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優れたメタファー(感想『騎士団長殺し』)

「あの川は無と有の狭間を流れています。そして優れたメタファーはすべてのものごとの中に、隠された可能性の川筋を浮かび上がらせることができます。優れた詩人がひとつの光景の中に、もうひとつの別の新たな光景を鮮やかに浮かび上がらせるのと同じように。言うまでもないことですが、最良のメタファーは最良の詩になります。あなたはその別の新たな光景から目を逸らさないようにしなくてはなりません。」               村上春樹『騎士団長殺し 第2部 遷ろうメタファー編・下』

先週、早々に『騎士団長殺し』を読了。今回は、読みながら、沢山の気づきがあった。書き留めないと忘れていくだけなので、とりいそぎ、記しておこう。

※ここからはネタバレも含まれつつ、独断と偏見もふくむ個人的な感想と評価になります。ご了承ください。※

読了した直後、ネットでざっと評価や感想をみてみたが、大体、これまでの村上作品と似通ったストーリーや設定、構造だったという指摘が多い。

たしかに、そうなのである。

奥さんから別れを切り出されると同時に(もしくは奥さんの失踪)、主人公の日常が崩されていき、非日常の世界へと場面が遷り、いくつかの不思議な出会いや独特の人物が差し込まれ、事件は起こり、過去が掘り起こされ、クライマックスを迎えたあと、結び。

定番ともいえる設定や展開。

その他の作品が、舞台が都市部なのに比べて、小田原の山の上の別荘地という場所で、主人公が定点で動いている感じの作品。動きは少ない。

個人的感想としては、これはこれで好きだ。山ごもり風のアーティストの静かな生活が、忙しい会社員生活を送っている私には、心地よかった。

これも、エンタメが好きな人には、少々動きが足りず、物足りないかも。

類似した設定でいけば、『ねじまき鳥クロニクル』のほうが断然いいんだろうな。実際に起きた歴史的事件、それも特に悲惨な出来事をモチーフにしている点も重なるけど、『ねじまき鳥』のほうが、そのモチーフが活かされていた気がする。

今回は、ナチスの話や南京大虐殺の話が引用されるけど、いうほど掘り下げが少なかった気がする。ほのめかし?程度。

なぜ、この程度なのか。

私が考えるに、作者の力点が、違うからなのだ。

おそらく、『騎士団長殺し』の主題は、「表現」だ。

表現者と表現と、芸術の話。

そして、表現や芸術と、

現実世界と、イメージや観念、象徴といった形のない世界、見えない世界との関わり合いが、じつに面白く描かれていた。

作者が、創作の秘話を、主人公に重ねて披露したと、私は感じた。

主人公が、画家だという設定が効いていて、そこが面白い。

肖像画を商業的に描いて、それはそれで好評を博し、職業としてきた主人公が、自分が本当に描きたいとおもって描く絵がどんなだったか、わからなくなっていて、奥さんとの別居を機に、一からなにか描き直そうとする過程が、個人的に興味深かった。

クリエイティブか、否か。大衆寄りか、専門家寄りか。

表現していくことと、生活、お金、作品自体の評価や価値。

そして、芸術のもつエネルギー、力のこと。

主人公が結局、最後にはまた商業作家の肖像画家に戻っていく点と、色々なその他要素とからまってハッピーエンドもふくめ、村上春樹の作家としての円熟を感じた。

つまり、純文学的な尖った結末ではなく、あえてダサいともいえるハッピーエンドを主人公に与えることで、そこに表現者としての一つの答えを見せていると感じた。

〈なんでもないこと〉への、肯定、だ。

夫(『騎士団長殺し』を読み進めている)と互いの感想を話しながら話題になったのが、「生き霊」を描いている点。

村上春樹は不思議な話を巧みに盛り込むのが、非常に上手で、この人は案外見えない世界のこと、スピリチュアリズムにも一定の理解がある人なのかもしれないと感じた。

地下鉄サリン事件やオウム真理教の事件について、ずっと追っている人だから、宗教や超常現象みたいなものにも、一定の知識と理解があるんだろうな。それを肯定しているかどうかは別としても。

あの生き霊の描き方は、生き霊という現象をある程度理解している人の使い方だと感じた。

画家は、この世のあらゆるものを、目にみえないエネルギーをも、絵という形で写し取り、表現する。

小説家もおそらく同様で、小説という形で、写し取り、表現する。

『騎士団長殺し』が面白いのは、作品になる以前の、まだ形になっていない段階の物事や現象、エネルギーをも、指し示しているところだ。

まだ形になる以前の曖昧模糊とした状態から、いかに描き写していくかが、画家の主人公によって巧みに表現されている。

そして、高度な作品ほど、具象化されても、そのメタファーやイデアは、受け手の感受性が試され、受け手がどう解釈するかによって決まってくるという面も、描いている。

解釈しようとしないと、それは理解できない。

が、解釈をこばむ作品もあるということ。

Feel,Don't think.

ただ、そこから感じるということを、観る者に、求めている。

それでも、その作品に共鳴してしまう観る者・読者によって、それは感知され、察知され、解釈と理解が立ち上がってくる。

その解釈や感じたことをまた言語化するか、どんな形に立ち上げるかは、人それぞれだろう。私の場合は、こうして文章化するのが一番早いけれど。

芸術は、どんな形をとっても、すべてメタファーなんだろうな。

イデアが先にあって、それを表現したメタファー。



その他、秀逸だと感じたのが、「白いスバル・フォレスターの男」の件。

2巻で、とりとめないエピソードに思えたそれは、後半になるにつれて、深い意味を帯びていく。「白いスバル・フォレスターの男」がなにを意味しているか、謎解きはいろいろあるだろうけど、私としては、人の想念やエネルギーの陰の面だと思った。心理学でいうところの影(シャドウ)のようなもの。

村上春樹がしばしば描く、人間の悪、悪意、闇のようなもの。

あと、登場人物の乗っている車やファッション、暮らしている家、好む音楽、ライフスタイル等で、巧妙に、同時代を生きる人物たちの社会的な立場や属性、気質を浮かび上がらせているのが、すごいと思った。

よく作品内で、商品名や店名、ブランド名などを列挙して、それをかもしだす手法があるけれども、村上春樹の場合は、必要最低限に抑えられているけど、その観察眼が的確すぎて、すごいな~と感じた。

おそらく、同様のセンスで、ジャズやクラシックも作品内で的確に引用されてるんだろうな~。私はそちらは詳しくないので、まだよくわからないのだけど。

描きすぎず、かといって説明不足でもない。

適切な分量の比喩と、的確な描写、そして用意周到な設定と構造。

これが、村上さんの手腕ですな。



続いて、『1Q84』を、読む予定。








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