・仕事で物件をすぐに見にいけない ・急いで良い物件を抑えたい ・土地勘がない海外の家探し 交通の利便性、オシャレな外観、価格は明確にわかります。 ですが 「本当に大切なものは隠れて見えない」って言うように… 「住み心地」は住んで見ないとわからないですよね でも起こりそうなことは気学である程度わかります。 ・健康(どこの病気になるか) ・夫婦仲(不仲の原因) ・仕事や事業(失敗や成功の原因) 気学やダウジングを活用すると物件の住所や管理会社名をネットでチェック
アパートは日本からネット検索で見つけました。 ・仕事先が決まってからドイツへ来る人は会社が探してくれるかもしれません ・留学やワーホリならエイジェントが探してくれます 実は私も最初はドイツ人のエイジェントに依頼しました。 《これだけは妥協したくない条件》 ・中央駅から徒歩10分圏内 ・浴槽付き ・治安の良い地区 ・家賃950€まで ドイツ人のエイジェントは駅近くの物件で950€は無理。 家賃は1700〜2400€くらいが相場。 そして、駅から離れた空港近くの物件
私はフリーランスビザを取ることが目的です。 それなら、ある程度都会でないと就職やビザを取るのが困難です。 物価が高いところは生活するのが大変です。 そこで、滞在先に選んだのはデュッセルドルフ 息子が留学して、すっかりこの街が気に入って「住むならここがいい!」と選びました。 デュッセルドルフに住みたい理由 ・街の大きさがちょうど良い ・交通が発達している ・日本人がたくさん住んでいる ・日本の食材が揃う ・日本語が通じる ・親日家が多い ということでデュ
2020年10月1日にドイツへ入国しました。 最初の予定は3月20日でした。 ところが出発日がドイツロックダウンと重なって旅行者は飛行機に乗れなかったのです。 不意に足を掬われたような出来事で、「なんでこんな事が…」と愕然としました 家を売却したばかりの私は帰る場所も無く空港で途方に暮れました。 もう少し早く出発するにも家の売買契約日が19日でしたからそれまで日本を離れることが出来なかったのです。 とりあえずホテルに帰り、 ドイツ入国が出来るまで住む所を探しました。
私は還暦からドイツ移住しました。 現在、ドイツで フリーランスビザで働いています。 老後海外移住が夢で還暦を目標に計画したわけじゃあない! 海外に行くなら若ければ若いほどいいと思ってます。 しかし、日本にしっかり根を張っていると、中々そうはいきません。 自分の自立、両親の介護や看取り、実家の売却、身辺整理が完了したのが還暦だったわけです。 私は地元から離れたことが無く、 一人っ子で両親は格式やら伝統、先祖供養を大切にしてました。 昔はそう言う風潮でそういうものと
息子のドイツ暮らし5年目に突入 『これまでの経路の説明』 10歳の時にドイツに2ヶ月半住んでみてドイツを好きになり、帰国後はドイツ語を公文式の通信コースで学びました。 そしてドイツに高校2年の時に2週間の語学留学、大学2年の時に10ヶ月間の派遣留学をしました。 この体験から「将来はドイツ移住したい」決意し現在に至ります。 『息子のドイツ移住の理由』 ・ドイツが好き (ストレスが少ない) ・杉花粉がない (10年来の花粉症が治った) ・ライトな人間関係 (日本社会の
私は日本からヨーロッパは北西と考えて移動しています。 それは20年間における 相談者様の体験談、 私の経験、息子の体験など 統計的な判断です。 息子は2016年 ドイツへ1年間大学から留学しました。 西なら本命殺:身体に影響が出て気力体力を失う方位。 北西なら祐氣:活力と決断力、財を得る方位です。 留学期間中に オランダ、ルクセンブルク、スイス に行きフランス、ベルギー、イタリア、イギリスを一人旅しました。 トラブルもなく事故や盗難も遭わなかった。 帰国後、
11月2日、初雪が降った、、 冬到来! いよいよ2ヵ月半のドイツ滞在も終わる 帰国の日、荷物の整理の後、ボーデン湖半を歩いてインゼルホテルまで朝食に出かけました。 遠くアルプスの山にもうっすらと雪が見える 夏場遅くまで賑わっていた屋外のカフェテリアは閉まっていてひっそりとしていました。 ミンキーの自宅のポストにお礼の手紙を投函してチューリッヒ行きの汽車に乗車しました。 2ヶ月半のドイツ暮らしが今後、 二人の人生の軸になっていきます。 当初は言葉の問題、習慣の違い
