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それは、心が動いた瞬間に

漫画やアニメを見ていて私はレビューというよりも「自分がこの一言からどう考えたか」など、触発されたことを語りたいと思うことが多い。ある意味では作品をきっかけにして自分語りをしているように感じる人も多いのかもしれない。




だけどこういった心を動かされる作品を見て「いろいろなことを考えました」とだけ書いたり、ほとんどあらすじのようなものを書いて終わるというのは何だか味気ないと感じてしまうのだ。もっともこれは私が書いた場合であって、素晴らしいレビューを書く方は世の中にいくらでもいる。

私が書きたいのは「感動した理由はおそらく自分の心の中にあって、こういう感情に触れた瞬間があったと気付かされたり、その結果として共鳴のようなものが呼び起こされた」ということなんだと考えている。

私は全く経験のない話を見ても共感するということはあまりない。そこに人間らしさがあったりと強い気持ちを感じる時、かつての思い出があるからこそ自分に重ねることができるのだ。例えば転んで痛い思いをした人でなければ誰かが転んでいるのを見て「痛そう」と感じることは難しいと思う。それと同じことだと考えている。

もしかしたら私が書いているのはその自分が転んだ時の具体的な情景のようなものかもしれない。



作品に触れた人にはそれぞれ人生における背景がある。全く同じような経験でなくても感動する人もいるのではないかと思う。例えば私は自分が誰かに言って欲しかった台詞などを聞いた時に泣いてしまうことがある。また体験したことのないことだったとしても、無意識に似たような感情を思い出してしまったりする。

それは実際になかったとしても「こういう空気感あるよね」などと思って感じ入ったり、いろんな感情がないまぜになった状態の登場人物に対してすべては理解できなかったとしても「この感情があると辛いよね」と同情したりすることだ。




けど未知の感覚というのは理解することは難しいのではないだろうか。先程書いたように似たような体験から想像することもできると思うが、私はやはり自身で体験したことほどより実感が湧くものだと思っている。

台詞というのはまさにその登場人物の心の表れであり、例えそれがよく読み解くとフェイクであったとしても「どうしてそんなことを口にしたのか」と心情を考えるきっかけになる。そしてそれこそがフィクションの作品が面白いと思う理由の一つなんだと思っている。


それは実生活でも起こりうることではあるが、真相は考えたとしても当たっていないことの方が多い。私はわからなかった台詞をくるくるといつまでもキャンディのように味わったりする。ほとんどの場合、答えはわからないまま時間が過ぎていく。だけど作品と違って本人に確認することはできるのが実生活のいいところだろう。






全体から見たテーマで語ることも面白い。こういったことを大筋で語りたいんだろうと推測することができる。流れに沿ってストーリーが展開していく様子を楽しむ人も多いだろう。一方で私はその真逆を行く。心に響いた瞬間を自分の中で咀嚼し、よく味わって飲みこむ。

私は私の独断で受け取りたいと思った言葉や場面を切り取る。そうして心の宝箱にその時浮かんできた情動をどんどんしまいこんでいく。この台詞から自分の中に流れ込む温かい感情が好きだとか、この場面がすごく切なくなってたまらないとか。似たような過去があったことを思い出すからとか、そんなことを考える。

今回はそんな楽しみ方もあるんじゃないかという話。



あなたはどんな楽しみ方をしていますか?
もしよろしければ教えて下さい。

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