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平谷美樹『虎と十字架 南部藩虎騒動』 猛虎脱走! 混沌の謎の行方は 

 時代小説と歴史小説を中心に活躍する平谷美樹ですが、時代小説においては実はミステリ色が強い作品を得意とする作家でもあります。本作はそれが前面に出た作品――家康から拝領した二匹の虎の脱走を巡って南部藩を揺るがす複雑怪奇な騒動に、藩の徒目付が挑みます。

 かつてカンボジアから徳川家康に贈られた二匹の虎・乱菊丸と牡丹丸を拝領し、盛岡城内で飼っていた南部利直。しかしある晩、この二匹が檻から脱走するという大事件が発生します。
 これまで様々な事件を解決してきた藩の徒目付・米内平四郎は、城下に逃れた乱菊丸を巧みに誘導して捕らえたのですが――もう一頭の牡丹丸は、とかくの噂がある若殿・南部重直に鉄砲で撃ち殺されてしまうのでした。

 城では檻の番人が切腹しているのが発見されたことから、番人の鍵の掛け忘れが原因と思われたものの、実は番人は他殺であったと判明。さらにその晩、虎に餌として与えられた二人の切支丹の死体が檻から消えていることも明らかになり、事態は混迷の度合いを深めます。

 はたして犯人は内部の人間なのか、はたまた外部からの侵入者なのか――調べを任された平四郎は、領内の朴木金山に潜伏しているという切支丹たちに目をつけるのですが……

 江戸時代初期に、南部藩で家康から拝領した虎が飼われていたという嘘のような本当の史実――よく見つけてきたものだと感心してしまうようなこの史実を題材とした本作。これはどこまで史実かはわかりませんが、虎が脱走して一頭射殺された(これは重直ではなく利直が撃ったとも)、という逸話も伝わっているのには驚かされます。


 しかし本作は、事実は小説よりも奇なりの更に上を行くような奇想の一編であります。この虎の脱走が、事故ではなく仕組まれたものであったとしたら――本作はこの奇想を元に、精緻に組み立てられたミステリなのです。
 しかし一歩間違えれば自分も危ういような虎の解放を、誰が行うのか? 当然浮かぶ疑問を、本作は当時の南部藩を巡る情勢を踏まえて、丹念に描いていきます。

 外様大名が次々と取り潰されていく江戸時代初期という時期、傍若無人な振る舞いが目立つ重直を後継者とすることに対して分裂している南部家中、各地で弾圧され南部領内の鉱山に流入した切支丹、戦国時代の遺恨を引きずる南部の土豪……
 重直追い落としを狙う派閥の工作か、藩お取り潰しを狙う復讐者の陰謀か、死体を奪還しようとした切支丹の企てか――これだけ動機があり、容疑者がいる状態に加えて、重直の兄・政直とその周囲の不審死などまで重なり、調査に当たる平四郎の苦労が思いやられます。

 普通は物語が、つまり調査が進めば事件の全体像は固まり、容疑者が絞られていくものですが、本作の場合は逆に、結末に近づくに連れて混沌とした状況になっていくに至っては、平四郎だけでなく、読んでいるこちらまでが大いに悩まされるのです。

 しかしもちろん、物語には結末があります。そこで明かされる真犯人とは――なるほどそう来たか! という人物であることは間違いありません。
 ただ個人的には、ミステリとして見れば意外ではあるけれども、歴史ものとして見れば納得――というより、この人物であれば当たり前にやるだろうからあまり意外性はない、という犯人像には、いささか戸惑ったことも事実ですが……

 とはいえ、先に述べたように、意外極まりない史実を踏まえて、複雑怪奇なミステリを構築してみせたのは流石というべきでしょう。これまで奇想に満ちた時代小説と、骨太の歴史小説を平行して手がけてきた作者ならではの歴史ミステリであります。

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