miya
物質世界
精神世界
物質と精神の融合に向け、齷齪と手探りしている様子。
供犧行為ゼロの世の中。 物質と精神の融合。 物質の創造性が弱められ 繋がりの形が変えられる 強固な絡まりが緩められ 柔らかな膜で繋がる 善悪の極が無くなり 真理内部に寄っていく 「現在という未来」
とある本を読んでいた。 この文章、私には半分も理解できひんのです。ラカンのいう「去勢」から勉強せなあかんのです。 カタカナ表記は、曖昧に本質を見せる技法はたけている。そのため、なんとなくを捉えて欲しい場合は有効的である。 言語の内側にしか居られない人間はどのくらいいるのだろう。 日本語も標準語だけを理解出来ればいいとも思わないが、この本は専門書ということもあり、伝える人物を限定している。 使う言語により民族は限定され範囲は決まる。 研究内容の発表は自己満足以上でも
そうか、イエスは2000年前、物質の神と契約したんだ。物質の神の代理であり、その生を受けて人間となった。物質の神の内側にイエスが、イエスの内側に人間が。内側に居る者は恵みを与えられる。 イエスが与えた地球への影響は凄まじい。日本を巻き込んだ壮大なストーリー…でした。
励起しないな。。 まぁしないようにカラダバラしてあるからな。 外部から入って来たコトの大きさに比例して、γ線で炸裂するワケで、、笑、、(被害者は読者) 大きなコトが入らなければ、認知症症状と同等。
縄文人は皆、仏陀の持つ十号…応供、正等覚、明行足、善逝、世間解、無上士、調御丈夫、天人師、仏世尊を個々の體に備えていたのではないか。 人間のその真理構造を言語や象で可視化し体系化されたモノを仏教というに過ぎない。日本に於いては観えなくなったと同時に見える化した仏教が入ってきた。
「本物の自由」 幸せによる支配を感覚する 報われないから報われる 慈悲・悲哀は同情に過ぎず 与える与えられるを越え 愛という欲望を捨てる 創らないを創り 無価値の価値を見出す この宇宙には無いという有るが在る さあ、
いつからか、言葉と言葉から成る文間に浮かぶ空気感(エーテル)を拾うようになった。(哲学書とか読んでればそうなる…だって難しいんだもん) だから自分の言葉遣いが間違っている時がある気がする。 でも本質は貫いているつもり。 精神性を閉じ込める言語から脱出したい。
奇跡とは、 一番奥の深淵にあるものとの現世での出会い。
「空」の意識は素気ない。 全てがあって全てがないとは、自分の動態としての記憶ではなく、全ては静態の記録に落ちる。あなたのことがわたしはわかるからで、 要は、自分の意欲にならない。 求めるものがあるとすれば真理。 他者との違い。 神との違い。 神の行いを知りたくなる。
自分にとって本当の意味で必要な本と出会うことは難しい。自分の不安な想いや興味、その答えや想いを完全に照合できる本に巡り合えることは奇跡かもしれない。 しかし、それは後に軌跡となっているとわかる。その場面でなければ出会えないのだ。そういったものは奇跡ではなく運命に組み込まれている。
第三部 精神のアフリカ的段階を開く 9 チュウ 人の想いの絡まり方が書かれていた。前回に引き続き、とても重要だと思われるため、抜粋しました。 チュウは簿記の精神でもあり、私もその考え方は同意である。やはり、儀礼のようなパフォーマンスだけで病気を治すことは出来ず、プラシーボ効果により、一時的に「信じる」ことで、新たな自分に気づき、自信を得ることによって不安を払拭する行動に移すことができる。そのことがここに書かれている。 しかし、解せないのが、悪意が絡まり続けて大
虚構とは自他を騙そうとする欲 幻想の中の創造性から成り立つ そう成りたいという想い こうあって欲しいという想い 豊かな善の創造性は美しい夢の中 小説や映画をはじめとした様々なストーリー いま真空が閉じようとしている 妖精にとって虚構はわたしで わたしにとって虚構は あなたのカラダを浮かせていた妖精達 妖精が幻想的な夢の中に描かれるのは 「あなた」が虚構だから 妖精を頭の中で描く 自分のカラダに妖精を観るまでは 虚構の中のあなたのストーリー 闇に消えて
第二部ゾクチェンとの出会い 8 準備を整える(ゴンドゥ) ゴンドゥという、ゾクチェンの教授前の準備があるそうだが、その志願者は十万回の五体投地、十万回の発菩提心、金剛薩埵瞑想、曼荼羅供養、グル・ヨーガをおこなわなければならないらしい。 筆者は短期間でそれを済ませたく、小規模な聖地に身を置いた。 この筆者の文を読んで、先に「教え」があると、自らが実験の研究対象のような見方になるのだと感じた。 入り口は人それぞれ。 境地への憧れ、苦からの離脱、自然との超調和、精神の自
“あなたは何故そう考えるのですか?” 、、と、信用スコアが囁く 「精神性の設定」 “その思想は穢れています。ポイント還元対象から削除いたします、、云々” このアプリ開発してくれないかな。
自身が神になれば、妖精は必要なくなる ライオンは吠えるのだろうか? 私にはわからない これまで妖精に体を支えられ 体を浮かせてもらって 羽ばたけた神は今、 自分の足で立てるようになった きっとライオンは吠えないだろう 私はそう思う
同じ性質の善は快となり、 同じ性質の悪は悲劇となる。 違う性質の善に妬み、 違う性質の悪にほくそ笑む。 無の性質は無若しくは ほんの僅かな善悪は快となる。 虚構の中の虚構は虚構と思わず、 虚構の外の世界は在ると思わず、 虚構の外の世界を虚構と思う。 「人の意識」