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もう一歩だけ、私自身に歩み寄ってみよう-りあらいあさんの素敵なKindle本を読んで

「こんな自分を変えたい」といつも思っている私。
どうしてそう思うのかな?と考えたとき、
「今の自分では社会でうまくやっていけない、認められない」という気持ちを抱えている自分に気づきました。
つまり、強い承認欲求があるということです。

元精神科看護師で心理カウンセラーのりあらいあさんが出版されたkindle本『ねぇ、私って生きていてもいいの?: 承認欲求で認めて欲しい、ホントのキモチ』。
まさに、今の私が求めていた内容でした…!
承認欲求は誰にでもあるもの。適切に対処すれば、ポジティブな力へ変えることだってできる。
もう一歩深くまで自分と向き合ってみてもいいかも
、と勇気をもらえた一冊でした。

周りから評価されたい、認めて欲しいと思うこと=「承認欲求」といわれる気持ち。
一般的にはそうですが、りあらいあさんは「私は生きていてもいい、と思えること」だと仰っています。

人間の承認欲求は、単に他人からの賞賛を得ること以上の意味を持っています。承認欲求の究極の目標は、『自分の存在が許されている』『自分が生きていてもいい』という確信を自分で得て、自分が生きていていいと認めることだと、私は考えています。

本書より抜粋

この言葉にすごく共感しました。

自分の生きている意味が分からなくなってしまった経験

私が自分の生きる価値を見失ってしまったのは、自律神経失調症になって大学院を休学したときです。
社会に出る前のあと一歩というところで、「毎日学校へ通えない自分」になってしまった。学業にすらついていけないのに、社会人になるなんて無理なのかもしれない。

働いて経済的に自立して、自分の家族を持って、主婦として・お母さんとして生きたいと思っていた。
それが小さいころから思い描く幸せの形で、私はその幸せを叶えるために生きているんだと信じていた。

このときの挫折で、「私は社会に適合できない人間で、社会に認めてもらえない人間なんだ。私が私でいるかぎり、順当な道を歩むのは無理なんだ」という気持ちが生まれ、ずいぶんと長く引きずってしまいました。

周りからそこまで否定的なことを言われたわけではなかったのですが、そのときは「否定されるんじゃないか」と常におびえていました。
また、一度だけ親に「あなたは弱いからね」と言われたことがあります。
私を否定するというよりは「弱い自分も認めてあげようね」という意味だったのですが、「弱い」という言葉を使われたのはショックでした。

世間の常識や周囲の言葉に敏感な私。
ちょっと否定的な言葉を受けたり、周囲と自分を比較したりしたときに傷つきやすい私。
そんな私が今でも好きになれません。

自己肯定感の低さと親に対して思うこと

自己肯定感や自尊心が低いのには、幼少期の愛着形成が関係しているとのことでした。

私の両親は決して毒親ではありません。私に向き合い、愛情を注いで育ててくれました。
でも、今振り返ると両親の喧嘩が多く、私が仲裁に入るようなこともたびたびありました。
「あなたはしっかりしているから」と言われる一方で、「あれはダメ、これはダメ」と干渉されることも多かったです。

家の中で安心できないと感じたのは、自律神経失調症になった後です。
もう大人で、親からの愛情がどうこうと言うべき年齢ではなくなった頃。
遅れてやってきた反抗期だったのかもしれません。「もっと私のことを理解してほしい、ダメなところも認めてほしい」と両親に対して期待していました。
いい大人なのに親に甘えてしまう自分を許せなくて、さらに悩みました。

少し前に、リンジー・C・ギブソン 著『親といるとなぜか苦しい』を読みました。両親の精神的に未熟なところに対して私が強く反応してしまったのかもしれません。

私にはアダルトチルドレンの気質もあると感じています。
このことについて考えた日は夢にまで出てきます…
考えるのは辛いけど、一度でも「そうなんじゃないか」と思ってしまったからにはこの気持ちは消えないし、思う前には戻れません。

それと、いま妊娠していて、子育てへの不安もあります。子どもに同じような思いをさせてしまったらどうしよう…

ここでいったん自分への理解を深めて、「じゃあこれからどうしようか?」というところまで考えてみようと思いました。結論が定まらなくても、モヤモヤしている今の状態よりかは前へ進めるはずです。

自分へのダメ出しをやめるためにできること

いずれにしても、自分を否定し続けていては苦しいだけ。
生きづらさを和らげるには、まず自分を許して認めてあげることが第一歩だと、りあらいあさんは仰っています。

承認欲求に適切に対処するためには、自己受容と自己認識が大切とのこと。

自分のありのままを受け入れる「自己受容」のステップによって、
自己批判や否定的な自己観から解放され、自己尊重が生まれる。
私の場合は過去の自分を振り返り、「こういう自分が嫌いだったけど、今は変わってきている」または「ここが短所だと思っていたけど、意外に好きになった」と分析してnoteに書いています。
自己受容には理にかなっているようなので、やっていてよかったと感じました。

自分の行動や感情の原因を理解する「自己認識」は、内面的な矛盾に気づいて本来の自分を出せるようになるためのステップ。
周囲に認められるための “キャラ作り” からの解放によって、生きづらさの解消を目指せます。

いろいろなことに敏感な私だけど、「なぜ私はこれが嫌だと思うんだろう?」「どうして自分を取り繕うような行動をしてしまうんだろう?」というところまでは考えが至っていませんでした。
りあらいあさんが仰るように、まずはそこに注意を払い、そのうえで自分の思考パターンについて客観的に考えてみたいと思います。

***

「おわりに」の手記を読んで涙がにじみました。

誰かにレールを敷かれた人生って
私のことを認めてくれているわけじゃないよね?

本書より抜粋

私も、「こうやって生きてさえいれば大丈夫」という確信が欲しかった。
そのレールを敷いたのは親なのか世間なのか、それとも自分なのか。
混ざりあって、わからなくなっている状態です。
周囲のせいにしてしまいたい自分と、自力でなんとかしないとと思う自分がいます。

答えはいつか見つかるのかもしれないけど、それまで私の苦しみは続くことになる。
自分を押し殺したままでじっと耐えるのはもうイヤだ。
そう思った瞬間を逃さず、きっかけへと変えたい。

りあらいあさん、素敵な著書を通して背中を押してくださり、ありがとうございました。

りあらいあさんのnoteもぜひ!

(画像はお借りしました)

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