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決めるとは?自立とは?自覚とは?

星の数ほどの投稿がある中、
ご訪問くださりありがとうございます。

先日のこちらの投稿で、《決める》ことの大切さを書きました。

ふしぎ能力(サイキック)を開花させたいのなら、《決める》ことだと。

どうして《決める》が大切なのかを、わたしなりにもう少し言葉で説明してみたいと思います。

全てはエネルギーだと言われています。
エネルギーということは、実体がないということです。

どこからどこまでが何というハッキリとした境界線がありません。

神様や仏様に置き換えて見ると分かりやすいかもしれませんね。

神様や仏様は「居る」と言えば「居る」し、「居ない」と言えば「居ない」のです。

けれど、居ると《決める》ことで感じられたり、現象化され、実体がないカタチができる。

《決める》とは、《立ち位置を宣言する》ことなのだと思います。

《立ち位置を宣言する》ことで、カタチ無きモノがカタチを持て、わたしやあなたの世界に存在できるようになる。

逆に言えば、神様や仏様がいない世界を創ることだって出来るのですね。

神様・仏様は本当に居るのかどうなのか?
唯一の正解や正しさとは?
こちらで書いているように、その答えを探し求めていた時期がありました。

けれど、それを他の誰かに問うたり、時に自分の信じる何かを誰かに「居る」のだと分からせようとすることには意味がないし、出来ないのです。

唯一の正解などないのですから。
どちらが本当で、どちらが嘘ということではないのです。

多くの人が参拝している神社さんはパワーがあるなんてことを聞いたことがあるかもしれませんが、こういうことなのだと思います。

神様が先に存在していたわけではなく、その存在を信じる人がいるから存在できるのです。

そう思うと、守り(神様など美玉たち)・守られる(人間)という固定された役割や関係ではないとも思うのです。

美玉たちも時に、守る役割なんて放棄して(笑)、ただ存在するだけでイイのかもしれません。

余談ですが、「神様が先に存在していたわけではなく、、、」とうことについて、初めてふと頭をよぎったのは、今からもう30云年前の高校生のときだったのですが、その頃は、今風に言えば、宗教2世だったので、なにやら「マズイ!」と、とっさに思って、なかったことにしていました。

結局、今になって回収作業をしている感じです。
話が外れちゃうので、この辺のことは、また別の機会に。

話しを戻して、《決める》とは、誰かや何かに決めてもらうのではなく、自分で自分の《立ち位置を宣言する》こと、これが《自立》なのだと思います。

実は無意識に、目にしている形やカタチ全ては、自分が決めて、存在させているのですが、それを【自覚】していることが【覚醒】なのだと思うのです。

そして、この位置を《決める》つながりで、『名前』って、とても大切なのだと感じています。

わたしは、2019年のある日、ふと空を見た時に初めて、「龍神さんって本当にいるんだな~」と感じ、2020年に出会った人にそのことを話したところ、「だって、あなたには銀龍がついてるじゃん」と言われたのです。

そのときのことは、こちらの投稿に書いています。

そのときに、「名前を付けたら、もっと仲良くなれるよ」とも言われまして。

どうして『名前』を付けたら仲良くなれるんだろうと、ずっと疑問に思っていました。

それが、今になって少し分かったような気がします。
次回はそのことについて書いてみようと思います。

本当に望みさえすれば人生の再設定は可能です。
過去だって書き換えられる。
「あなたが見てる世界は、あなたが創っている」のだから。

読んでくださった優しい魂のあなたへ。
明日が来る「奇跡」に、全ての存在と出来事に、感謝を込めて。
大地と宇宙のエネルギーを取り込んで、わたしからのマゼンタ色の愛をミックスして送ります♡


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