マガジンのカバー画像

飲み屋に恋する男のはなし

42
酒抜きで語れぬ私の人生、そのほんの一部をお聞きください、、
運営しているクリエイター

記事一覧

固定された記事

恋のおわりは

今日から私が以前、恋の病に取り憑かれたように始めた『立ち飲み屋』の話を綴りたく思います。 多くのお客さまに足を運んでいただきました。 多くの友人も日本中から集まってきてくれました。 やんごとなき事情で再び方向転換をするまでの一年半の時間をともに過ごしていただいた皆さんとのお付き合いの話が中心となります。 今日は簡単に店の周囲の雰囲気をご理解いただければと思います。 私は大阪の人間ではありません。大阪は人に優しい街だと思います。 その中でもこの『阿倍野』って街が、素敵に優しい

酒を飲まずに酒飲を考える

自分が歳を取るだなんて考えることのない若い時代は誰にでもあるであろう。 自分が歳を取ることを真剣に思い詰めて生きる人間も少ないだろう。 行き着くところ辺りまで行って「ああ、歳を取ったな」、そう思うのではないだろか。 そして、それはやってはならないことをするのと同じじゃないかとも思うのである。普通の人は理性がそのやってはならぬことを止めるのだろう。 でも、戦争では理性の箍が外れてしまい、大義名分を持って人の命を奪い去り、それから胸を張って両親、家族、愛する愛される人の待つ家に

切り取ったある日常の時間『立ち飲み屋〇(マル)の話』

立春は過ぎ、暦の上では春がやって来ている。 メリハリのない最近の気候にマルは客の心をかっちり掴む美味いアテを考えていた。 毎日昼前に近くの市場まで買い出しに行く。鮮魚・精肉・青果・乾物と一通り店の品々との挨拶は済ませ、新鮮な材料を調達し、大きめのザックに詰め込み献立を考えながらいつもの道を歩いて帰るのであった。 そして気にも止めなかった公園がいつもと違うのに気づき足を止めた。 なんと、本当の春がこんな近くにやって来ていたのである。終わりかけた蠟梅に咲き始めた梅はその白を重ね

「さようなら」は最後に一度だけ

1977年、私は高校二年生だった。ちょうどこんな寒い時期、当時はもっと寒かった。 飼い猫ブチは自在に外との行き来をして、私の2階の部屋の窓が彼の玄関になっていた。開け放しの窓からは冷たい外気が流れ込み、私の部屋は寒かった。 外気と変わらぬ冷たい部屋で私は膝を抱きながら生まれて初めて買ったシングルレコードを聴いていた。 八代亜紀の声に魅せられて、よく理解してない歌詞に惹き込まれて『愛の終着駅』を聴いていた。 『文字の乱れは 線路の軋み  愛の迷いじゃないですか』 すごいな

酒とともに今年も暮れていく

仕事が終わり飲む酒はなぜか優しく感じられた。 泣きたい時に酒を飲み、苦しい時に酒を飲み、そんな時の酒はなぜか苦く感じられた。 その時々の感性を酒にぶつけてきたけれど、酒に逃げたことは一度も無かった。 酒の魔性を知っている。酒は人を狂わせることのできる水である。そう思いカウンターの中に立ち、酒を客に売って来た。「惰性で飲む酒はうちにはございません」そう言ってみたかった。でも客は私の心が読めたのかも知れない。酒に優しく酒に真面目な客が多かった。 店が客を大事にするように、客は

宿酔い(ふつかよい)の朝に

熱いコーヒーを胃袋に流し込み無理やり目を覚ませる。久しぶりの二日酔いに頭を抱える。かつて毎日味わったあの感覚である。仕事があり、付き合いがあり上司もいれば先輩、後輩たちもいた。馴染めぬ営業に、馴染みたくはなかった営業に、どぶどぶと浸かっていく自分が嫌だった。 この世に生を受けてこの世に生きることにはどんな意味があるのかと考えることが無駄だと分かっていても、考えねば押しつぶされてしまいそうな毎日だった。酒に逃げたつもりはなかったのだが傍から見ればそう見えたに違いない。でも若い

そして今宵も酒を飲む

気がつけば年の瀬を感じる時期となり、気がつけばとうに六十を越えており、あらためて気ぜわしくなったりしている。 年齢とともに生活スタイルは変わり、人ととの出会いは減っている。 とはいうものの、同年代と較べればまだまだ人との出会いは多いのかも知れない。そんな中のお一人、この note で出会ったリアル菊地正夫アニキに東京で今年6月に出会った。 SNS上での付き合いの方に出会うなんて私の常識ではありえないことだったのであるが、なんとなくこの人には会ってみたいな、と思い、ご指定頂い

