見出し画像

報告/「加害と被害について」連続対話会第2回

トオラスのさわです。

2022年10月15日から1泊2日で開催した、
広島県の大久野島へのスタディツアー。

非常に学び多き旅で、
ツアーに参加しなかった方も巻き込んで、
対話会を継続していくことにしました。

今回はその2回目。
2回目は、1回目よりさらに良い対話ができました。
参加してくだったみなさま、
ありがとうございました!

対話会のテーマ

第2回のテーマは、「加害と被害について」。

大久野島があるのは広島県。
広島といえば、原爆の被害を受けた町として有名ですね。
いわば、私たち日本の、「被害者」としての歴史。

しかし、大久野島で作られた毒ガスを使って、
日本が中国の方に対し「加害者」となった真実を知る人は、ほとんどいません。

では、毒ガスを作っているとは知らずに、毒ガスを作った人たちは、
加害者でしょうか?被害者でしょうか?
その毒ガスが使われた中国のことを思うと「加害への加担者」とも言えますが、
彼らは、製造過程で健康を害し、
戦後も生涯にわたって健康被害と生きていくことになった被害者でもあります。

戦争における加害と被害は、二元論で話せるようなものではありません。

私たちの多くは、可能なら、加害者にも被害者にもなりたくないはず。
そのために、
私たちが未来に向けてできることとはなんでしょうか?

参加者からのお話し

・大久野島で学んだことのなかで衝撃的だったのは、加害者と被害者がぐるぐると立場を入れ替えるというところ。それを、一方の面だけしか見ない・認識しないで、あるいは、知らないことによって何が起きるのか、 知らなかった、で済ませてよいのか、じゃあどうすればよかったのか、これからどうしたらいいのかなど、そういうことが一気に押し寄せてきて、重いテーマだと感じている。

・隣国との関係性については、個人的には純粋に「お隣同士なんだから仲良くしたい」と思うが、その時に、こちらが加害側で、過去に起きたことををきちんと精算しないで・・・ましてや、毒ガスに関しては、日本政府は公式に認めないままで来ていると聞いていて、その状態で、加害者側が過去を棚にあげて「仲良くしましょう」って言えるのだろうか。また、仮にきちんと認めて、きちんと謝罪をしたとしても、許してもらって仲良くするって、可能なのだろうか。

・ドイツでは、ナチスの大変な歴史を、自国がやったこととしてしっかりと語り継いでいる語り部みたいな人たちがいるという話を聞いた。ドイツの人は歴史をなかったことにせず、事実を話せる人がいなくなる前に、語り継ぐ仕組みを作っているらしい。もしそういう在り方が可能なら、日本も本当はそういうことができていくといいのではないか。

・加害者と被害者の立場がぐるぐる入れ替わることは、日常生活でもたくさんある。

・ 戦争の頃と違って、これだけインターネットの発達した時代で、その気になればなんでも調べることができる。知らないのは、知ろうとしない・見て見ぬふりをしたいってこともあると思う。そういうことに意識的になってしまったら、日常生活に支障をきたしそうだからと目をそらして、馬車馬のように働く・・・本当にそれでいいのか。やっぱり立ち止まって考えたり、意識したりしたいなと改めて思う。

・できれば隣国と仲良くしたいけれども、そもそも「仲良く」とはどういうことか。「仲良く」についても、1人1人思うことやイメージは違う。ただ、「ニコニコ楽しくハッピー」だけじゃない。人が生きるって、辛いことも、悲しいことも、許せないこともあるが、それらを超えて、隣同士の国で生き合っていくということを、 今日は本当に丁寧に話したい。どんな辛い過去も乗り越え合っていくって、どういうことだろうと、今日この時間だけでも逃げないで考えたい。

・隣国など戦争で影響があったエリアとの関係については、学ぶ機会がなかった。もっと昔の歴史はすごく勉強されられたが、近代史はカリキュラム的にもとにかくかけられていた時間がライトだったように記憶している。今の歴史の教科書がどうなっているのかわからないが、簡単に変えられるところと、誰かに委ねていては変わらない部分があるんじゃないか

