トルコ②銃や麻薬の世界で生きる現地の子から言われた”Enjoy your life”

トルコ①の続き。イスタンブール2日目、アルがファザのケータイとお金を奪って消えちゃった日のことについて。

イスタンブール2日目:トルコの生活、違法に売られてる銃のお店みた

次の日、ファザは10時から仕事(昨日行ったレストラン、ファザの職場)だったんだけど、友達がその仕事の前に会ってた。Yさんは10時前に一旦帰ってきて、彼のシフトが始まった10時過ぎに、そのレストランに私たちが行って、またファザに会う予定だったの。でも、Yさんに連絡があって、ファザの仕事がなくなったから一日中イスタンブール一緒に回ろうってなった。

もう本当にわけがわからなかった。実は前日、気持ちがいろいろ疲れちゃって、先にホテル戻ってたの。Yさんはファザと1時間くらい歩いてた。まず日本でも深夜に街歩いたことなかったのにトルコのテロ直後のイスタンブールを深夜1時近くに歩いていたことが怖かった&ファザとの生活の違いや考え方の違いを消化しきれてなくてパニックみたいになってて、気がつくと涙出てて止められなかった&シンプルにYさんが無事に帰ってくるか心配だった&…トルコを受け止められてない状態だったから、朝から「仕事無くなった」って聞いた時の私のメンタルは余計ぐしゃぐしゃでした。

因みにYさんが朝ファザとあっている間、私はホテルの朝食を食べてた。後述するけど、どのお店通り過ぎても「テラス席あるよ」と勧誘してきた。そんな「意味深なテラス席」で不自然なくらいフレンドリーなスタッフを前に朝食食べてた。

美味しかったんだけど、ふと外を見ると、地上からでは見れない、荒んだ地域が露わになってた。(写真にはあまり写ってないです。しっかり取れなかった
、)優雅な食事とすぐ隣に貧しい地域。心ぐちゃぐちゃで泣きながら食べてた。

しかも、スタッフが格好だけちゃんとしてて、気持ちこもってないのに形だけの接客で、バイキング形式だったからなんだけど空いたお皿を片付けていくの。まだパンが少し残っているのに片付けようとしたり。マニュアル通りのロボットみたいだった(表現酷いのは承知ですが正直な気持ちです)。ますます頭がこんがらがった。

で、ファザの仕事無くなったコールを受けた後、ファザとYさんと3人でイスタンブールを歩いてた。まず、グランドバザールに行った。調べたら必ず出てくる観光名所。入口では金属探知機とか荷物検査があった。

奥の方まで行って、グランドバザール抜けて、銃売ってるところも見た。ファザが本物って言ってたから本物だと思う。(ってことは本物の銃を見たことがあるってことなんだなって思ってゾッとした。銃に見慣れた感じだった。)銃はトルコでは違法です。銃売ってる地域の細い道も行った。

本当に怖くて、でも記録しなきゃと思って、動画にして、腕を組んで腕の間にスマホ挟んで隠し撮りしてた。多分、ファザがいなかったら危なかった気がする。

ファザはグランドバザールみたいな観光地の外では「現地人」として見られてた。どういう意味かというと、観光地では、Yさんや私といるから「観光客」として見られてたの。

例えば、値段。グランドバザールはこんな感じのショッピングモールみたいにたくさんお店が並んでる。

ファザが、「自分にはいつもその値段言われない。今、君たちといて観光客って見られてるからこの値段を言われるんだ」って教えてくれた。「今自分がいつも提示される数倍の値段を提示されてる。ここでは買わない方がいい」とも言ってくれた。

トルコの人たちは、必死に生きてるんだと感じた。彼らはトルコに住む人々(特に貧しい人々)に対しては彼らの生活を知っているから、安い値段を提示し(実際その値段の価値なのかもだけど)、観光客を財源として見る。

ファザと歩いている中で、彼らの生活の深くまで見た気がする。

ファザはグランドバザールによく来る。でも、それは買い物のためじゃなくて為替を見るため。観光客用に沢山両替所があったの。両替所の手数料?を比較したり、為替を頻繁にチェックしてトルコリラをいいタイミングでドルに変えて、少しでもお金を増やして家族に送ってるんだって。

イスタンブール2日目:ファザの人柄、麻薬から守ってくれた

ファザにはいろいろ教わったけど、一方でファザも私たちから新しい価値観を発見したんだと思う。

お店のマネキンが風で倒れた時、私たちはマネキンを起こした。日本人にとっては普通のことだと思う。でも、ファザは、「なんで人形直すの?なんの得にもならないじゃん」って笑顔で言ってきた。Y私たちは「ありがとうって言われたいじゃん」「直したら他の人も気持ちいいよ」って言ったの。ファザは「Why??」ってずっと言ってた笑

