ミスのない翻訳チェックをするために~JTF Journal 2017 07/08号 寄稿記事より

 エージェントチェッカー生活が長かったせいか、いまもわたしにはチェックが回ってくることが多い。翻訳会社や制作会社に加えて、個人の方からチェックを頼まれることもある。また、わたしは校正者としても仕事をしているが、一冊の本にひとつのミスも許されないのが校正者という職業だ。よって、自分なりに「ミスをゼロにする」ためのプロセスを確立している。簡単ではあるが、自分の翻訳チェックの手順をここにまとめておこうと思う。

冷静な姿勢で訳文のみと向き合う

 チェックでまず大切なことは、冷静な姿勢である。翻訳者なら誰でも経験するが、驚くほど興が乗って頭が冴え切った状態となり、訳文がどこからかひとりでに生み出されていく錯覚を抱くときがある。だがチェックはそれではいけない。校正者としてクレジットの入った本を出すようになってから強く思うようになったが、自分の翻訳でもそうでなくても、ともかく、淡々と粛々と、ペースを一定に保って原文と訳文を見ていく。過度の集中は不要というよりも、むしろ邪魔になる。平静にふだんどおりのマインドで作業をするのが、ミスを発見するために極めて大事なことだと思っている。
 平静ということでもうひとつ。訳文の質が良くてもそうではなくても、いちいち感心したり腹を立てたりしない。翻訳者が知り合いだろうと見知らぬ人だろうと、自分が向き合うのは訳文オンリーである。この姿勢が取れるかどうかで、チェックの質はある程度まで決まってしまうと思う。

デジタルとアナログ、画面と紙、視覚と聴覚、
あの手この手を総動員

 実際のチェック作業で原文と訳文を一文ずつ照合する際は、最初に対訳表を作って左に原文、右に訳文を表示して見ていく。やってみればわかるが、対訳表があるとないとでは、チェックの精度も、かかる時間も大幅に変わってくる。これには、齊藤貴昭氏が無料で公開しているWildLightというツールを使っているが、あっという間に対訳表ができて便利なことこの上ない。
 対訳表ができたら、原文(ほとんどの場合は英語)を読み取りながら訳文(同じく日本語)を読んでいく。このときには原文の「内容」だけを読み取り、数字や固有名詞は横に置いておく。そうして別の訳文ファイルに手を入れていく。自分の翻訳ならば上書きしてしまうこともあるが、そうでなければ変更履歴を使う。この工程では、どこにどのように手を入れたかを見たいので「すべての変更履歴/コメント」を表示させておく。
 次に数字チェックだが、わたしは文章の読み取りとは独立させた別プロセスとして、数字だけを見ている。これにも前述のツール、WildLightを使って、数字に色をつけた状態にしてチェックすると漏れがない。さらに、企業レポートなど数字の多い案件のときには、目視のあとでもう一度指差し(実際には「鉛筆差し」)確認、声出し確認のプロセスを加える。五感のうち視覚だけを使うのが通常の数字チェックであり、特に数字が問題になるファイルでは、聴覚と視覚を併用したチェックを付加することになる。
 それから固有名詞を見る。だが、実は固有名詞こそ、チェックの前、翻訳そのものの手順が鍵となる。固有名詞は「タイピングしない」ことが最大のミス防止策となる。原文言語そのままの固有名詞を(訳文言語に置き換えずに)訳文に入れていくときには、コピー&ペー
ストする。何度も登場する場合や、訳文言語の名称に置き換えるときには単語登録をしておき、キーひとつで変換させる。「本田さん」と「本多さん」、こういうのも、タイピングで変換すれば、間違えるのは当然である。
 自分で翻訳するときには、タイプミスしやすい語をオートコレクト機能に登録しておいて自動的に修正させるなど、チェック以前の工程でミスを減らす工夫はほかにもある。
 さて、ほかの人の訳文を見るときは、固有名詞は蛍光ペンでハイライトしたり、変換ミスしそうな語を予想して検索したり(前述の場合なら「本多」と「本田」を両方検索する)、クライアントがいつもと同じであれば辞書登録をしておく。数字と固有名詞については、ミスしたら首が飛ぶ覚悟で作業できるかどうかが問題だろう。以前、実際にその目に遭ったわたしが言うのである。

訳文の素読みで誤訳を見破る

 ここまで来たら素読みをする。変更履歴のモードは「シンプルな変更履歴/コメント」か「変更履歴/コメントなし」のいずれかに戻し、変更前の箇所を表示しない設定とする。そうでないと余計な情報が目に入るため、ミスの元となる。
 この素読みで大切なのは、訳文(日本語)だけを読んで「ここが誤訳かもしれない」と勘を働かせること。すでに対訳表で一文ずつの照合は終わっており、訳抜けは100%検出できているのが前提である。
 だが誤訳は「一文ずつの照合」では、漏れる箇所が出てくる。通して読まないとロジックの違いを見抜けないことも多いし、助詞や文末のちょっとしたニュアンス違いも、対訳表で見るだけでは最適な語となっていないこともある。ここではそういう目で見ていく。
 特に長い文のときに主語と述語、修飾語と被修飾語が対応しているかどうか、接続詞の意味が英語のままになっていないか、主語や目的語が落ちていて誤読しないかどうか、といった細かいことはもちろんだが、何よりも大事なのは「日本語そのもののロジックを追う」。これが誤訳を見抜く最大のポイントになる。日本語だけを読んで「あれ?」と気づくことができるかということだ。
 完成形に近づいてきたところでまたツールを使う。Just Right!という校正ソフトだ。ケアレスミスというよりも、ここまでの作業で落としているかもしれない表記の不統一を検出するくらいの目的で、このプロセスを踏んでいる。言い換えれば、ここまでに落としている部分があってはいけないので確認する程度、ということになる。
 仕上げに、プリントしてもう一度素読みする。画面と紙とでは人間の目の働きも変わってくるし、一度に目に入る範囲も違うため、外せないプロセスである。書籍の場合には、入稿原稿より前の段階であっても縦書き設定でプリントする。
 このように、WordやAcrobatの検索機能も含めてデジタルで拾える項目と、目視や声出し確認、プリントしたりしてアナログで見る工程を分けて作業し、「アナログ」でチェックのプロセスを完了させる。
 最後に、上述の内容を覆すようだが、生き残っていくために忘れてはならないことを記しておく。それは状況に左右されず、「アナログ環境だけでもミスしない」訓練を続けるということ。ツールがなくとも、訳文のプリントアウトと鉛筆だけで、ミスのない翻訳チェックとなるように作業をする。もちろん納品の前には、その後にツールを使い、ミスが残っていないかどうかを確認する。すべての案件でこれを実施するのは時間の都合で難しいが、週に2~3回、小さい案件でもわたしはこの訓練を続けている。ツールは翻訳チェックにはとても便利である。立ちどころに対訳表を作ってくれたり数字に色をつけたり、目視では検出できなかった用語の不統一やスペルミスも拾ってくれる。だが、ひとつのミスも許されない世界の住人としては、自分の頭を常に鍛え上げておくのに勝る策はないと感じている。

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