・「私たち加害者で本当に申し訳なかったです」って言うことって、 これから未来に向けていろいろことを構築していこうという時に必要だろうか。何十年も前のことで、世代も違い、その時の時代背景も違って、戦争という異常事態で、なんとかしないと国が滅ぼされるという状況で、その時代の人たちはみんな必死に一生懸命生きていた。それに対して、過度に申し訳なさを感じようとしていないか。もちろん、いろんなことを知るのは大事だけど、その「申し訳なさ」は、前に進むのに障害になるんじゃないか

・シンガポールは、戦時中に日本に3年間占領されていた。日本の学校では習わない。シンガポールで、日本軍は、たくさんの罪のない市民を虐殺した。被害を受けた人はもちろんそれを事実として知ってるが、加害側の日本人が知らないのは、すごく問題だと思う。全員が知る必要はないけれど、シンガポールに縁がある人とか、住んでいる人、そこを訪れる人は、その土地の人がどういう思いをしたのかということ、いい・悪いじゃなくて、事実として何があったかについては、知っていた方がいい。

・加害者は、ずっと申し訳ない気持ちを持ち続けなきゃいけないのかという問いはいつも心の中にあるが、答えは出ない。しかし、シンガポールには、「never be late〜何年経とうが、謝罪するのに遅すぎることはない」という意見の人が一定数いて、もし今の日本の首相が謝罪したら、多くの人が素直に受け取るのではないかと思う。一方で、 いやいや、もう生きてる時代が違うんだから、過去のことはもう忘れて、お互い、今と未来の仲間として生きようよという人も、若いシンガポール人にはいる。いずれにしても、未来をどうやって一緒に作っていこうかを考える時には、自国の過去の人たちがどういうことをしたかという事実は、知ってないと、未来に向けたディスカッションができず、被害者側に言い負かされて終わってしまう。何があったか知らないままでは、一緒に未来を作っていくというところにそもそも立てない。だから、知る必要はあるし、知るべきだと思う。

・シンガポールは、日本に占領された3年間が、歴史の中で、一番苦しい時期だったが、当時の首相が 「許そう・忘れまい」というスローガンを掲げ、そういう政策を取った。この酷い出来事は、忘れない。絶対に忘れないけど、 許してもいいんじゃないか。みんな許そうよ、と国民に呼びかけて、 前進することを選んだ。そこで、もう許さないとか、恨みとか、悲しみとか、憎しみっていうのをずっと持ち続けてると、前進するのがすごく難しいと感じている。シンガポールがなぜ前進を前続けてこれたかを考えると、この国は許したからだなと感じる。許して、そして、事実を伝えてきた。戦争の歴史に関しては、その国によって偏った見方が色々あるが、被害国としての感情を入れずに、 事実だけを伝えてきたっていうのは、すごく大事。

・加害者と被害者っていうのが、今回のテーマだとすると、日本は被害者でもある。アメリカに対して私たちは、そんなに謝罪を求めたりしていないのでは?許すとかそんな感じもあまりないのでは?日本人は、中国に対しては、申し訳ないなと思わなきゃない、アメリカに対しては、別にいいよみたいな感覚がある。被害と加害を考えた時、不平等・アンバランスだと感じないか?過度に申し訳ないとか感じる日本人のメンタリティが、前進することを邪魔してたりするんじゃないか。

・子供の頃は、中国残留孤児がテレビに出て、実の両親を探すというような番組が結構あった。あの頃の、それまで日本の子供を育ててくれた中国への感謝というような雰囲気と、今私たちが思う独裁国家の中国のイメージがずいぶん違う。過去に私たちがしてきたことをこの人たちに謝らなきゃいけないと思う一方で、今の、このすごく怖い雰囲気の人たちに、 一体な何をどういう風に謝ることができるんだろうと思う。そう考えると、日本と中国の関係がすごく変化してきていて、今の中国を受け入れがいと思う感情と、 私たちが昔、加害をしてしまったんだという感情に、整理がうまくつかない。

