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「自分が産まない子を育てる」というお仕事

日本にコロナが来たら、どうしよう。
そう感じたのは、2019年、コロナ禍が中国から始まったころ。

惨めな中国のコロナ事情に、危機を察知

上海に住む友人のInstagramに「深夜に全員マンションから出されて、強制的に新型コロナウイルスの検査をさせられた」
といった、物々しい投稿が相次ぎました。

当時の日本はまだ、コロナって何? と思っているくらいの時期。
それでも私は、

「日本でも突然仕事がなくなるかもしれない。」

と、焦りました。私は広報の仕事を、お取引先の法人から受けている日々。楽しいけれども、そこはフリーランス。安定からはほど遠い暮らしをしていました。

特に広報の仕事は災害や疫病などの有事に弱く、今後の流れによっては仕事が激減するリスクもありました。

まだ日本でコロナがどうなるかはわからないけれど、何か始めた方がいいかもしれない。企業が動けなくなった場合、需要があるのは「家の中」にまつわることかな。

そう仮説を立てて、個人向けに仕事を始めようと考えます。

そして自分が得意なこと×高時給でできることはないかと考えた結果、わたしは家事代行をスタートしました。

というのも、私は断捨離が得意。

友人からも、なぜか断捨離を有償で依頼されることがある程度には、頼られていました。

フリーランスとして働き始めてからも、領収書の整理や書類のファイリングなどが得意でした。

家事代行を始めてからは、予想以上に人気をいただいて、あっという間に予約の取れない人間になりました。そして、今もキャンセル待ちのDMが溜まるまでになりました。

そこで、家事代行の延長としてご依頼いただいたのが、ベビーシッターのお仕事。とあるご家庭で、子どもたちと仲良くなり、2回目のお伺いの際「ぜひうちでベビーシッターとして契約してくれませんか?」と打診があったのです。

わたしは「自分が産まない子を育てる」というお仕事を始めました。

でも。
と、悩むことがありました。
私は毒親育ちだったのです。

ネグレクトな幼少期

わたしの母は、厳格で勉強や躾には厳しく、それでいて仕事が忙しいとあまり話す時間もなく今思えばネグレクトでした。食べるごはんがない、お風呂のお湯が出ないこともしばしば。
自分が虐待を受けたと知ったころ読んでよかった本はこちら

子どもを産む前に子どもと関わってよかった

とはいえ、私は自分が毒親育ちであることすら、自覚していませんでした。
「みんな、こんなもんだろう」と思いこんでいたのです。

というのも当初、どの家庭も親が神のように絶対的に強いものと思っていたので、シッター先の家庭での「子どもが家庭の主役」と言う感覚に少し面くらいました。

週4回のベビーシッティングで天真爛漫に笑い、怒り、わがままを言い、甘えてくれる子ども。「子どもってこんなに子どもらしいんだ! わたしはもっと子どもらしくあってよかったんだ」と、衝撃を受けたのです。

虐待を受けた子どもは「過成熟(偽成熟)」といって、大人びた口調や態度を取ることが知られています。
出典:虐待と子どもの心理(文部省)

ベビーシッティングについて勉強することも増え、30歳をすぎてから、自分が虐待を受けて育ったことに気づけました。

そして素敵な家族に出会えて、子どもたちを横目で見ることで、本来あるべき家庭像が上書きされたことは、自分の人生にとって救いだったなと本当に感謝しかありません。

わたし、子育てできるかも

そして。「私が子どもを持つなんて無理だ」と思っていたあの日から一変。
「私、子どもを持っていいんだ」と、自分を信じられるようになりました。

人の子どもをみることで、子どもともいい距離感で接していける経験を積むことができた。

シッター先のご機嫌でおおらかな子育てを横で見て、わたしの親の態度との違いを知って、毒親だった母の真似をするのではなく、シッター先のお母様が実践する、その時の態度を真似すれば、いい親になれるかもしれないと、教えてもらえたのです。

仕事やスポーツにおいてかけた時間が自信につながるように、シッター先の家族みんなと過ごした時間は、わたしにとって生きる自信に繋がっています。

それでも産まない人生を選んだ私

写真加工アプリ「SNOW」のAI ベイビーで作ったイマジナリーキッズ

そんなこんなで子育てに対する自信をつけたわたしは「よし!子どもを産むぞ!」と家計の見直しに励み、固定費を下げるために住まいの質を下げ、貯蓄に取り組みました。

しかし……そこで立ちはだかったのが、持病であるシェーグレン症候群でした。わたしは2015年にシェーグレン症候群になりました。

そして、この病気の妊娠・出産リスクについて調べていく中で、妊娠出産が病気を悪化させることを知ってしまったのです。

それでも産んで子育てしている同じ病気の方の話を聞いて、その方々は素晴らしいと思うけれど、「わたしには無理かもしれない」と、子育ての機会を諦める決断をしました。

(そのときの話はべつのnoteにもまとめています。)

今後、自分の子が育っていく様子を見届けることはできないかもしれない。

でも。
その時には、わたしは自分が産まない子を育てるというお仕事を得ていました。

その経験を通じて、子どもが成長することの素晴らしさを、もう知っているのです。

もしシッターをしていなかったら……。

「病気=自分のせいで子どもを持てなかった」という後悔やコンプレックスもあったと思うのです。

だから、まったく後悔することも自分を責めることもない。
そう思える、糧となりました。

この前、シッター先の子が誕生日を迎えました。

「ぼくもう6年も生きてるんだよすごくない?」

と、笑顔で教えてくれた彼。最初にこの子に会ったとき、彼はまだ2歳でした。

もう、この子の人生の半分以上を、私は共に過ごさせてもらっている。

「みなみさんは我が家のファミリーです」

といってくれる、ママさんがいる。

その言葉が嬉しくて、今日も私はご自宅へ向かいます。

ベビーシッターの仕事を通して最近思うのは「家が安全である」というのが、幸せの必須条件なのかなと。

生きていく上で必要な心理的安全も身体的安全も、家が安心していられる場だからこそ得られるもので、その結果、学校や外で問題が起きにくい仕組みになっているわけです。

この心理的安全性ってじゃあなにかというと、「不機嫌なひとが家にいない」ことかなぁと思っていて。

たまに不機嫌にはなるけれども、誰ひとり「不機嫌でその場を掌握しようとしない」のは本当に素晴らしくて精神的に大人だなぁと思います。

大人びているのではなく、子どもらしくあり、それでいてご機嫌なのは、これから生きていく上でとんでもなく素晴らしいスキルです。

わたしは体調が悪かったり余裕がなくなったりすると不機嫌になりがちなので、そんなときは子どもたちの無邪気な姿を思い出して、明るく振る舞うようにしています。

家族を大事にしていくためのご機嫌さは間違いなく、シッター先のママのおかげです。身近に素敵な女性がいるのは仕事冥利に尽きます。

これからも家族みんながご機嫌に過ごせるように、いつか卒業のときが来るとは思うのですが、それまではこの仕事に感謝しながら精一杯サポートしたいです。



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