あと、観光客が多い時に、ハジに寄ったり前からくる人を避けたりしてぶつからないようにしてたら、「なんで人を避けるんだ?突っ込めばいい。君が避ける必要なんてないよ」って言われた。私の頭の中では、痛いからぶつかりたくないしぶつかったら相手に迷惑って考えだった。「相手が痛い思いする」って言ったら、また「Why??」ってずっと言ってた笑

その後ぶらぶらしてスタバへ行った。なんでスタバかって言ったら、私がメンタル的に疲れちゃったから笑 本当は、銃とかが売ってる地域の奥の船着場から、船で向かいの半島?に行く予定だったの。ファザはクリスマスマーケットに行きたかったみたい。でも、その向かいの半島?は数日前にテロがあったところだし、テロなくても若干治安悪目だったから私たちは行きたくなかった。

その海の近くの場所からスタバのある中心街までファザを引き戻すのが大変だった、、、治安悪いからとか正直に言っていいかわからなかったし、日本語で友達と話してると英語で話してって言われるし(これはわかるけど)。

で、無事中心部まで来た時にたまたま近くにスタバがあって、休みたくて入った。ファザには、向こうの半島はモダンなエリアだけど私たちは歴史的な建物が見たいって言って中心街まで引っ張ってきたから、スタバって言ってしまったとは思った笑ファザにスタバはモダンじゃないじゃんって案の定突っ込まれたけど、多分私の思ってることがわかったのか、とにかく休みたいって言ってスタバに行く合意がとれた笑

スタバは混んでたけど、三人掛けのテーブル見つけて席を取ったの。注文しに立ち上がったら、立ち上がった瞬間ファザの椅子を他の人が取ったの。

びっくりした。本当に許せなかった。ファザが現地のスラムから来てるって気づいたから(ファザは見たら格好的に現地の人だなってわかる)、ファザの椅子を取ったんだと思う(推測でしかないけど多分そう。その後もファザとYさんが外にタバコ吸いに行ってる間に、2回ファザの椅子が取られそうになった。メンタル的に喋れる状態じゃなかったから(口開いたら涙止まらなくなる)、代わりに思いっきり睨みつけた。)

ファザの椅子が取られた時、私また号泣だった。なんで勝手にそこに座る人がいるってわかっといて椅子平気に奪えるのって思って。薄情さにショックすぎた。

ファザに、なんで泣くの、って言われたから、あの人たちが許せないって言ったの。そしたら「誰も信用するな。みんなみんなのこと信用してないよ。君だって自分のこと信用する必要ないんだ」って。でも、私は「みんなみんなのことを少なくとも気にかけることできるじゃん。しかも私はあなたを信用してるよ。友達じゃん。」って言ったの。そしたらファザは何も答えなかった。

きっと、私たちが思い浮かべる定義での「友達」って感覚、ファザにとって初めての経験だったと思う。「友達」、を学んだんだと思う。

アルのような信用でしか繋がってない関係や男女関係でもない「純粋な友達」。

正直前日、初めて会った時は女性の若い観光客で普通にカモとして見られてたと思う。私が先に帰った後、Yさんファザの家行かされそうになったから。もちろんYさんがNoって言った。ファザの周りの女友達が純粋な友達じゃなくていわゆる女友達?だから(色々複雑なんだけどとにかくファザの女友達とのチャットは彼女たちの変な写真ばっかだったらしい)、YさんがNoって言った時驚いたのかも?だから、前の日からもしかしたらファザの価値観、変わり始めてたかも、とも思う。全然わからないけどね、他人だし違う世界で育ってきたから。

まずね、ファザは私たちを麻薬から守ってくれたの。

スタバにいる時、ファザがアルを呼んだの。YさんもMiharuもいるから来なよって。チャットで。そしたらアルからすぐ返信がきた。それを見て、ファザはびっくりしてた。「Whatttt???」って。笑ってたけどね。

私がどうしたの?って聞いたら、写真を見せてくれた。

「何かわかる?」って聞いてきた。そこに映ってたのは大きな黒い塊。大きな石みたいだった。私は「石?」「パン?」って思いつく限り言ってみたけど、ファザは笑って首を振るばかり。そしたら数分後答えを教えてくれた。

「This is weed. 大麻だよ」って。「これが1キロ、これが3キロ」って続けて写真を見せてくれた。

「アルが大麻手に入れたって言ってるんだ。それをここに持ってこようとしてる。でも、君たちにはダメだって言った」って言ってきた。大麻、麻薬、どんなものかわかってた。違法で危険なもの。私が大麻の写真の写真撮っていいか聞いたらダメダメダメって言われたし。(焦ってるとかじゃなくて笑顔でダメだよ、みたいな感じで言われた。)大麻は良くないってわかってても、生活のためにやってるみたい。

