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万年初心者の料理

 料理が苦手である。
 とは言っても二児の父であるため、休日に料理を作ることはある。でも、かなりの確率で失敗する。これはクオリティの問題ではない。料理として成立しているかどうか危ういのだ。簡単な材料や工程の少ないものでも酷いものである。

 たとえば目玉焼きは卵料理の一つらしいが、卵を割ることに失敗しフライパンに殻を入れてしまうし、焼き加減もうまくいかず生っぽかったり、焦げてしまったりする。おまけに形もいびつで、皿に盛るときに白身が剥がれてしまうこともざらである。ある意味、初心者を何年も続けている。

 そもそも料理を作るという感覚が未だに掴めない。お店のレジを打ったことがない人がレジ打ちを神業のように見えたり、車を運転したことがない人が運転を特別なことのように思えるのと似ている。

 考えてみたら、八年の一人暮らしでも、一度もちゃんとした料理を作らなかった。では外食ばかりだったのかと言うと、そうではない。白米とレトルト食品、冷凍食品ばかりであった。焼きそばは具無し、野菜はジュースで摂取するという徹底ぶりだった。あ、玉子焼きは時々焼いていた。

 料理を作る時間があるなら他のことをしていた方がいい。それに片付けも面倒である。そのように考えていたのもあるが、そもそも料理に対する苦手意識が強いことが背景にあったかもしれない。

 中学生のときに、家庭科の授業で林檎の皮剥きのテストがあった。八等分にされた林檎をくし形切りする。つまり、芯部分と皮を、包丁で綺麗にそぎ落とさなければならないのだ。

 これまでも調理実習では何をしたらよいかわからず居心地の悪さを感じていた。なぜ皆は料理の手順がわかるのだろう。とても理解できない。事前に仲の良い友人にあれこれ教えてもらっても結果はいつも変わらなかった。この経験から、自分は料理することが下手で、他人より劣っているのだと思うようになった。それは間違いではないと思う。

 林檎の皮剥きもうまくできる自信がないから、ひどく緊張した。また、包丁で手を切ってしまいそうな怖さも加わって、手が震えてしまう。その結果、果肉までざっくりとそぎ落とし、痩せっぽちなVの字になってしまった。

 クラス全員が切り終わると、家庭科室の大きなテーブルに皆が剥いた林檎を並べる。誰がどの林檎を剥いたか名前は伏せてあり、全員がそれらを見て意見を言い合う。恥ずかしくてその場から逃げ出したかった。私の林檎だけ明らかに形が異なるのだ。

「うわっ何この林檎。これ切った奴、まじで下手だら!」

 クラスの活発な男がそう言うと、皆が注目し笑い始める。そして、隣で見ていたクラスメイトが私に話しかけてきた。

「ねぇ、あれやばいよね。誰が皮を剥いたのかな?」

 あまりにも気まずくて、返事が思いつかない。

「うん……誰だろうね」
 
 私は自分の林檎だと言えずに知らないふりをした。その後に嘘を貫けなくてバレてしまったが。

  この出来事は小さなトラウマになった。料理をすることに更なる抵抗を持つようになり、高校の調理実習は参加すらしなかった。

 それからできる限り料理を作らずに避けてきた。が、そうは言っていられない状況になってきた。
 妻が育休を明けて四月から仕事復帰するのだ。つまり、これから私も毎日料理を作らなければならない。休日に作っている単調な料理では済まなくなるだろう。もう初心者でいてはいけないのである。
 来月あたりから少しずつ修行を積んでいこうか。今年の目標はカレーライスを作ること。なんて言っていたら妻に怒られそうだ。はあ。

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