・ずっと申し訳なさを感じながら、 それを背負って生きていかなければいけないとは全然思っていない。ただ、「知ること」と「知って、なおかつ忘れないでいること」っていうのは、時代がどれだけ変わっても、お互いの国も、国同士の関係性が時代とともに変わっていったとしても、やっぱり大事。事実を知って、それぞれがそれをどう思うかは1人1人違うっていいが、そもそも「知らされない」というのは、国家の罪だと思う。

・昨年が、日中国交正常化50年。50年前に中国との間で国交が結ばれる時の文書はちゃんと残っていて、外務省のページで読める。尖閣諸島についても、両方の国がそれぞれ自国の領土であると思っていて、違う見解を有していると確認している。そういうことはあるけれど、未来に向けて仲良くしていこうねって約束したはず。それを今になって、尖閣は自国の領土だから、中国がおかしいって言っている日本政府に対して、すごく大きな疑念を持っている。

・アメリカには謝罪しろとかあまり思わないということについては、個人的には、それは日本人の多くがアメリカに洗脳されたというだけなんじゃないかと思う。アメリカは、洗脳するのも、いかに日本人に恨みを抱かせないようにするかというのも、とてもうまかった。でも、今こうして何十年も経って、日本はアメリカと一緒になって軍事化を進めようとしていて、アメリカの言う通りに動くよう属国化されただけなんじゃないかと思う。

・「許そう・忘れない」っていうときの「許そう」は、ちゃんと事実を知った上で、知って、でも、意志を持って許すということ。それはすごい大事。「未来に向けて」を考えたとき、未来は時間が経てば勝手に来るけど、「許す」と意志を持って迎える未来と、ただ時が経ってくる未来というのは、全然違うものだと思うので、日本はアメリカを許そうと思って許したのか、 そもそもそういう立ち止まりや確認、振り返り、いろんなことの見直しを、この国はちゃんとしてきたのかという問いかけはしたい。

・日本人は時間薬に頼りがち。事なかれ主義で、なかったことにしがち。はっきりさせずになかったことにするみたいなとこがすごくある。あと、「おあいこ」みたいなところもよくあるように思う。加害者側が棚にあげてはいけないことなのに、どっちも傷ついたからいいよね、おあいこで、みたいにしがちなのではないか。

・ある社会の先生が以前、日本人はアフリカにボランティアに行くなと言っていた。アフリカにボランティアに行くべきは、アフリカを侵害したヨーロピアンで、日本人はもっと東南アジアにボランティアに行くべきだと。当時は気づかなかったが、今となっては、それはすごい拷慢な考えだと思う。日本人が東南アジアに行って、何かをしてあげるって思っている時点で、時代錯誤。バージョンアップが求められている。

・通常、「ゆるさない・忘れない」というのが自然な感覚。「ゆるす」と「忘れない」がセットになっているというのは本当にミラクル。この「ゆるす」の前に「知る」が入るとすると、この3つ(知る・ゆるす・忘れない)をセットにすることが、私たちの歴史観を次の世代に繋ぎ、子供たちに話したりする時の大切なコンセプトなんじゃないか

・日本国内でも戦国時代にはいろいろな戦いがあったが、その頃のころはよく知らないし、覚えていない。全く知らなくていいとは思わないが、過度にいろんな過去のことに反応することによって、今を阻害してるような感覚がある。被害者・加害者だって、何十年も何百年も経っても言っていると、今が見れなくなる・阻害する感覚がある。だからって、知らなくていいとは思わないが、そういう感覚がある人もいるんだよっていうことを、皆さんに知ってもらいたい。

