見出し画像

時には感じるままに自分を受け止める

こうあるべきだという自分に囚われてしまう

こんなことを言えば、おかしな人だとしまうかもしれないけれど、思いっきり愚痴を言いたいし、思いっきり不平不満を口にしたい。誰かに弱音だって聞いて欲しい。そんなことくだらないと言われるようなちっぽけな悩みであっても誰かに相談したい。時には、誰かの文句や悪口だって言いたい。

こうして生きていれば、嫌なことは否応なしに経験してしまうのものではないですか。これだけ、社会の中で生きていれば、嫌な人に出会うことだってあるし、全く持って合わない人と同じ場所に居合わせてしまうことだってあるのです。そんな人達から嫌なことや理不尽なことをされてしまうかもしれません。時には、納得できないことを経験するかもしれません。否応なしに落ち込んだり、憤りを感じてしまうことも致し方ないことではないでしょうか。

だから、僕が言っていることはそんなに悪いことなのでしょうか。

でも、そんな風に思ってしまう自分を押さえつけてしまうのは、何よりも僕自身でいした。何処までもネガティブな自分を変えたいと決心して学び始め、毎日毎日ポジティブであることを意識するようになりました。読む本は、できるだけ前向きな本ばかりだし、ネガティブな情報は避けるようにしていました。

ですが、そうしているうちに、いつの間にか、自分の中でいつもポジティブな自分でないといけないと思う様になっていたのです。

ですが、それはどこか自分の気持ちを否定しているようでした。やりどころのない気持ちは、やがて次第に感情の行き場を失わせるもので、どんどん追い込まれていくように感じていました。やがて反発して、余計にネガティブに陥り、不平不満や愚痴が多くなるものになっていくのでした。

時には身を任せることの大切さ

僕の職場には、70歳代のパートさんが数人います。歳を重ねる度に、体は思う様に動かないし、記憶力も低下して、作業ひとつとっても悪戦苦闘しながら、皆さん頑張られています。よく失敗もしています。ですが、皆さんどこか楽しそうなんです。もしも、僕が同じ年齢だったらと考えてみると、衰えていくことに、意気消沈して落ち込みそうなのに。

ある時、失礼がないように尋ねたことがあります。「どうして、そんなに楽しそうなんですか?」って。そうしたら、「歳を取ったら、歳を取った分の楽しみ方があるのよ。」そう、教えてくれたんです。

言われてみれば、それは、自分の老いを受け入れることが出来ているのだと思いました。人生の流れに乗ってしたがっているのだということではないでしょうか。

ふと、自分はどうだろうと思いました。必死で自分の中で湧いてくる感情に逆らっているじゃないかって。必死に自分の気持ちを受け入れることが、出来ていないんじゃないかって気づけたんです。

あるお坊さんが、落ち葉はどういう気持ちなのかと、師匠に問うたそうです。すると師匠は、「落ちていく葉を見て、悲しいものかどうか考えるのではなく、この清々しさを楽しむことが悟りなんだ。」と答えたそうです。

そんな話を聞いて、僕は思いました。今の僕に必要なことは、自分の中で湧く感情を受け入れていくことだということ。感情だけでなく、この社会で生きていくことで起きる出来事も、時には身をまかせて、時には、気の赴くままに、自分の気持ちや出来事を受け止めてあげることが大切であると感じたのです。

ですので、時々、ひとりになった時に、思いっきり感情を吐き出すようにしたんです。ひとりだったら、誰にも迷惑かけないから。

そうしただけで、随分と肩の力が抜けて、楽になれたような気がしました。

お知らせです

お悩み相談はじめました!

人生に迷った時、どうしたらいいのか分からない時、誰にも相談できずに、苦しみました。いつか、僕自身も誰かに寄り添い、背中を押すことが出来たらと思い続けてきました。
だから、あなたのお悩みに、寄り添いたいのです。
どの記事でも構いませんので、コメント欄にてお待ちしております。

詳しくは、こちらを読んでください。

相談される方は上の記事内にある注意事項を読んでから、ご相談下さい。



最後まで読んで頂きありがとうございます。
今日も自分をご機嫌に。
メルシー

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?