11月1日今日はドイツは祭日 朝、ハンナのママの経営している フェルト人形のアトリエを訪ねました。 お世話になったお礼を伝えて、 滞在の思い出にサンタのフェルト人形を購入しました。 糸を染めるところから始めてひと針ずつ作るお人形は温もりのある愛らし表情をしている。 サンドラのアトリエを後に エリザベート先生に贈るお花を買って それからスイス行きのバスに乗車しました。 この日ドイツは休日でバスがコースが変わりかなり遠回りでした。 スイスは平日なので授業は普通通りです
ハンナのママのサンドラは落ち着いていてドイツ人らしいなぁと思う サンドラは住んでいる静かな住宅地の落ち着いた環境に満足している 隣町のゼッリンガープラッツでフェルト人形のお店を経営しているけど3人の子どもがいるので、長時間は働けないらしい… 工房へ行くと色鮮やかな布が棚に並んでいる。 布を染める事から始め一針ずつ作る人形は、ぬくもりのあるかわいらしい表情をしている。 彼女は子供達が通うシュタイナー学校の卒業生でもある。 ノエミーのママのミンキーとハンナのママのサン
帰国を前にノエミーのママから自宅に招待されました。 ノエミーはほんわかした雰囲気 女の子らしい感じでおっとりしていて一緒にいるとなごむ。 しっかり者のハンナと仲良しでノエミーには6年生のお姉さんローラがいます。 ノエミーのママとハンナのママはシュタイナー学校の同級生です。 そして娘たちも同級生で仲良し。 縁が深いなぁー! ノエミーたちの住まいはコンスタンツの中央広場の前、コンスタンツにいるほとんどの人が彼女たちの家の前を通ります。 彼女は駅に近く、港や店が立ち並
シュタイナー教育は子供が「自由な自己決定」を行うことができる人間になるための教育です。 それは教育の中で自分の考えを持ち 何かを選ぶ時は 「なぜあなたはそれを選ぶのか?」 「なんとなく」はダメです。 「みんなと同じでいい」もダメです。 選ぶ理由をしっかり答えることを求められます。 時々、3年生が4年生の授業に参加します。 特定の科目は自分が受けたい他の学年の授業に参加できます。 そして、授業の担当先生になぜこの授業を受けたいのかしっかり伝える必要があります。 帰国
担任のエリザベート先生に シュタイナー学校の卒業生のその後について尋ねました。 音楽家やアーティストなど芸術、技術の道に進む生徒 スイスは大半が実家の農業や畜産業を継いでいる生徒が多いこと 学校を退学してサーカス団に入団した生徒もいたそうです シュタイナー学校は感性豊かな人間を育てるところで大学を目指すところではない。 大学を目指す生徒は卒業後2年間アビトゥーアコースを別の学校で受けます (大学へ進学するための資格試験の勉強) しかし、のんびり過ごした学校生活の後
10月の終わりの日曜日 教会の時計が1時間遅れて時刻を知らせます。 夏場、時間を進めていた時計を元に戻す。 イタリア人のアイス屋さん 「ローテグリッツ」という バニラアイスと生クリームを乗せた上にグツグツ煮たベリーソースをかけたデザートは、甘味とフルーツの酸味が絶妙のバランスだった 最後にもう1回食べたいと10月に店に行くと閉まっていて「さようなら👋また来年」 とドアのガラスに紙が張ってあった…😫残念!! サマータイムが終わってもバスの時刻も変わらないので困る事
シュタイナー学校で「たかしは何かしてますか?」と聞かれると大抵は「楽器は何を習っているの」という意味です。 ところが 息子は音楽は苦手 ♪を見ると頭が痛くなるらしい😣 だから「いえ、特に楽器はやってません」と答えます。 生徒たちはギター、ピアノ、バイオリンなど習っています。 芸術に力を入れているここではちょっと肩身が狭いんですか、、😅 「本人が習いたい、続ける自信がある」と言ったことだけやらせる方針だったので ところが、ある日息子がボソリと呟いた・・ 「あのね、
息子とシュタイナーの教材を揃えている店へ色鉛筆を買いに行きました。 お店は入り口は狭いのですが 中に入ると奥は広く 色鉛筆の他にも、絵本や粘土、 木のおもちなどが置いてあります。 見ているだけでも楽しく 時間が経つのも忘れました。 実は担任のエリザベート先生から 学校で使う教科書やノートはが「短期間だから買う必要はないです」と学校にあるものを貸していただきました。 「クラスで色鉛筆を配布される時も僕はもらえないんだ。」 アレクシィーが「たかしはもらってないです」と