なのに、私たちなんて格好の餌なのに、守ってくれたの。

普通なら、多くの場合私たちは餌にされてたと思う。しばらくしてアルがスタバに合流したんだけど、大麻の香りがした。大麻なんてもちろんやったことないけど、これが麻薬なんだってわかる異様な匂いだった(アムステルダムのCoffee shop沢山あるエリア行った時に感じた匂いと一緒だったからすぐ麻薬だって思えたのかも)。それに、アルの目は充血してたの。大麻を手に入れて大麻吸ってきたんだなって思った。あとでわかったことなんだけど、この時アルは大麻持ってきてたみたい。

アルが多数派、ファザは本当に奇跡みたいな少数派だと思ってる。

色々精神的に疲れちゃって、先ホテル戻ろうとした時、タクシー乗りなってお金渡してくれたの。「そのお金じゃ足りないから」ってお金をくれた。昨日「You are rich」って言ってたし、私たちがお金あるの知ってるのに。


私がホテルに帰った後、Yさんはファザの家に行ったの。ここからは、友達から聞いた話。

ファザの住むエリアは、観光地のグランドバザールの道路挟んだすぐ近くのエリアで偽造書類でトルコにきたイランやアフガニスタンの人たちが沢山住んでるんだって。私たちだけで入ったら何されるかわからないエリアだったみたい。Yさんはファザが一緒だったから大丈夫って言ってた。ただ、アルがいわゆるスラムの人。ファザがいなかったら大変だったみたい。

アルがYさんに乱暴しようとして、Yさんが「No」って言ったら、ファザはアルを止めた。アルが撮ってたビデオも止めさせた。アリがYさんにしつこく迫った時も、ファザを呼んでやめさせたみたい。

あと、アルが大麻を吸おうとした時に、Yさんが自分の前では大麻吸うなっていったら、ファザがアルを止めたみたい。ファザも吸わなかった。

トルコ①で書いたんだけど、アルはファザが唯一信用している人。ファザが自分のスマホの待ち受けをアルの写真にするほど。孤独な生活の中で、生きてくためには心の支えになる人は絶対必要なんだって思った。それくらい生きる支えと言っても過言じゃない人に、「やめろ」って言える人柄、本当に奇跡。よくそのスラムで、アルのような人たちばかりのところで(一概には言えないかもけど、率直にそう感じた)、どうしたらそんな人柄維持できるのって思った。

スタバで泣いてる時、ファザはある数式を見せてきた。「この関数、解ける?」って聞いてきた。普通に難しくてわからないって言ったら、その関数を検索して、答えを見せてきた。
スマホの画面には、その関数のグラフがあって、ハート型だったの。そんな式だったの?!ってびっくりして笑顔になった。
あと、指でマジックをしてくれたり、スマホで綺麗な写真の撮り方教えてくれたり。

指マジックの仕掛け、教えてもらっても結局できなかったし、そのスマホで綺麗な写真の撮り方誰も知らないと思う、私日本人で初めて知ったと思う笑

卓球もするんだって。びっくりするほど上手だった。卓球のミラクルショット見せてくれたり、絵かくの好きなんだって絵を見せてくれたり。絵は、自然の絵でとても心落ち着く絵だった。しかもとっても上手!!道端に書いてある落書きや悩みのある人が書く絵って、何か訴えかけるような思い絵になりやすいみたいなんだけど、ファザの絵は全然そんな感じじゃなかった。淡い色使いで、風景画。

こんな素晴らしい才能があるのに、誰もファザの才能に気づかないし、スラムに住んでるからそもそも差別されてファザ自体無視されてるんだなということを、ますます思って心痛くなった。トルコ①で書いたけど、アフガニスタン人だから給料や薬貰えないとかもこれに当てはまるなと思った。

この心の痛さと、マジックやハートの関数、卓球のミラクルショットや風景画を見て笑顔になれるほっこりする気持ちという、真逆の気持ちが同時にあって、わけわかんなくなってまた涙止まんなくなっってた。

そしたらファザは、「苦しい時こそ笑うんだ」って言ってきた。「Enjoy your life」って繰り返し言ってきた。

ファザは私がどうして泣いているのかわかって、あえてファザの生活やトルコについての話を避けて楽しい話題にしてくれてたの。私がちょっと寝たいって言ったら、テーブル痛いからってジャケットを貸してくれて枕にしてくれたりもした。

ちょっと間を置いて、ファザはゆっくり生活について話し始めた。
「今日、仕事無くなったんだ。仕事に行って、理由なしにいきなりクビって言われた。でもこうして笑ってるよ。人生は良いことも悪いこともある。それがlifeだ」って。「笑いなよ」って何度も言われた。

