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良いと思うものは、何でもやってみる

困っている人に、手を差し伸べますか?

悩んでいたり、困っている人がいるのを見れば、いつもこう思う自分がいます。困っているのなら、手を差し出すことは、当然のこと。だから、あれこれ言わずにしっかりと声をかけるべきだって。

そう思い行動に移そうと思う瞬間に、もう一人の自分が待ってと声をかけてきます。僕みたいなのが声をかけたところで、何の意味があるの?むしろ、逆に迷惑になってしまうかもしれない。それに、自分はそんなことをしている場合ではないんじゃないかな。自分のことでいっぱいいっぱいなのに、どうして人を助ける余裕があるのかって。

心では分かっているんです。どうすれば正しいことなのか。ですが、頭では、無理だと判断してしまい、差し出そうとする手を引っ込めてしまうのです。

そうは言っても、何度かは声をかけたことがあるのです。ですが、これと言って何も出来ませんでした。挙句に、頭でっかちになっている僕は、どこか考えていることが正しいと証明したいのかもしれません。どこか自分もが無理をしているように捉えてしまい調子を崩してしまうのでした。そして、そもそも自分のことで精一杯なくせに、やっぱり滅多なことをするもんじゃないと反省するのでした。

いつに間にか、誰かが困っていても、よっぽどの関係ではない限り、手を差し伸べることはありませんでした。

きっと、多くの人はそうではないかと思うのです。僕のように、自分のことで精一杯なはずです。それを、人が困っているからと言って、いちいち手を差し伸べていたら、自分のことは何一つ終わることはないし、自分のことが疎かになってしまうのではないかと思うはずではないでしょうか。

よっぽど、自分の欲を捨てない限り、全ての人に手を差し伸べることなんて出来ないんじゃないか。だから、僕には自分を犠牲にする必要はないんじゃないかと思っていたんです。

良いと思うことは、やってみる

つまり、人を助けるとか困った人に手を差し伸べることは誰もが大切だということは感じているものです。でも、多くの人が自分のことでいっぱいいっぱいで、出来ていないものだと判断しているものだということです。

僕がどうして、そんなことまでを書くのかというと、それだけ、人助けって難しいものであるのです。誰にも出来ることではないのです。

だから思うのです。もしも、誰かが困っていると知った時に、勇気を出して、自分の出来る限りのことでも、手を差し伸べることが出来たのなら、何よりも、自分を肯定出来るのではないかと思うのです。そんな自分を受け入れることが出来るから、自分を満たすことも十分に出来るはずです。

僕は、何も出来ていないときから、続けていることがあります。自分の仕事のことで毎日が精一杯です。時間に余裕もありません。好きなこともなかなか出来ません。言えば、生活だって正直に言えばぎりぎりなんです。ですが、この日本でも貧しくてご飯も食べられない子供達がいることを知って、自分には何か出来ないものかと考えて、微力ながらに支援させて頂いております。

もう何年も続けていますが、この行いが今でも、僕が自分を肯定するひとつの理由となってくれています。自分という存在や価値をありのままに受け容れることが出来るのは、自分自身が誰かの為に役に立っていると思えることは、その足掛かりになり大きなものとなります。

何かを得てや何かを成し得たからでの、自分を認める方法は、何かを失ってしまえば、たちまち、自分を受けいれることが出来なくなってしまいます。
だからこそ、自分に出来る範囲であっても、勇気を出して困っている人に手を差し伸べることは大事なのではないかと思うのです。そうした積み重ねが、いつか、感謝や絆となって、ありのままの自分を認めてくれる存在となってくれるはずです。

だから思うことがあります。あなたが良いと思っていることは、何でもやってみる方が良いと思うのです。それが、あなたを救ってくれることは間違いのないものになるのですから。

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最後まで読んで頂きありがとうございます。
今日も自分をご機嫌に。
メルシー

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