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友との再会

大学時代の友人と20年ぶりに再会した。

会う前は、20年も会わないと初対面のような感じになってしまうのかな??と心配したけれど、会った瞬間に20年のブランクは埋まり、全然変わっていない彼女の様子に、2〜3ヶ月前にも会った友人のように、普通に話していた。

近年感じる自身の身体の変調や、いよいよ始まりそうな両親の介護のことなど、自分の健康と時間には限りがあることを改めて感じたとき、やりたいことはやろう、人生のあれこれで交流の途絶えた友人たちに会いたいと思った。

長い間会っていなかった人に会いましょうと自分から連絡するのには勇気がいった。でも、ここで勇気を出さなかったら、勤務先と自宅を往復するだけのこれまでの生活と同じになってしまう、それだけはどうしても避けたい、という思いが背中を押した。

彼女とは、銀座近くの隠れ家的なお店で、ランチの時間をすごした。フランスから直接取り寄せたというめずらしい食材や素材の味を十分に生かした丁寧なお料理を堪能しながら、お互いの20年をしゃべり尽くした。

こんなに心を許してしゃべり、心の底から笑えたのは久しぶり。青春時代を一緒に過ごしたからこそ、打ち明けられるホンネやグチを口にすることができた。

どんなときも相手の状況を理解し共感し、相手を立てる彼女のコミュニケーションのスキルは、すでに学生時代に確立されていて、多くの友人たちがそれに助けられてきた。それは今も健在で、いや、社会人としての経験によって、あるいは家庭という一国一城を取り仕切ってきた生活によって、さらに磨きがかけられていた。

このときも、思うようにはならなかった職場の人事異動について、私が泣き言を言っていると、

「でもさ、それは今のチームが、まだあなたを必要としているってことだよね」

笑顔でさらっと返された言葉に、ハッとした。

そんなこと、考えたこともなかった・・・。

仕事も家庭の状況も違う彼女ではあるけれど、学生時代から自分の役割と立ち位置と、そして自分の幸せの在り処を十分に分かっているかのように見えた彼女の生き方に、もう少し私も肩の力を抜いて生きてもいいのかもと思った。

めずらしく店内には他のお客さんはいなくて、私たちの貸し切り状態に。誰に遠慮することなく、ランチの開店時間中、しゃべり合い、笑い合った。コース最後のデザートのころには、お互い、日常生活の雑事で波風たった心が癒されていた。

その後、近くのホテルのロビーラウンジに場所を移して、さらにおしゃべりは続き、気がつくと、会ってからすでに5時間が過ぎていた。そう遠くない再会を約束して別れた。

帰宅後、母から、「今日は顔がピカピカしているわね」と言われた。心なしか、しばらくひどかった眼の疲れも感じることなく、いろいろなものがよく見えるような気がした。



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