ファザね、生活苦しいはずなのに、ずっと笑ってた。

スタバはコーヒーしか売ってないって思ってたみたいで、フラペチーノを奢ったの。そしたらすっごい目を輝かせながら「おいしい」って言って飲むの。

チェキで写真撮った時、チェキの仕組みとか興味津々ですっごい笑顔でチェキを触ってた。どうなってるの?って聞かれて答えられなかったです笑 あとね、目をキラキラさせながらできた写真をずっと見て感動してた。大事そうにスマホのケースの中に入れてた。あとでYさんから聞いたんだけど、ファザはもらったものは絶対に誰にも渡さないって言ってたんだって。このスマホは絶対に無くさないって言ってたんだって。

Yさんから聞いた話なんだけど、Yさんがファザの家にいる時、どうやったら日本に行けるか話したんだって。トルコを出るための書類、日本に入るための書類、日本に入る最低限の条件などなど。それをファザは目を輝かせて聞いて、絶対日本行くってすごい笑顔で話してたみたい。
でもきっとその他大勢の人は違う。アルはその話聞いて嘲笑ってたんだって。

ファザは本当に夢や人柄を忘れないで、世界の差を受け入れて、精一杯生きてた。

「夢は、家族に家を買うこと、車を買うこと。生活苦しいけど自分には家族がいるのがとても幸せ」って言ってた。

彼は車が大好きで、イスタンブール歩いてる時に駐車してある車見るたびにこれは何の種類だって全部知ってた。あと、彼はペルシャ語、英語、ロシア語、トルコ語を話せる。トルコの現地の人、そもそも英語喋れない。観光地は置いといて、初日に行ったイズミルって街であった人みんな英語通じなかった。もちろんアルも喋れない。
そんな中で、学校にも行ってないのに、自力で勉強してる。
苦しい生活の中で、夢も人間性も失わずに、受け入れるものは受け入れて、真っ直ぐに生きてた。

「5分前にテロの現場を歩いてたんだ。5分ずれてたら死んでた。」
こんなことも、笑顔で言ってた。

私、本当にトルコの経験通して、生き返らせてもらったって言いたい。今まで、生かされてたんだなって思った。生きれちゃうんだけどある意味生きてる心地してなかった気がする。スウェーデンに来て生き返って、トルコ受けて、自分を軸が強くなった感じ。

今まである意味「楽」だったのかも。だけど、自分で掴む本当に「楽しい」ことを知らなかった気がする。

自分がやりたいことやってきたつもりだったけど、用意されてるメニューの中から自分のやりたいことを選んでただけかも。自分でメニューを作るってことをしてこなかったと思う。(メニューって言葉、他の友達から言われてハッとしたのがきっかけ笑)

ファザの強さを見た一方で、崩れそうな部分も見た。孤独さのこと。私たちが帰った後、アリはファザの財布とケータイ奪って消えた。
ファザから何回も電話かかってきた。私は基本的に出てなくて、ここからはYさんから聞いた話。
ファザがアリを殺したいって言ってたんだって。それをYさんがが必死に止めた。殺しをしたら全て終わるからやめなって。
麻薬をやめてちゃんとした仕事つけって言ったら、ファザから麻薬やめて面接に進んでるって連絡受けたみたい。

ファザは麻薬のおかげでお金はある。だからファザは書類揃えれば日本行くって言ってたんだって。でも、現実的にスイスとかの方がいい。Yさんは日本は学歴ある難民でさえ入国が難しいし、仕事も見つからない。まず日本語できないとだし。スキルがないとほぼ不可能だから、日本来ない方がいいって言ったんだって。(私難民支援のNPOでインターンしたことあったから、先輩に聞いたりしてYさんにその資料とかは送ってた。でも私はまだまだ弱くて、ファザの電話やメッセージには出てなかった。)

でも、ファザはきかなかったんだって。Yさんがいる日本がいいって。これ以上一人になりたくないって言ってたみたい。アルに裏切られて心の傷は深いし、誰も心の支えになる人がいない。しかも、私たちと会って「友達」を知ってしまった。孤独、より大きくなってるんだと思う。

私は連絡取ってないし、Yさんも最近ファザの電話出てない。
(今、ファザがどうしているかわからない。
こんなこと言うの悲しいけど、最初に日本に来ないでほしい。日本きてもまだまだ難民移民には厳しい。お金もったえないし。まずは別の国に行ってほしい。難民のNPOにいた時よりも、現実の厳しさや法律のことを理解できるようになった気がする。)

ファザと何があったかは以上です。でもね、他にもトルコでの出来事があるの。
③でトルコ全体のマイナスなことについて
④でトルコの優しさ(こっちは本当に暖かい優しさ)
⑤でこのトルコ旅行から3ヶ月後のトルコ地震とトルコで出会った友達の心の叫び
を共有します。

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