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【手作り服】2024年 春・初夏コレクション 準よそいき服編


準よそいき服 その㊀ 【In My Life】


ビートルズの名曲【In My Life】を始めて聴いたのは中学一年の夏だった。
世間ではとっくにビートルズ熱が冷めていて、中一のわたしが聴く曲としては洋楽といえ「ダサい」部類。

ビートルズを愛し始めたのは「澄江さん」という人との出会いが切っ掛けだった。
澄江さんは美しくキラキラした瞳の持ち主で、わたしの「第二の母」的な存在だった。
「ジョージ(ビートルズのメンバー)と結婚できないなら私は一生独身で構わない。ジョージを超える人なんて居ないもの!」が口癖で、わたしの母親を含む周りの大人は澄江さんを「ちょっと頭がオカシイ人」と言っていたけど、わたしは澄江さんのその信念を眩しく感じた。

わたしが中一の時に澄江さんは現在のわたしと同い年(4Z歳)。

「In My Life 聴いてバングリーちゃんは何を思う?私はイギリスに居た頃の生活を思い出すのよ。」
澄江さんはそう言った。
わたしは
「自分の住んでる場所が浮かぶよ。見渡す限りの田んぼの中で蓮華の冠作って遊んだ小学生の頃を思い出すよ。」と、答えた。

「素敵!その事は絶対に忘れちゃだめよ。いつか心底辛くなった時に、何らかの形でバングリーちゃんの助けになるわよ。色々な事忘れてもソレだけは曲と一緒に覚えて居なさいね。」
確かに助けになった。

半分メルヘンの中で生きているような澄江さんだったけど、どの大人よりも確信をついた事を言い、記憶にネットリと残る言葉の数々をわたしに与えてくれた人。

わたしの裁縫の原点は母にある。わたしが引く製図の根本には母の影響がある。
それは認めたくない事だったけど、もう認めるしかない。

母が作った服を着ているバングリー


クッソ笑ってるバングリー

裁縫歴3Z年。
服飾の専門学校は中退したものの、結局洋裁から離れられず継続してきた。
裁縫などすきでは無かった。
なのにやっている。
服作りが自分の当然になっている。
色々なデザインをこれまで試してきた。
ドレープにハマって製図に悩み不眠症になった時期もある。

でも、結局は原点回帰。
わたしが作る服は、むかし母がわたしに作ってくれた服のデザインが基盤となっていて、どんなに複雑なデザインの服を作ろうとも、それでは満足できず、原点に戻っていく。

もう無駄な抵抗はやめた。
シンプルなデザインでいい。それが結局わたしが着たい服。

岡山デニムで作ったマキシのワンピース


首元に飾ったツタのネックレスは本物

コレは野草集めや湧き水汲みの際に着用するために作ったもの。

わたしは目的地を目指しながら歩く途中で見つけた草木をアクセサリーにする。
わたしは草木に勝る「美」など持ち合わせていない。無いなら補う。
ただそれだけ。

もう複雑なデザインを追い求めるのはやめた。
これでいい。
そういう決意の服。


準よそいき服 その㊁【三月二十日】


去年の三月二十日、今は亡きイワオ(家畜のエミュー)が生まれた。そして、同年十一月十一日、イワオは死んだ。
去年の春、生まれて間もないイワオと遅咲きの梅花を見ながら、その花びらをイワオに食べさせた。

「来年はイワオに梅の花の糠漬けたくさん食べさせてあげるからね」と約束した。
出来なかった。

その約束はいずれ果たす。

反物と普通の生地で作ったワンピース


矢羽根模様のパッチワーク


笹の葉の中に梅花模様の反物

コレは着物のさがみで四年前に買った反物。
反物と言ってもmade in Chinaなうえプリント地だから「準よそいき服」。
それでもなかなかお高い反物。
Chinaの反物は柄や色彩が豊かだけど所詮は偽物だから直ぐに飽きる。
この反物の柄に惹かれたけど、実際こうやって服にしてみたらクソしょぼ過ぎて早速いけすかなくなっている。
柄や色彩に翻弄されてはいけないと強く思った。

戦闘力upのために絹の帯揚げと帯紐を装備

クソなChina産の反物に華を添えるのはJapan産の本物の帯揚げと帯紐。
肩ひも調整にはDカンを使用。

帯揚げは娘の幼稚園の卒園式の時に使ったもの。
帯紐は娘の成人式に買ったモノ。
成人式が済めばこんな帯紐など誰も必要としないのがわかりきっていたから、コレはわたしが後々使えるように、自分好みのモノにした。
で、こういう使い方をしている。
ちなみに、娘の成人式衣装は私が縫った。

次回は「よそいき服編」だよ、よろしくね。
その前に「思い出再現ソーイング」やるかもしんないから、それも
よ~~~ろしくね~♬

読んでくれて有難う!
また会おうぜ!あばよ!





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