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絶対ってなんだ?

絶対ってなんだ?何も検証してなどいないくせに、その事をとことんまで突き詰めた訳でもないのに、どうして人は、いとも簡単に、これは絶対だとかいうんだろう?

それにどうして人間ってのは、この絶対というのを、人に押し付けるんだろう?どうして自分にとっての絶対が、人類にとっての絶対だ!みたいになるんだろう?

絶対ってなんだ?どうして、絶対を押し付けるんだろう?皆それぞれで、考える事も感じる事も、思う事も違う。生きている生活状況も、時間も、空間もその全てが違う。なのに、何故、そこに絶対という概念が存在するんだろう?

絶対こうだ!って決めつけて、それだけが正義みたいに言うけれど、それぞれの人間を取り巻く環境は皆違う。そこに、絶対を押し付け、それに従う様に強要する事はなんだか府に落ちない。

皆自分にとって善だと思う事を、他人に押し付けるけれど、それがその他人にとっても善であると思うのは、その人の幻想にすぎない気がする。

全く生活環境の違う二人が、同じ善を共有できるとは思わない。ある人にとって善だと思われる事も、別の人にとっては、善でない事もある。どうしてそれを理解しようとせずに、自分にとっての善こそが、人類共通の普遍的な善であるかの様な顔をして、その善を強要してくるんだろう?

おかしいのは、他人に強要される善を受け入れる事の出来ない私なのか?それとも、自分の思う善を疑う事無く、他人に押し付けてくる他なのか?どっちなんだろう?

絶対的なものなんてあるんだろうか?

その時、その時で、善の定義、自分の思う正義の定義なんていとも簡単に変わる。皆それを知ってか知らずか、何故か、人は自分にとっての善を押し付けてくる。

他人の思う善を否定するつもりはない。でも、それが、他の人にとっても善であるに決まっているから、それに従え!というのは、何というかどうも納得できない。

その時、その時で、その人を囲う状況は変わる。そこに唯一変わる事のない絶対的な事柄が存在するとは、どうも思えない。

これは、こういうもんだ!という時、それは、その人にとっての絶対であって、それを他人に強要すれば、それは、その個人を尊重しているとは言えない気がする。

自分はこう思う。あなたはこう思う。そこには、色々な考えがあっていいはず。色々な考えがあって、色々な見方、捉え方があってこそ、この世界は素晴らしいんじゃないだろうか?

これが絶対だから、これ以外は、全部ダメで排除という考えは、どうもいただけない。

否定ではなく理解しようと出来るだけ努める。理解し、そしてお互いを最大限に認めた上での関係性を構築していく事が大切な気がする。

皆、同じ色に染め上げる事では無く、色々な色がある事を認め、尊重した上で、1つのまとまりを作る。これが私の理想。これはこういうものだ!としてしまえば、それで自分のみている世界は固まる。そんなのは嫌だ。

色々あっていい。自分を変える必要なんてない。自分は自分のままに、そのままに、その状態で尊重し合えて繋がれる人がいるのなら、それが一番。

絶対に染まらない。相対的な考えをいつでも持っていたいものだ。

否定ではなく、相手を最大限に認め尊重した生き方を・・・。



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