・やっぱりこのような対話ができることがすばらしい。戦争の歴史のをテーマにした対話会をシンガポールでやったことがあるが、言い合いになってしまう。言い合いになったらいけないということではないが、未来をどうやって作りたいかという、そこがどうしても抜け落ちてしまう。それぞれが「私の言ってることが正しい」になってしまい、人の話を聞かない。論破してもいいし、言い合いになってもいいけど、そこに、お互いを理解しようと思う気持ちがあって、対話ができるっていうのは、すごいことで、それが未来を作るっていうことなのだと思った。

・未来とは、過去を知り、共に今を生きながら、言い合いになっても、そこを超えていくこと。言い合いになる時って、みんなが互いの話を聞かなくなって、対話にならない状態。人類がそこを超えていくことが大事。違う意見の人と、 お互いが正直になり合いながら、お互いのことを聞く、それは要はその人をその人として認める、尊重するっていうこと。それができる人がどんどん増えていかないと、未来は ないような気がする。そのための社会実験の場、修行練習みたいな場だった。結果としては、未来への希望を強く感じ、そのような時間を年の最初に持てたことに感謝。

・事実を知ることの難しさ。中国とのことなら、日本人が書いた文章と中国人が書いた文章では全然違うし、同じ日本人、同じ中国人でもそこにもいろんな立場の人がいて、それぞれに全然違う。それらを全部見ないと、真実は見れないのではないか。しかし、全部見るのは無理なので、自分でいろいろな情報にあたることは大事だけども、その後こうやって対話の場にでて、「あ、私はそれとは別の、こういう事実を知ってるよ」って、みんなから情報を集める場としての対話も重要なのかも。みんなの力を借りて、集合知で、「実際のところどうなんだろうね」を話せるといい。

・各国の背景を、集団で見るのは無理。理解し合いたいのなら、最初は1対1でバックグラウンドを知った上で関わって、その上でちょっとずつ全体性を見ていくみたいなことが必要。



まとめ

「ゆるす・だが忘れまい」
本当にパワフルでミラクルな言葉ですね。

これは被害側のマインドセットとしてとても重要だけれども、
加害側だとしても、「知る・忘れない」は重要だと思いました。

実は、第4回の対話会のテーマは
「ないことにしない」。

今回の対話に関連した話ができそうですね。

でもその前に、第3回は、1月24日です!

★さーやも感想記事を書いてくれているので、
こちらもぜひご覧ください。
https://note.com/wysiwyg/n/nc8f0258fd288


第3回対話会のご案内

うさぎ島から考えよう!連続対話会(第3回)のテーマは、「うさぎ化とはなにか」です。
2023年1月24日(火)21:00-22:30 
お申し込みはこちら
https://torus-usagi-after3.peatix.com/

3度の戦争に使われた歴史をもつ大久野島は、
現在は、ピーターラビットと同じ種のうさぎと触れ合える、
美しく楽しい観光地として生まれ変わっています。

観光収入により潤っている人が間違いなく存在する一方で、
毒ガス工場で働いて健康被害に苦しむ人たちは、
原爆被害者とは異なり十分な補償を得ることもなく、今も苦しみ続けています。

島じゅうに可愛いうさぎがたくさんいて、
家族連れやカップルがふれあいを楽しむ様子と、
大久野島に残る、数々の戦争遺跡とのアンバランスな様子は、
私たちの目にはあまりにも異様に映り、言葉を失いました。

このような状況を、参加者たちはいつしか
「うさぎ化」という言葉で表していました。

住む人のいないこの島を訪れる人の9割以上は、うさぎ目当て。
それでも、そうしてその中の何人かが、大久野島の歴史を知ることになるのなら、
「うさぎ化」にはメリットもあるのでしょう。
観光地化していなければ戦争遺跡も忘れ去られてしまいますから。

気づけば、世の中にあふれている「うさぎ化」。
「うさぎ化」の本質をとらえた上で、
私たちが未来に向けてできることとはなんでしょうか?



ミドルパークについて

大人のヒミツキチ ミドルパークは、
トオラスのオンラインサークルです。
対話の基礎体力をつけ、対話の場数をたくさん踏むことができる場を目指しています。
あなたも仲間に入りませんか?

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?