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[掌篇集]日常奇譚 第49話 コックリ

「ねぇ、コックリさんで決めない?」と唐突に持ちかけてきたのだという。祥子という若い女性だった。
 笑っちゃうでしょう? とその話をぼくに聞かせてくれた知り合いの女性は言った。「ええぇ、なにそれ? と同僚の女性たちはいっせいに声をあげて、なかには笑いだす子もいたのだけど」
 設計課に誰が書類を持っていくかという話だったらしい。設計課は下品な課長のもと、無遠慮な男たちの巣窟となっていて、女子社員は誰も行きたがらないそんな場所だった。ここに顔を覗かせたら最後、ひどいセクハラの嵐に巻き込まれてしまう。
 祥子は笑顔でみんなを見やりながら「おもしろいと思うけど」と屈託ない調子で背中を押すように言って、その怪しげな微笑は、彼女たちも一度はやったに違いないその遊びのどこか背信的で蟲惑的な感覚を思い出させようとするかのようだった。

 祥子が“それ”に最も熱中したのは小学五年生のときだった。
 祥子はその年に転校してきた。転校した先の新しいクラスで熱狂的に流行っていたのだ。休み時間になると必ず女子が集まって輪になってコックリさんを始める。それはもはや遊びというよりも彼女たちの宗教のようだった。
 あれは秋の季節……祥子がやってきたこのクラスに、こぢんまりとかわいく整った顔立ちで男子に人気が高く、そのうえ頭もよくて教師にも可愛がられている未佐子という女の子がいた。けれども同級生の女子には嫌われていたという。顔が可愛くて頭もよく、男子と教師に人気があったからだ。
 また、男子のほうには隆幸という運動神経のいい子がいて、この男の子は女子たちのひそかなアイドルだった。
 この隆幸が未佐子を好きだという噂がにわかに広まったのが、その秋の季節だった。
 未佐子も隆幸が好きだった。そのことをクラスの女子はみんな知っていた。
 そしてある日、クラスの女子たちはコックリさんを行なった。
 未佐子の運命の人は誰?
「いや、やめてよ」と訴える未佐子を三人の女子が押え、ほかの女子はバリケードのように、あるいは未佐子を逃がすまいとするかのように机を囲んだ。
「コックリさまコックリさま、お答えください、竹野未佐子の運命の人は誰ですか?」
 未佐子たちの目の前でコインはぐりんぐりんと動いた。やがて、言葉を紡ぎ出した。
 み・や・う・ち・の・り・た・か。
 えらく太っていてどんくさく、そのうえいつも小汚くて臭い男子だった。しょっちゅう鼻に指を突っこんで、出てきたものをそこらじゅうになすりつけている。女子からは虫けらのように嫌われていた。
 紡ぎ出された回答を見て、机を囲んでいた女子は、きゃあ、といっせいに悲鳴のような嬌声をあげ、そのうちの何人かは「未佐子は宮内と結婚するんだ!」と大笑いしながら教室を走りまわった。こうして、未佐子と隆幸の恋ははじまる前に終わった。
 これがこのクラスの「コックリさん」だった。
 一学期間を過ごすうちには祥子はこのクラスのルールを完全に呑みこんでいた。
 それどころか、コックリさんの使い方にかけて天才的な力を発揮し、いつしかクラスのリーダー的存在になっていた。
 教室でみんなの給食費がなくなったこともあった。祥子はすぐさまみんなを集めて儀式のようにコックリさんを行なった。
 コックリさまコックリさま、お答えください、給食費を盗んだのはだあれ?
 祥子が蛇蝎のように嫌っていた麻里は、十円玉の上に置かれたみんなの指がじりじりと動いて自分の名前を示すのを目を見開いて凝視していた。

 なによりもおそろしかったのは、この話を、祥子が不意に自分に話してきたことだとぼくの知り合いの女性は言った。
 そのときには祥子はもうあの職場をほとんど掌握していたのだけど。
 彼女に取りこまれず一歩引いたところにいた私に対する警告のようなものだったのかな。
 無理だった。逃げるしかなかったよね。勝ち目がないのは明らかだった。
 話し終えて私の奥を覗きこむようにじっと見てきた祥子の目が忘れられない。

「ねえ、やってみましょうよ」と祥子は柔和な笑顔で、けれどもあとにして思えばどこか有無を言わせないような雰囲気をまとって、会社の女子社員たちに呼びかけてきたのだという。「コックリさん。これで決めましょうよ。コックリさんに指名された人が行くの。どう?」
 それにしても、コックリさんとは。じゃんけんやくじなどならともかく。
 その珍奇さが逆にみんなの興味をそそった。
 ちょっと面白いかもね、と誰かが口にした。
 それが始まりだった。

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