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韓成南 「南伊豆町、これからの広がりと狭まり(滞在まとめ)」

ポストコロナ前後の時期から、国際情勢においても芸術文化においても、小さな問題、大きな問題が世界各地で矢継ぎ早に発生し、残念ながらどれもこれも解決策がない。一時的共存と戦闘の繰り返しで、平行線ならまだしも事態は悪くなる一方だ。また、明るい未来に向かうような技術発展や社会改革の息吹も思想も見いだせない。全人類が啞然呆然としているだけの、近代以降最も不幸で暗い時代だなと感じている。

第一報的情報は、新聞やTVではなく、SNSに移り変わった。SNSは元々深い思慮の下で発言するものではなく、思いつきだったり、不明瞭な事柄であったりしても、きまぐれやノリで発信するような「スピード感」とその「個人性」に特色があり、それが面白かった。アカウントが匿名であれば、その性質上、雑誌や本のように誰が、あるいはどの層が見るという対象もないに等しい。やがて拡散スピードがみるみる速くなり、ほぼ匿名の不特定多数の意見が、それほど深く検証されないまま、議論になっていない議論として展開し、時に発信者の本意も誤解され、当事者にとって思いもよらぬ結果となる。そのすべての流れを人々が面白がるという状況にある。

このため、SNSでの発言や行動に強く責任が伴われるようになり、他者からのチェック対象となって久しい。実際に私も、とある機関から調べられたことがあり、私のポストしたSNSを逐一チェックしたと聞かされ、その投稿が嘘か誠かわかるはずもないのに真実だと決めてかかってくる態度に気持ち悪い思いをしたことがある。こんなことをされるためにSNSをしているわけではないのにと思いつつも、このような稼業をしていればSNSをやめる選択肢などないのが現状だ。

SNSで盛り上がる内容というのは、法的に規制や罪とされていない部分に対して、道徳心を煽り、片端から罰を与えることだろう。最大公約数的に「不快」という感覚がそこにあれば、SNSにとって格好で適当な「題材」なのである。


アーツカウンシルしずおかが提案する新しいワーケーションである「マイクロ・アート・ワーケーション」は、旅人としてのクリエイティブ人材が、静岡県内の特定地域にて、まちづくり団体等の方々がホストとなり、その地域の魅力を旅人目線で掘り起こすものだ。noteという広義ではSNSと言えるプラットフォームに滞在中、毎日活動記録としての日記をアップしていく。初めは気負い、慣れなかったが、滞在後半になってくると、日記が終わることに寂しさを感じた。

1週間、完全にノープランで行くことに不安を感じるタイプなのと、地域案内まで少し日数があったので、結局事前にほとんど計画してしまった。今回、車は1日以外使用せず、バスか自転車で何とかしようとしたことも事前計画が必要な理由だった。宿泊先を探していた時、現役の海女さんが経営している民宿があったので電話をかけた。予想に反し、海女の現状を丁寧に教えていただくことができた。その集落は、伊勢海老漁も盛んであることを知り、10年前に西伊豆で伊勢海老が名物の民宿に泊まったことがあるなと思い出した。電話で軽く探りを入れると、集落は閉鎖的で、何十年住んでいてもいまだによそから来た人扱いをされるということに多少不満のようなものを感じている様子だった。結局別の民宿に泊まることになり、伊勢海老漁を取材しようと色々画策していたのだが、結局時化で見ることは全く叶わなかった。

1週間の滞在の様子は日々の記録( #MAW韓成南 )をご覧いただきたい。
私にとって南伊豆が本当にきらめきだしたのは、最終日の意見交換会からだった。ポートフォリオを使い、みなさんの前で自身の作家活動を説明している時だった。そのきっかけは、赤坂にあるドイツ文化会館のホールで、ダンス公演「退行と進化」を演出した際の写真を見せた後、意見交換会の参加者で移住者の方が、恐らく言ってみてもよいと判断されたのだろう、ご自身の集落で奇祭があるとおっしゃった。

「伊豆、奇祭」でネット検索するといろんな情報がきっちり出てきた。あるサイトの「ご神体の特徴もあり、広告のしづらさや色々なご意見もあり、4年間休止していたお祭りです」という文言に笑ってしまう。確かにSNSに投稿した瞬間アカウントが凍結されそうだ。

滞在期間中、ニール号について調べるために南伊豆町立図書館に行く予定にしていたが、タイミングが悪く行けなかった。ただ、予定通り図書館に行ったとしてもその奇祭について書かれた本に出合えたかは疑問である。事前リサーチでも南伊豆町の繁華街や赤線的な場所を調べたり、地域案内をしてくれたボランティアガイドさんにもその辺りの探りを入れてみたりしたが、これといって盛り上がるような話にはならなかった。今も青野川沿いのそこここに温泉の湯気が立つ現役の温泉場にもかかわらず、夜の文化が壊滅的に消滅している。どこが繁華街なのか、あるいは、過去賑わっていた場所を知ることはその町を知る一番の近道なのである。そういったところはたいてい、忌み嫌われる沼のような場所に集められ、また集まってきているものだ。その日は意見交換会後、帰宅する予定だったが、すぐに図書館へ行き、ニール号と奇祭について調べることにした。

