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街の陰影が色濃い、パリで暮らすということ。

ちっひーさんのお察しの通り、またしても提出しなければならない原稿をほっぽりだして、この交換日記を書いています。

本当は明日から東京に行って、推しの舞台を見て、黄金湯でサウナに入り、新国立美術館で「李禹煥」の展示をみて、ちっひーさんとランチする予定だったのに。まさか推しがコロナにかかるとは。健康に気を使い、手洗いうがいをかかさない私の推しが。

残念ながら舞台の振り替え公演はなく、推しの舞台を見ることは叶わないようです。座席運のない私が前から二列目という超!神席だったのに。つらい。そんな辛い気持ちをひきづりながらも、ちっひーさんにお借りした「女ひとりの巴里ぐらし/著・石井好子」について書いていこうと思います。

ちっひーさんにとってこの本は、「かけない時に手に取る本」なんだね。気になってから手に取るまで10年以上経っていた、というのも素敵なエピソード。私にとってもそういう本があるので(しかも同じくヴィレバン)。またの機会にその本も紹介するね。

1950年代のパリ、モンマルトルのキャバレー“ナチュリスト”で、シャンソン歌手として活躍した石井好子さんの自伝的エッセイ。調べたら「超」がつくほどお嬢様だったのね、石井さん。それなのにパリに渡り、シャンソン歌手として活躍していたなんて。本当に凄すぎるお方。

私がこの本を読んでいて一番楽しかったのは、石井さんの文章からその当時のパリの様子がありありと伝わってくること。

レストラン<アルザス>は、ピカール通りのはずれ、フォンテン通りに出る角にあった。夜通し開けている高級レストラン。そこには、着飾ったキャバレー帰りのお客に混じって、女給や芸人たちが食事をしていた。よいお客を連れてくることを見越して、私たち芸人や女給には原価払いの、シックなレストランだった。
女ひとりの巴里ぐらし/著・石井好子

当時のリアルな生活の匂い、景色、色が感じ取れる描写。そこがきっとこの本に引き込まれる理由のひとつなのかも。

思わずエディット・ピアフの曲を流して、紅茶を飲みながら本を読んでいました。ほんの少しでも空気を味わいたくて。笑

(余談だけど、高校のときにはまっていた某ロックバンドSのライブのオープニングでは必ず「エディットピアフ/愛の賛歌」が流れていました。だからエディットピアフだけは知っている。)

エッセイの中には、石井さんをはじめ、スペインの踊り子カルメンや、イタリア人のジョイアナなどいろんな国籍の人が登場する。「フランスならいろんな国の人がいるのは当たり前」と思いがちだけど、1945年に第二次世界大戦が終わって、数年しか経過していない状況。その中で様々な国の人がともに生きて、生活をしていた。そのことに感動を覚えた。

また性に関しても、ボーダレス。ジョイアナの弟・マックスは、同性愛のキャバレーで働いている。もちろん、受け入れられるかは人それぞれだったのだろうけど、1950年代ですでに同性愛を多くの人が認識していたパリのことを、私はとても尊敬してしまう。きっと同じ年代の日本は、口に出すことすら難しい環境だっただろうから。

私が思うに、石井さんは「あるものはある、ないものはない」というスタンスだったんじゃないかなと思う。他人は他人、自分は自分。人や街との距離がとてもさっぱりしていて、執着し過ぎない。でも自分の叶えたい情熱を持っている。そんな人だからこそ、パリという街で暮らしていけたのではないだろうか。

読みながら、ずうっと昔に3日だけ滞在した思い出したパリでの出来事がふっと頭の中によぎった。「パリに来た!」というだけで、ウキウキしていた私に衝撃を与えたのは、人の財布を狙うスリの子どもたちだった。

「この華やかな街にも貧しさがあるのだ」。

華やかなスポットライトの影。大通り裏の暗い道。陰影併せ持つ。この街で生きていくには、それ相応の覚悟がいる。自由なようで、ある意味、不寛容であるパリ。そのことを腹に据えて暮らすことができたら、きっとこの街を心から楽しむことができるのかもしれない。そんなことを思ったのでした。

とりとめのない感想になってしまったのだけれど、これにて終了。石井さんの「巴里の空の下オムレツのにおいは流れる」もぜひ読んでみたいと思いました。

素敵な本を紹介してくれてありがとう。またいつか、パリに行ってみたいな。その時は、石井さんが暮らしたモンマルトルにも足を運んでみたい。私はそこで、何を想うのかしら。






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