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こちらはJuneのサブ垢です。しばしの間放置されていましたが、スピ系の話題や記事を中心…

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こちらはJuneのサブ垢です。しばしの間放置されていましたが、スピ系の話題や記事を中心に再開することにしました。(スピが苦手、嫌いな方はご注意ください)

マガジン

  • 内向き日記

    自分の心のうちを、内向きに、独り言めいて綴ります。

  • 無限廻廊

    評論のようなコラムのような文章。小説、漫画、映画、アートのお話、感想など。

  • 蝶のはばたき

    小説の習作や、小説寄りの文章をこちらへ集めます(過去記事の小説風文章もここに格納)。

最近の記事

庭造りレポ断念。

noteで画像を大量にアップしたことがなかったのだけど、 とても面倒だということがわかった。 今後がすこし危ぶまれる。。。。 庭を改造する過程を写真で紹介しようと思ってたのだけど、 何しろやりにくい。 やはり、noteは文字表現のほうが向いている媒体なのかもな~。 とほほ~。 困った。 予告してみたものの、noteでは、庭造りレポートはできそうにない。 主に、インスタのほうで、庭作りの記録はつけることにした。 今後も、文章主体で、書けるところからぽちぽちと

    • お知らせ

      この頃、不意に思い立って、ブログ風の日常の雑記も書き足していこうかと、思っている。 noteでブログ風に書くことに、ためらいがあった。 ブログという意識だと、文章が、違ってしまうから。noteは一応、ブログとは違う意識で書こうと思っていた。 だけど、自分の身辺雑記を書くにも、 以前書いていたブログサイトのほうは、 いつの間にか、抵抗ができていた。 以前まで継続していたブログでリスタートしようすると、以前のブログの読者の人々を思い出し、その時点から書こうとしてしまうから

      • あれから9年。そして歴史。

        今日は3.11。 関東に住んでいた私は、あの日、自宅で大地震を体験した。 でも、地震本体よりも、その後がすごかった。 日本各地で起こった、津波や原発事故などの余波が、次々に報道された。 それをみながら、また恐怖した。 計画停電や、流通がストップして、一時的な食糧難になったこと。 コンビニやスーパーの棚から、食べ物がなくなったこと。 そういったパニックと、世間に広がる恐怖や不安、エトセトラのほうが、すごく印象的に残っている。 世の中、しばらく、ずっと灰色っぽかっ

        • 感想:『パンとスープとねこ日和』

          シンプルで、無駄がなく、どれも丁寧に作られている。 清潔。 正直。 愛らしい。 てらいもなく、 演出もなく。 なんでもないのに、 なんか、 特別。 こういう世界が好き。 ドラマ「パンとスープとねこ日和」。 台詞も登場人物も、ストーリー展開も、 無理なことや、 ドラマチックなことは、1つもない。 静かで、淡々とすすむ。 こういう映画、私は好きなのだけど、 十代の子にみせると、 エンタメに慣れてるから、 眠くなったりするみたい。 間を味わえるかどうかで、 楽し

        庭造りレポ断念。

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        • 内向き日記
          10本
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          15本
        • 蝶のはばたき
          9本

        記事

          毎日新聞に、「大波小波」という匿名コラム欄があるのだけど、昔からあれの執筆者になってみたかったことに、最近気づいた。毎回、専門家でないと書けないような記事なのだ。時に、ぴりりと辛い内容もあったり。書く人は、どんな基準で選ばれてるんだろう?

          毎日新聞に、「大波小波」という匿名コラム欄があるのだけど、昔からあれの執筆者になってみたかったことに、最近気づいた。毎回、専門家でないと書けないような記事なのだ。時に、ぴりりと辛い内容もあったり。書く人は、どんな基準で選ばれてるんだろう?

          本当のお父さん

          児童虐待事件のニュースがでるたび、いろいろ考えさせられる。 継父の場合、虐待になることが多いとか。 でも、実父でも、虐待してる事件もあったりする。 継父と子との関わり方。 「本当のお父さんじゃない」といわれて、複雑な気持ちになるとか。プレッシャーやストレス、お父さんらしくならなきゃ、お父さんと認めさせなきゃみたいな気持ちが、堅く真面目な人ほど、強くなるのかも。 我が家でも、そんな間の悪い嫌な場面が、最初あった。 最初はどうしたものかな?と、 深い考えなしに、感情のまま

          本当のお父さん

          「9月のブルームーンの夜 スモモの木陰で 青ざめた恋人を抱きしめる 彼女は美しい夢だ 真夏の青空 雲が浮かんでる 天の高みにある白い雲 見上げるともうそこにはなかった」 ブレヒトの詩/善き人のためのソナタより

          「9月のブルームーンの夜 スモモの木陰で 青ざめた恋人を抱きしめる 彼女は美しい夢だ 真夏の青空 雲が浮かんでる 天の高みにある白い雲 見上げるともうそこにはなかった」 ブレヒトの詩/善き人のためのソナタより