私は普段「田舎」という言葉は使わないようにしている。ただ今回は、南伊豆町の方々が田舎という言葉に反応されて、激怒はしないだろうと先に断り、地方という言葉ではなく、あえて田舎と書くことにする。
南伊豆町は伊豆半島の最も先端部分にあり、古来より輸送・移動手段は山を越えることよりも海を中心に行われていたと推測される。下賀茂は温泉掘削時、大規模な遺跡が発見されたり、良質な石を取り出す石切り場もあった。また、海の幸や山の恵もあり、夏は海水浴、それ以外の季節にも温泉や河津桜という観光目玉もあるが、なぜか南伊豆町は全体的に静かな印象である。コンビニやスーパーはほぼなく、飲食店もかなり少ない。意見交換会と私自身の現地リサーチでその辺りの事情を知ることができた。山側は穏やかな方が多く移住者に対しても多少開放的だが、海側はかなり厳しいようだ。海側は家と家が隣接し、ある集落などは、自分たちの集落で働かないと家を貸さないことにしているそうだ。南伊豆町は、小さく個性的な集落の多数からなり、各々の集落の結束は相当固いようで、他の集落とは基本的に没交渉状態のようだ。港への道のりも一部を除き、山側にあるメインの道路から降りていくため、集落間の移動も陸より海からの方が早いだろう。だが、よほど緊急事態でない限り、各港には集落外の船が停泊することはない。

田舎が持つ排他的態度がここまで徹底しているところは今の日本でも大変めずらしい。離島の感覚に近い。妻良で出会った船長に、三代目から地元の人間として認められると聞いたと意見交換会時に言うと、南伊豆の方々が妙にその言葉に反応していた気がする。前述の東京から嫁いできた海女さんが感じた閉塞感も少し納得した。


南伊豆に関する郷土史、資料等が置かれている本棚

図書館へ行き、まずはニール号についていくつかの文献を読んだ。実際に沈没した場所と当時公的にアナウンスされた場所と違っていたようで、現地調査の際に行った富戸の浜から見るポイントが実際の地点で安心した。ニール号が沈没した1874年の2年後、沈没船は、なぜかフランス海軍からの提供による水雷で爆破されたらしい。爆破の経緯に関する資料が遺されていないそうで、不可解で隠蔽の匂いしかしない。当時、明治政府にどのような考えがあったのか、なぜ急いで爆破してしまったのか、今後の研究に期待したい。

次に南伊豆の風俗について、金輪際発刊されることがないような1970年代の本を読んだ。性的コンテンツが豊富な今、あえてこのような本が出ることもないだろうし、ミソジニー満載な点からも難しいだろう。
伊豆の道祖神を中心に紹介されている本や国内で1970年前後に個人旅行がブームとなった頃、南伊豆町が全力でPRしている感が伝わる、民話・伝承・伝説が中心の本を読む。特に後者は南伊豆町の名士たちが経歴と共に連綿と名を連ねるも、内容がかなり性的なものだった。その当時のおおらかさと観光のPRポイントが現在の状況と甚だしく異なり、南伊豆町だけでなく、当時の価値観を知ることができる素晴らしい文献だった。
私は、2000年代の前半に金光教、PL教、天理教、立正佼成会等々の新興宗教聖地巡りをしたことがあった。ご神体が珍しい神社を見つけると積極的に立ち寄りもした。また、幸運にも朝まで唄い踊り続ける高千穂の夜神楽にも夜通し参加させてもらい、クライマックスに天狗に襲われて笑う処女たちを見たこともあった。その頃は部外者でも快く受け入れてくれて、大変ありがたかった。
海外でもキリスト教、イスラム教、ヒンドゥー教、チベット仏教、その他(恐らく)新興宗教等の宗教施設を訪れて映像作品を制作したこともある。

なぜ排他的であるのか、そこには「共助」で成立している社会であることに理由がある。コロナやキャンプブーム、憧れの田舎暮らしを掲げた過疎対策としての移住者支援プログラムに沸き立つ今、それでも頑なに閉ざしている集落が存在する。集落外の人には説明しても完全に理解できないルール、価値観や倫理観が存在する。そこに外部からの良し悪しの判断は必要とされず、道徳的な罪も罰もない。海のコンディションと月の満ち欠けで漁を生業とする人たちは、生まれて身につけてきた時間間隔や生活リズムがあり、集落外の人が郷に入って郷に従っても、身体に染み込ませるには、本当に長い時間がかかるのだろう。集落では損得勘定なく互いに手伝うことが当たり前で、その行為を「手間する」と表現するように、相互干渉が当たり前、あるいは干渉という概念さえないのかもしれない。

恐らく本当に概念が違うのだ。他者からの理解をある程度拒むことが自分たちを守ることができる。集落の人たちが、よそ者に奇祭と呼ばれるような切実に子孫繁栄を願うお祭りを現代的な道徳観で尊厳を貶めることや、キワモノ扱いをして当事者が断罪される可能性があるのであれば、そのような伝統や風俗は、地域内でますます閉ざしていくだろう。実際、よそ者にどう思われるかわからない類のことは伏せられている感じがしたし、文献以外では目にする機会がなくなっている。子孫繁栄の想いは今も昔も変わらない。排他的社会における子孫繁栄の願いは、矛盾しているからこそ、より切実なものだろう。
効率性と個人的幸せの死守が現代社会のスタンダードである一方、田舎が持つ共助と時間感覚がそこから乖離していっていることは大変興味深い。想像力を全力で働かせても、根幹の部分は私には理解できないだろう。だが、そうだとしても、全く違った価値観で継続していく田舎のこれからが知りたい。資本主義の成れの果て、SNS全盛の現代社会を無視した田舎はどう進んでいくのだろう。

このような田舎にこれからの未来が見えるような気がしている。

2023年11月25日(南伊豆町|滞在まとめ)
© 2023 Sung Nam HAN

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