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ベジタス持論ver.10「節食・少食」

こんにちは、まいけるです。

食性の三本柱の最後、「節食・少食」のお話をいたします。
「節食・少食」は、どちらかと言うとこれまでの「身土不二」「一物全体」を実践した結果、得られる報酬のようなものです。
だから後で説明しますが、「我慢して食事量を減らそう!」などというお話ではないです

つまり、「節食・少食」ができるようになったら、食性に合う食事になってるよ!とご理解いただければいいと思います。

ただ、ここのお話は内容が少々宗教染みてしまいます。生命そのもののお話なので、どうしてもw。
私が幼少の頃、浄土真宗の幼稚園に通っていたことも影響があると思います。三つ子の魂百まで、というヤツですねw。

宗教は宗教でとても興味深く素晴らしい分野と思いますが、私自身は僧侶でもなんでもありません。だから、仏教がどうのと説くつもりはございません。あくまで食性のお話をするだけですよw。

今までに増して、暴走がキツいところがあると思いますが、がんばってwお付き合いください!これで最後です!

では、お話します。


我慢じゃない!

先ほど言いましたように、今回は我慢のお話ではありませんw。
でも、「節食・少食」と聞くと、たいていの人は「我慢」とか「ダイエット」を思い浮かべるのではないでしょうか?

逆に、

「ダイエットを目的としない節食って何?」

と思われたかもしれませんね。

もちろん、食性を正すことでダイエットに繋がることは言うまでもありません。ただここでも一般的な解釈とは少し異なります。

一般的には、

  1. 節食する

  2. 摂取カロリーが減る

  3. 痩せる

という感じですが、ベジタスでの考え方は、

  1. 食性を守る

  2. 食事量が減り、血液や内臓、自律神経が働くようになる

  3. 体調、体型、体重が正常化し、健康体になり、結果痩せる

といった感じです。

似て非なる理論です。まあここはなんとなくご理解いただければ大丈夫です。要は、

「我慢してするものじゃないんだ!」

ということです。しつこいなぁ…w。

経験ある方もいらっしゃるでしょうが(私もありますw)、我慢して食事量を減らしたところで結局リバウンドで戻るだけです。
我慢にあまり、意味は無い……。

では、食事量が減るとはどういうことか?
これをお話していきます。

大食は大罪であることを知っている私たち

いきなり、とんでもないことを言っております。
はい、予告通り暴走スタートw。

まず、前回さんざんwお話した通り、私たちは生き物の生命をもらって生きています
他の生物の生命を奪い、自分の生命に補填する行為。これが、「食べる」という行為です。

心優しい方ならこう思うかもしれません。

「食べ辛くなるから、そういう言い方は止めて!」

それです。その心の動きは、とても大切です。

潜在意識のお話になりますが、私たちは
「食べる」=「他者の生命を奪う」
このことを本能で理解しています。

だから、単純にたくさん食べることは罪となるため、必要最低限の「食べる」で済ませるよう努める本能があるのです。

実は昔の日本は、おおっぴらに「食事シーン」を人に見られることは「恥」とされていました。ほとんど「情事シーン」と同じくらいの扱いwだったそうです。ほんまかいなw
特に和歌や短歌、音楽や文学などで「食」を扱うのは極めてタブー!!だったそうです。

現代では考えられませんね。
食べる系のユーチューバーさんやそのファンの方がもし読まれていたら、なんか申し訳ないですw!ゴメンナサイ。

話を戻します。
仮に私たちがたくさんの生命を毎日食べていたら、それは必要のない無益な殺生を大量にしていることになります。いうなれば、これは大量虐殺です。

はたしてそうなるのでしょうか?

実はそうではないです。
ほんとうに生命のあるものを食べると、たくさん食べることは不可能です。本能なので。

いちばん分かりやすい例を挙げてみます。ご飯、「米」です。

本物の玄米を食べたことがある方なら分かると思います。玄米は、おかわりができません。
いえ、おかわりしてもいいwのですが、一杯で充分満足できるのでおかわりが要らないという意味です。

対して、白米はどうかというと。
美味しいおかずがあろうものなら、何杯でもイケてしまいますw。唐揚げなんかサイコーですね!
あ、私はベジィでした……w

つまり、白米は生命ではないので、たくさん食べられてしまうのです。罪の意識が無くなる、とでも申しましょうか。ちなみに身体にとってはいくら食べても「生命」として足りないので、次から次に求めてしまうわけです。

もし過食・大食でお悩みの方がいらっしゃれば、まず気付いてください。その原因は、死んだものしか食べていないからなのです。生きたものはたくさん食べられません

自然界において、死んだものはすぐに自然界の輪の中に戻す必要があるため、それを処理する生命体は際限無く食べられるようになっています。
ガンのシステムがまさに典型的な例ですね。ガンについては別途お伝えする予定です。

これらのシステムもまた、本能といえるのかもしれませんね。

「いただきますと言えるもの」を食べよう!

かなり、回りくどくなってしまいましたが、要するに。

食性を守って(身土不二)(一物全体)生命を食べていれば、自然と大食できなくなる。それが、人間である。

…ということです。
あぁ、ここまで長かった……w。お付き合いいただいて、ホントにすみません。ありがとうございます。

前回と同じことを言いますが、栄養成分などに惑わされず、生命をしっかりいただきましょう!
そうすれば節食・少食は自然と身に付きます。ヘタに意図して我慢してするものではありません。

最後に、日本には素晴らしい文化があります。これだけは、お伝えしたかったw。
「いただきます」の文化です。

世界広しといえども、食事前に食べ物そのものに感謝して食べる国は、そうそうありません。神様に祈るところは多いですが。

何を食べるにしても、「いただきます」は言ってほしいなぁ、と思います。口に出さずとも、せめて心の中で。手を合わせてほしいです。

もしそこで、いただきますを言うのがヘンだな?と感じたら。それは、恐らく死んだものです。
食べるなとは言いませんが(せっかく出されたものを食べ残すのもどうかと思うので)、次回から少し考えてみてください。

少しづつ、できるところからでいいです。私もそうでした。
私たちは生命を少しづつもらって生きている。
生命に対する感謝を思い出すことができれば、健康は取り戻せます。病気は無くなります。

願わくは、あなたが健康で元気に人生を謳歌できますように!!

次回からはベジタスに関するいろいろな雑学やプチ情報などを網羅していく予定です。
お楽しみに!
最後までお付き合いいただき、ありがとうございました!まいけるでした。

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