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卵のありがたみ

卵の価格が急騰してだいぶ経つ。ある程度値段は戻ってきているとのことだったが、私は何となく卵を使うのがもったいないと思ってしまうようになってしまった。普段の料理では3人分に1~2個の料理にするようになったなど、我が家でも卵の節約運動が始まって久しい。そして一人1個で食べることはほとんどなくなった。何とも寂しいことだが、仕方ないというのが共通の見解ではある。

だけどそうするととても困ることがあるのも事実だ。それは私の場合主に朝ごはんで、何を食べようかと悩んでいる時にとりあえず卵を使って作ろうという選択ができなくなっていることだったりする。卵かけご飯、目玉焼き、玉子焼き、スクランブルエッグ、オムレツ、オムライス、フレンチトースト、ゆで卵、温泉卵…朝ごはんにあったら最高な卵料理ってこんなにたくさんあったんだと思い知らされる。卵って栄養価も高いものだし、すごく大切な食材だったんだと気付かされてしまった。


とりあえず○○というのがなくなってしまうとかなり困る。例えばお酒を飲む時の「とりあえずビール」はまずそれがあるから気持ちを盛り上げることができるのであって、安全パイのような存在だと思っている。失敗もないし、便利だし、安心できる存在なんだと思う。それと同じような存在として私は卵を感じてしまう。冷蔵庫に卵があればなんとかなるという安心感を今までは当たり前のように享受させて頂いただけだったのだ。

元々卵というのは生物にとって源の存在であり、そうして今までの世界が続いてきたこともあのしっとりと丸いフォルムも何もかも尊い。植物も動物も卵とは切っても切り離せないのだ。そんなことを考え始めるくらいにはちょっと卵の禁断症状に入っているのかもしれない。恐ろしい。一度ふわふわオムレツなどで思いっきり卵を2~3個食べたら元に戻るのかもしれない。カステラなどケーキ類もいい。今は卵を使っているというだけでも値上げされてしまった食品が多すぎて悲しみが止まらない。

ニュースなどでも何万羽の鶏が処分されたと聞くと毎回心が痛む。また卵を集めて鶏を育てていって、増やして、元通りにするにはどれだけの時間と労力が必要になるのだろう。養鶏場の人たちの苦労を思う。ずっと大切に育ててきた鶏を処分せざるを得なくなる辛さ。私は生物の中では鳥類がかなりのお気に入りだからこそ、そう思うのかもしれない。ついつい昔飼っていた文鳥可愛かったな…などとセンチメンタルな思いにふけってしまう。


最近になってようやく、某所ではずっとなくなっていたたまごスープがついに復活したのだと母が買ってきてくれた。最初は抽選だったのだが、今は普通に売り出してくれるようになって安心している。卵が食べにくい分、ついこのたまごスープをたくさん食べてしまう。ついちょっとおかずに困った時には駆り出してしまう。このスープにいくつの卵が使われているかはわからないが、おそらく3分の1くらいなんじゃないかと思う。でもそれくらいでも十分だ。

卵、それはあるだけで素晴らしい食材。

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