見出し画像

憂鬱の理由

2月なのに今日は春が来たような暖かさで、気分転換に散歩にでも行こうかと思ったが鍵がないことを思い出して諦めた。母は週に一度のパートに出たし、父はフラッと出たまま帰らない。仕方がないので、畳の部屋の窓を全開にして風を入れ、ラップトップとカフェオレを運び込んでここでこれを書くことにする。とても気持ちが良い。これを書き終わる頃には日も落ちて、暗くなってしまうのだろう。

2020年は思えば引っ越しばかりしていた。

昨年の春にレストランから解雇を受けて都内のアパートを引き払った。約3年半ぶりの実家に戻った時、この部屋に5月の風が吹いていた。
勤めていたレストランを突然、そしてものすごいスピードでコロナウィルスの脅威が襲って、気持ちの整理もつかないまま、スタッフはあっという間に散り散りになってしまった。

この部屋で母と話をした去年の5月を覚えている。この部屋で膝を抱えてぼぉっとしていたところ、気づくと母が隣にいて、「どんな気持ちなの?」と私に聞いたのだった。まとまらない気持ちをぽつぽつと話した。その月の終わりに、私は40歳になった。

結婚の約束をして9月にスイスまで渡ったけれど、家もなかった。パートナーはスイスで仕事を始めたばかりで忙しく、肝心の結婚の話はまともにしないままコロナの混乱と2人の間にできてしまった深い溝で、結婚話はまとまらずクリスマスイブに手ぶらで帰国した。スイスでは小さく窮屈なシェアルームを脱出すべく、慣れない家探しばかりしていた。

居が定まらなかった。今も定まっていない。

ここ数日、心の調子が酷く悪い。3日間ほどただ死んだように寝て過ごした。ベッドに横になっていないと辛くて仕方がない。昼過ぎまで寝ているので睡眠は充分足りているのだが、精神的にきつくて全てから逃げたい、みたいな感じだ。横になると楽になる。目をつぶると浅く眠り、気持ちが不安定になるような暗い夢を見る。

3月から派遣で働くことになった。いつかまたスイスに行くにしてもお金が必要だし、スイスに行かないにしても仕事は必要だ。自分の気持ちがまとまらないまま、自分の気持ちとは裏腹に就職活動をすることは辛すぎた。接客の仕事が好きで、海外に行っても人と関わる仕事をやりたいと思っていた。

やりたいことと、履歴書からできると判断されることは大きく違っていた。派遣会社からいくつか仕事を紹介されて、ピンとこないまま応募するが、面接までたどり着けない。派遣会社の担当者が「(仕事を)選び続けて半年経っても仕事に就けないなんて事態にならないように」とつぶやいた一言が寝る前にふと頭をよぎり、怖くて眠れなくなったりした。

定まらない自分に苛ついている。彼との関係はかろうじて今も続いているが不安は解消されていない。自分の中で引っかかっていることが、相手の中では何の問題にもなっていないギャップ。それを埋めないことには進みたくない、進んではいけないという気持ち。彼を信用し切れない不安な気持ち。それなのに、引き返せない自分。誰にも頼らなくても自力で生きていける自分になればいいのだ、と思うのに、そんな自分になれる自信もない。

全力で走りだせない自分に苛ついている。派遣社員という不安定な立場。とはいえ、これから先ずっと不安定なことに変わりはないだろう自分の人生。叶えたいことも、やってみたいことも(そういうのを夢や希望というのだろうか)何もない今の自分。あるのは無と絶望と不安と、将来に対する強い恐怖。


画像1


どうしても家族が寝静まった夜から頭が冴えてくる。明け方頃、布団に入る。3月から開始する新しい仕事と同時に、この生活が朝型に切り替わって生活リズムが整ってくるとメンタルも安定するだろうか。このめちゃくちゃな生活がメンタルに少なからず影響を及ぼしていることは間違いない。

将来に対する不安や恐怖は、自分ができることから少しずつ解消していくしかない。恐怖で立ち止まってしまっては、同じ考えが堂々巡りするだけだ。歩みを進めるうちに見えてくることがあるかもしれない。こんな心細い私に、頼りがいのあるパートナーがいればどんなに頑張れるか、と思うけれど誰かを羨ましがったところで意味がない。

すっかり部屋が暗くなったのでここで終わることにしよう。週明けに心療内科にかかることが楽しみだ。自分の変化に対する好奇心である。しかし、心療内科にかかると決めたことを少し後悔してもいる。今までみたいに「いつものことだ」で流したほうが深刻にならなくて済んだんじゃないか。

何一つ答えが出ない。すべてが中途半端だ。

「人生を怖がりすぎずに楽しめばいい」

どこかでふと聞いたこの言葉が胸に響いている。

いただいたサポートは生活の足しにさせて頂きます。応援いただけたら嬉しいです!