに寄り添い、背中を押すことが出来たらと思い続けてきました。
だから、あなたのお悩みに、寄り添いたいのです。
どの記事でも構いませんので、コメント欄にてお待ちしております。

詳しくは、こちらを読んでください。

相談される方は上の記事内にある注意事項を読んでから、ご相談下さい。



最後まで読んで頂きありがとうございます。今日と言う一日が皆さまにとって最高の一日となりますように。
メルシー

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?