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ここにしかない、つながり

noteという世界に足を踏み入れた。

それまでも、いろんな居場所はあった。

活字中毒だったかつての私は、大人になってどこへでも自分の足で出かけられるようになったからか、いつのまにか本を必要としなくなり、自分の目で見て、手で触って、確かめられるものしか信じなくなった。あの頃、とてつもなくまぶしく輝いてみえた本が連れて行ってくれる世界より、現実として自分の手でつかめるものに夢中になった。

そうやってたくさんのものを手に入れた私のもとへ、ある日こどもがやってきた。それから、私の世界は閉ざされた。なんていうと大げさかもしれないが、常に最優先したいものではなく、せざるを得ないもの、が突然現れて、私の世界はたぶん混乱していた。

外の世界は遠くて、今の自分の足では駆けていくことができない。愛すべき存在に両手を塞がれて、つかみたいものをつかめないもどかしさ。そして、そんなふうに考えてしまう自分への罪悪感、のようなもの。言葉にならない想いが、とめどなく胸をしめつける。

こどもが寝ているわずかな時間だけが、自由な世界だった。

そうしてまた、本が私の救いになってくれた。どこにいても、たとえどこにも行けなくても、本を開けば私の世界がその先に広がった。どこまでも自由な世界を思い出した。だけど、育児という途方もないミッションの中では、その本を手元に置いておく、ということでさえ難しい時もある。そもそも読みたい本を選ぶことすらままならない。

そんな時出逢ったのが、インターネットの世界だった。

世の中にスマホが登場し、「外の世界」はいまや指先一本で手に入るようになった。スマホはいつでもどこでも、私の傍らにいてくれる。困ったこと、知りたいこと、人との関わり、情報のその先のその先へ。そこには私の求めているものがすべて、あった。あっというまに夢中になった。

いくつものSNSの世界に身を置いてみて、そこですれ違う他人とのやり取りが私を救ってくれた。育児という藪の中を傷だらけになりながら手探りでかき分けていく私の足元を、先行く見知らぬ誰かの経験談がそっと優しく照らしてくれた。それは別に私のために置かれたものではなかったけれど、十分に心を温めてくれる灯りだった。

物理的に会えなくなった遠くの友達とも、まるで隣にいるかのように会話することができる世界。良かった私はひとりじゃない、と思えた。おかげで大切なものをどうにか守ることができた。

そうやっていくつかの居場所を見つけてだんだんと、私の世界は落ち着きを取り戻していった。幼く拙くただそっと見守ることしかできなかった存在も、気づけばぐんぐん芽を伸ばし、枝を広げ、日差しを浴びて輝きはじめた。

恐る恐る片手を伸ばし、その手でちゃんと欲しいものをつかめることに気づいた私は、時々大胆にもパッと両手を放してみたり、またビクビクしつつ片手に戻したりしながら、手探りでいまを生きている。

この手でつかめる身の回りのものに囲まれた世界も、頭の中だけでどこまでも広がっていける世界も、どっちもなくてはならない存在で、そしてそれは私の好きなように選べるんだ。行く場所を決めるのは、私だ。


はじめはここへも、なんとなく好きな人の世界をのぞいて見るだけのつもりで、ふらっと立ち寄ってみただけだった。

たくさんの、見知らぬ人たちの心の声やつぶやきの数々。 

誰のためでもなく、自分のために置かれたことばたちが、いつしか誰かの心を照らす灯りになる。あの時の気持ちを思い出した。


そうして私は誰にも知らせず、noteの世界に飛び込んでみた。

私がここにいるよ、って言わなくても見つけてくれる人がいる。

私は、ひとりじゃない。


そっか、私、夢中になれるものを探していたんだ。いつも、どこにいても。

ここは、私にとって自由になれるたったひとつの場所。

大切にしよう、そっと、ずっと。

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