          評価と、誉められる教育

          わたしは、なぜ、この職業についちゃったんだろうと、しみじみ思うときがある。 人前に出て話すのが苦手て、相手にどう見られるか本気で苦手で、なにか人前で発表する以前も以後も、ずっと、もやもや、どうしょうどうしょうと、落ち込んでしまう。 子供のからずっと思っていた。教室の隅にいて、誰にも注目されず、忘れられてるような存在でいたいと。そして、自分のしたいことに集中したいと。 そもそも、めちゃくちゃ教員になりたくてなった人間ではない。 研究をやっていて、その結果で、教育にもかか

          評価と、誉められる教育

          嫌われてもいい、と思えたとき、本当の教師になれる気がする。好かれるために、授業をしてるわけではないからだ。

          嫌われてもいい、と思えたとき、本当の教師になれる気がする。好かれるために、授業をしてるわけではないからだ。

          評論には、評論家のものと、作家のものがあるけど。わたしは、作家の書いた評論が、昔から好き。書く人の視点で論じるので、より柔軟で、クリエイティブな観点や、的を得た意見が多い気がする。

          評論には、評論家のものと、作家のものがあるけど。わたしは、作家の書いた評論が、昔から好き。書く人の視点で論じるので、より柔軟で、クリエイティブな観点や、的を得た意見が多い気がする。

          頭のてっぺんから足の先まで女の子だった。(ナオミ・ウルフ)

          久しぶりに、20代の学生時代の古いノートを引っ張り出してみたら、こんな文章を手書きで書き写していた。今でも、古びていない言葉。いまでも、同じ事を感じている自分がいて、驚く。 「ときどき自分が三十女みたいな気がするの。私のセクシュアリティって男みたいなの。仕事中にときおり男を値踏みしている自分がいて、まわりに気づかれやしないかと不安になる。あたりを見回して思うの。わお、男がいっぱいいる。独身だったら、この男たちをみんなつまみぐいしちゃうのにって。そしたらすごく楽しいだろうなと

          頭のてっぺんから足の先まで女の子だった。(ナオミ・ウルフ)

          丸山さんのであることとすること

          そろそろ、試験シーズン到来。 年度末、つまり学年末である。 個人的感覚だが、丸山真男の『であることとすること』は、高校国語の評論のなかでいわば卒業検定のような位置づけだと思っている。 三年間いろいろ国語で学んできて、難しめな文章や古典的な文章も読んできて、読む力がついてきたところで、これを読む。 もはや、作家が近現代の人でも、いまの若者には古典の部類に感じられるようで、たいてい、よくわからなかったという感想を聞く。 そんな彼らが懸命に試験を受けているのを監督しながら

          丸山さんのであることとすること

          優れたメタファー(感想『騎士団長殺し』)

          「あの川は無と有の狭間を流れています。そして優れたメタファーはすべてのものごとの中に、隠された可能性の川筋を浮かび上がらせることができます。優れた詩人がひとつの光景の中に、もうひとつの別の新たな光景を鮮やかに浮かび上がらせるのと同じように。言うまでもないことですが、最良のメタファーは最良の詩になります。あなたはその別の新たな光景から目を逸らさないようにしなくてはなりません。」               村上春樹『騎士団長殺し 第2部 遷ろうメタファー編・下』 先週、早々に

          優れたメタファー(感想『騎士団長殺し』)

          もしこの世から接吻がなくなったら。

          気がつけば、しばらく接吻してないなぁという想いがあった。 しかし、それはわざわざ、最近してないよね?とか、なんかしないよね?とか相手に確認するものではなし、激怒するようなことでも悲嘆するようなものでもないのだが、毎週届いていた便りがぱたりと届かなくなった待ち人、もしくはお気に入りのカップアイスが近所のスーパーの売場から消えたときの小学児童のような、そこはかとない頼りなさとなって、浮き上がったり沈んだりしていた。 焼き肉を食べにいきたいというほうが、簡単である。あるいは、寿

          もしこの世から接吻がなくなったら。

          アーティストの脱皮(感想メモ:『騎士団長殺し』2巻:)

          アーティストが、なにかを打破しなくてはならないとき。 それまでの安定した単調な自分の仕事から脱皮し、 真にクリエイティブで本質的な仕事に、生まれ変わりたい時。 どんなことが必要なのかなと、考えさせられた。 このままでもやっていけるけど、なにかが違う。クリエイティブとしては、まったく生き生きしてない自分を自覚したとき。 もう一度、再生しなければならない。 この作品の場合では、 免色さんというクライアント。 つまりその変化を求める側からの、外からの需要という刺激。

          アーティストの脱皮(感想メモ:『騎士団長殺し』2巻:)

          過去の輝き

          先日の記事の段階で、村上春樹『騎士団長殺し』1巻はほぼ1日で読み、 翌日、本屋へいそいそと出かけ、 残りの2~4巻を購入。 しかし、残念なことに、あれからまとまった時間がとれず、 隙間時間に、数ページだけ読み進めている。 もはや、 日常のほうがあわただしくドラマティックで、 村上春樹のふしぎな非日常世界のほうが、 静謐に感じられ、 息抜きになっている。 一粒ずつ味わうかのごとく、大切に読む。読書にはまってる時、この作品世界の感覚を、ずっと自分のなかにとっておく感触が、と

          過去の輝き