酒を飲む理由(わけ)

私が酒を飲む理由、それはそれほど難しいことではない。 世に酒があるからである。 酒を悪く言う人がいるが、酒が悪いわけじゃなく、飲む人間が悪いのである。でも、それは仕方のないことかも知れない。人の性格が違うように酒への耐性が違うし酒に対する考え方も違う。 私は酒に多くを求めることは無いから、この先も酒に溺れることは無いだろう。 それに、やることが無いから「酒でも飲もうか」とはならない。 やることが、あってあってどうしようもないから「酒でも飲むか」となる。 同じ酒でも家で何もする

研師ヒデの嘆き『立ち飲み屋〇(マル)の話』

開店前のマルの店、まだ半分閉まっているシャッターをガラガラと開けてヒデは中に入ってきた。 「マルさん、久しぶり」 ヒデはいつもの笑顔で餃子を包むマルの前に立った。 「あれ、ヒデちゃん、今回早くない、まだひと月たってないわよ」 マルは毎日包丁を研ぐが、どうもこの包丁研ぎだけは苦手で、月に一度だけ研師を生業とするヒデの手で大切な包丁の面倒をみてもらっていた。 「何言ってんだよマルさん、今日は武士の命日だろ、あいつの事を思い出してマルさんがめそめそしてんじゃないかと思って

不義理という言葉

義理とか人情といった言葉が嫌いじゃない。 そんなことを大切にこの歳まで生きて来たように思う。 しばらく行ってなかった飲み屋がある。 大阪に来たばかりの時に先輩に連れて行ってもらった店だから行き出してもう30年以上にもなる。足繁く通っていたわけではないが、忘れることなく時々行っていた。JRの高架下、大阪駅の至近の店だから待ち合わせにもちょうどよいのである。30年前からスタンド形式の立ち飲み屋である。酒は洋酒が中心、ビールはあるが日本酒は無い。食べる物は写真の通り、食を求める場

阿倍野の夜

自分の年齢のことを時々考えるようになった。 こんなことが歳を取った証拠なのかも知れない。 「まだまだ若い」と先輩方からは言われるがそれは当たり前のこと、誰もが同じように歳を重ねるのだから先輩方から見たら、そりゃ私はいつまでも若い。でも、一般的に見れば若くはない。髪には白いものの方が多くなってしまい、電車の席を女子高生から譲られたのは一度や二度ではない。そのたびに自分の年齢を痛感してしまう。 合気道の稽古の帰りに阿倍野でワインを飲んで帰った。 いつものこの時間に行く店である。

昨晩の稽古

金曜日の夕、合気道の稽古の日、、であった。 しかし、今月は金曜日が月5回ある、月4回の契約のもと、昨日3月3日を休みにしていたのをすっかり忘れていた。稽古生の皆さんは優秀で誰一人来る者はいなかった。(優秀というか、当たり前か、、) 金曜のこの時間にフリーになるのはめったに無く、飲み屋時代によく世話になったワイン屋に寄って帰った。マスターは相変わらずお元気そう、いつもの笑顔であった。以前と変わらぬ空間に以前と変わらぬ匂いの時間が流れていた。 しばらくすると私の自宅の改修に知

レイは大のパスタ好き! 『立ち飲み屋〇(マル)の話』

🍶下の『涙のキャベツの千切り』から続いています。 「タロー、タロー!」 マルは二階の息子太郎に向かって叫ぶ。 「なに~?」 とまあまあ元気な声だけが返ってくる。 「麗先生が来てくれたから降りて来なさい!」 マルの一人息子の太郎の中学校の担任が様子を見にやって来てくれたのである。 「ダメだよ、今、ド・ク・ショ・チュ~!」 ダメである、こうなってしまったら梃子でも動かぬ太郎である。 こんなところは別れた亭主に似てるなとマルは久しぶりに太郎の父親のことを思い出していた。 「先生、

涙のキャベツの千切り 『立ち飲み屋〇(マル)の話』

若い男はポタージュスープで身体が温まってきたからだろうか、ポツポツと口を開き始めた。 男は25歳となる。文系の大学を出て建設会社に就職した。寺社仏閣を得意とするその会社の名前はマルも聞いたことがあった。大学では空手部で四年間空手一筋に生きて来た男だった。全国大会まで出たことがありそれなりの自信を持って生きて来たものの社会人になってその鼻っ柱をへし折られたようだった。男の配属先は営業部。悪い意味での百戦錬磨の連中が男を迎え入れてくれた。その中に創業者一族の社長の息子が先輩でいた