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友人は王子さまのいないシンデレラ姫

一日中ツイートしてる女の子のアカウントを除いた気分だ。

ころころと話題、感情、景色が変わるのはとても女の子っぽいというか、まさに「女生徒」という言葉がぴったりだ。

例えば、途中出てくる親への反抗心も、ページをめくると『とはいえ親には感謝しなければならない』というような旨の言葉に終わっている。

この達観した気持ちでいる感じも、少しひねくれた思春期の女の子らしい。

世界が綺麗なものとして見えるフィルターを無意識に使えていたのが幼少期なら
その効力が少しずつ薄れてきて、現実の解像度がどんどん上がっているのが思春期だ。

少し斜に構えているくらいが丁度良い。

現実が見え始め、自分の没個性に悩み、自分は何のために生まれて何のために生きるのか。

現代でも大半の人が通るであろう悩みが等身大に描かれていて、昔の人にもこの悩みはあったんだなあと少し安心すると同時に

自分は何者かという問いは、私自身いまだによく考えているので私の精神年齢は思春期で止まっているのか?とひとり苦笑い。

…一人暮らしでよかった。
本読んで苦笑いしてるのとか誰かに見られたら恥ずかしくて仕方がない。

太宰治の生きた時代より、個々が発信しやすくなったがゆえに何者であるかが求められるようになってきたこの時代。

自分の個性や能力、存在意義に悩んでいる人もきっと多いはず。
女生徒を読めば答えがわかるなんてことはないが、一緒に悩んでみればいいと思う。

私は本の中に友人が増えた気分でいる。
まあ彼女は”王子さまのいないシンデレラ姫”なので私なんかと話してはくれないのだろうけど。

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