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「また会おうね」というふんわりとした約束

私には「また会おうね」と言うと会わないで終わるという法則が存在する。かつて音楽が好きでライブによく行っていた時期があった。SNSにて同じバンドが好きな仲間が何人かいた私は会場で会おうという約束をしたりもした。通算で大体30人くらいは会っただろうか。当たり前のことではあるけど、みんな違う地域に住んでいる。同じ会場になる確率はチケットの当選率にも左右される。大抵の人が他にも会うつもりの人がいるので実際に会えるかどうかもわからない。そして当日広い会場のどこにいるのかというのも人それぞれだ。そんな中で出会うのはかなり難しいことでもあった。

会った人とはバンドの話よりも普段SNSで話していることを話す方が多かった。もちろん「今日のセットリスト何でしょうね」「聴きたい曲は?」など定番の話はする。他の人はどうなのか知らないけど、人見知りの人も多いしこんなものじゃないかと思う。それでもお揃いのツアーTシャツを着て話すのは楽しかったし、お互いに普段見掛けている姿とのギャップに驚いたりしながら過ごした。


会場だけでなく実際に会った友達もいた。一緒にご飯に行ったり、バンドの聖地を巡礼したり、友達の住んでいる場所との中間地点まで行ったこともあった。けど不思議だったのは「また会おうね」と言った途端に会わなくなってしまう人が多かったことだ。「また連絡するね」ならまだ可能性があるのに。SNSの出会いなんて何とも脆いものだという意見もある。だけどどうもそうは思えなかったのだ。

これはもしかしたら私だけが気になる箇所なのかもしれないけど、こんな風に会わなくなってしまうのは楽しい気持ちに一区切りをつけてしまうからではないだろうか。「また会おうね」は一旦仕切り直しのような瞬間があり、あるかどうかわからない遠い日の約束をしているかのように感じる。一方「また連絡するね」は「これからも楽しい関係を続けよう」に近いような気がする。つまり気持ちが途切れずに続く。ただこれだけでは私の中での単なるニュアンスでしかない。ふんわり、ふわふわとしたはっきりしない感情。人によってはこのニュアンスが全く逆の感情を示していることもあるだろう。


それとも実際に「また会おうね」と「また連絡するね」には何かしら温度差があって、こういった結果を導き出しているのだろうか。例えば「また会おうね」には社交辞令という意味も含まれていて「もう会わないな」になりやすくなる可能性が高いとか。あとはお別れを悲しんでいる人を慰める意味で遠い日の約束をすることもあるかもしれない。これはおそらく優しい嘘というものに入る。どちらもよくあることだ。だけどそれは何となく私にとってもやもやする結末でもある。相手の本当の気持ちが読めないまま終わってしまうからだ。

だから私は「また会おうね」というふんわりした言葉を使わないようにしている。約束したようで守られないと何だか置いてきぼりにされたような気持ちになってしまう。いつかまた会える、という雰囲気を匂わせておいて本当は二度と会わないという意味が隠されているとしたらそれはとても悲しいことだと思ってしまう。余韻を残す別れが風情があるようで美しいと感じる人も多いのかもしれない。実現するかどうかはわからなくてもいつかまた出会えたら、だなんてすごくロマンチックな話だ。

私はきっと未来の可能性を拓いておきたいと思っているのだ。だから今日も「また会おうね」の代わりの言葉を探す。少しでもつながりが長く続くように、けど重くはならないように。「いつかまた」の響きでこの出会った意味が消えていかないように。祈りを込めて。

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