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砂時計みたいだ

今日も1日、おつかれさまです。

砂時計をみていて、
なんとなく感じたことについて、
話していきます。

過去、現在、未来、時間の流れは、
まるで砂時計みたいだなと思いました。

砂時計は時間をはかることができますし、
時間の流れの象徴ですからね。

砂時計の中心、
ちょうど砂が流れている部分が、現在。
砂が流れて、だんだんと積もっていく部分が、過去。
砂時計の上の方で、まだ流れていない部分が、未来。

砂時計は、まさに、過去と現在と未来の象徴といえます。

砂時計の中心、砂が流れている部分に、
現在の私たちがいます。

目の前をまさに流れていく砂は、
現在起きていることを、示しているでしょう。

砂には、きれいなものも、ちょっといびつで、きれいとはいいきれないものも、
いろいろなものがあります。

細かくてわかりにくいですが、
顕微鏡で観察すると、
普通の砂のなかに、きらきらした砂が混ざっていたり、
形も様々だったりするでしょう。

私たちの目の前を流れていく砂も、
様々なものが流れていくのです。

きれいな砂、きれいとは言えない砂、
何が流れてくるかは、流れてくる瞬間までわかりません。

それでも、今、現在に流れてきた砂を受け止めることが、
今、現在を、生きていく
ということと、いえますね。


私たちは、あくまで砂時計の中心にいます。
だから、
未来の部分、砂時計の上の方にある砂をみることはできません。

つまり、未来をみることはできないのです。

あくまで私たちは、未来をみることはできず、
たった今流れてきた、現在を受け止めることしかできません。

どんな砂がやってくるか、
何が流れてくるかわからない砂時計のように、
未来で何が起こるか、
みることはできないのです。


その一方で、
目の前を流れて落ちていった砂は、
どんな砂だったか認識することができます。

きれいな砂が流れていった、
きれいじゃない砂が流れていった、
落ちていった砂をみた記憶から、
何が流れたか、わかるのです。

つまり、きれいな過去でも、つらい過去でも、
過去に起きたことは、
何が起きたのか、鮮明にわかるといえます。

砂時計は、過去と現在、未来をつなぐ象徴ですね。


砂時計の中心で、
現在を生きる私たち。

私たちは、未来をのぞくことはできなくても、
過去をみることはできます。

だから、過去に縛られてしまい、
見えない未来に不安をもつことも、あります。

もちろん、その逆だって、
過去の経験から自信を得て、
見えない未来を期待することだって、
あるでしょう。

鮮明な過去にとらわれて、
何が起こるかわからない未来を想像しても、
現在に何が起こるかは、誰にもわかりません。

しいていえば、未来のために現在をどう生きるかなら、決められる。
なんて、いわれているでしょう。

正直、私は、
過去にとらわれる性格なので、
みえない未来のために、
と考えることは苦手です。

現在起きていることを受け止めるだけで、
精一杯です。

ただ、今この瞬間も、次の瞬間には
流れていった砂、過去になります。

過去はこうして積もっていくでしょう。
積もっていった砂は、いずれみることができなくなってしまいます。

みえない過去は、失われた記憶といえるでしょう。

こうして、現在を積み重ねていくことで、
しっかりとみえていた過去すらも、
いつか、
みることができなくなってしまいます。

過去にとらわれていたとしても、
いつかその過去から解き放たれる瞬間が
くるのかもしれませんね。


砂時計の中心で、現在を生きる私たちは、
今流れている砂を、
受け止めながら生きています。

みえない未来と、みえる過去との境目で、
必死に生きています。

どんな砂が流れてきても、
どんな現在を生きていても、
これが私なんだ。

自分の砂時計をかかげて、
むねをはって生きていきたいです。


ここまで、ご覧いただき、ありがとうございます。
人生が砂時計みたいだなって感じたことについて、話しました。

みさきの世界で、少しでも共感や安心を届けられますように。
みさき


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