フィクションに道徳性を求めることのバカバカしさについて

いつもはぼやかして書くけど、今回は具体例を挙げて書きます。

映画『カラオケ行こ!』(及び原作)について、「中学生がヤクザ(反社)に近付くことのハードルを下げてる」という主旨の書き込みを見てバカじゃねえのと思いました。
以下、自分のツイッターからも転載しながらネチネチと反論していきます。

・フィクションの物語そのものや作者に道徳性を求める奴
実質大量殺人鬼でクズ男の森鴎外や ロリコンじじいの川端康成や
自殺幇助した太宰治のことはどう思ってんの?
「教科書に載せるな!」って言わないの?
なんで?
・実際に「海外で女をヤり捨てた話『舞姫』」は教科書に載ってます
・源氏物語だってあかんよなあ? なあ?
・結論としては(物語に道徳性を求めるのではなく)
バカはフィクションを消費するなです。特に書き込んだ張本人のような「大人のバカ」な
・そもそもからして『カラオケ行こ!』のストーリーをわかってねえじゃん
(そこでバカがバレてんよ)
ここからはネタバレです。
オヤジや兄貴の女たちの境遇は散々見てきただろう狂児が「ヤクザに関わった人間がどうなるか」わかっていないはずがなく、だからクソほどモテそうなのに独身なわけ。聡実くんの「紅」を陰から見ていて、自分の気持ちにも聡実くんの気持ちにも(聡実くんに関してはこの時点で自覚なし)気付いてしまった狂児だからこそ、「連絡を絶って」「聡実の刺青を入れた」んですよ。
原作には再会後に「ほんまは会いたかった」というセリフがあります。
会いたかったのに会わなかったのは、聡実くんの高校卒業を待ってたんですよ。自分のアンサー(刺青)を見せて「自分は本気」「きみはまだ同じ気持ちか」「ヤクザの俺と人生を共にする気持ちはあるか」と大人の聡実くんに問いかけに行った。大人の男が自分の人生を決める、それが何が悪いの。狂児は本気だったから待ったんだわ、遊びだったら適当にヤり捨てりゃいいもん。18歳より中学生の方がグルーミングしやすいだろ。
堅気の男が相手役の恋愛モノでもこんなに誠実な展開、なかなかねえよ。
だからストーリーをわかってねえじゃんって書きました
・バカにもわかるように懇切丁寧に言語化してやったよ。ストーリーを理解している大半のまともな人間は、そのへんを浅くか深くかは個人差があるとはいえわかってて萌え転がってるんでしょうよ
・もっぺん書くね。バカはフィクションを消費するな
・更に書いておくと暴対法の効果により現実のヤクザは消滅寸前です。もっと言うとありとあらゆるまともな契約書には反社条項が必ずあり、実際にヤクザと関わってることはもちろん、「ヤクザがバックについてる」的な嘘をフいても契約解除の原因になります
・ヤクザにとって世の中のすべてが反社に厳しいご時世なのに、まさかの中学生男子相手の淫行でお縄になるのはイコール人生の終わりでしょうね
現実には夜のお仕事や不動産関係じゃないとヤクザとの接点なんぞ一生ないと思うよ
・ちょっと話がずれるけど(後で戻る)幼児期にはファンタジーと現実の区別がつかないので、マンションの高層階に住む幼児を抱えるご家庭は、子どもに「絶対に空は飛べない。ここから落ちたら死んじゃうんだよ」とくどいくらいに教え込むと聞きました
・『カラオケ行こ!』にうだうだ言うてるやつ、なんでアンパンマンは批判しねえの????? 実際に幼児が死ぬんだが?????
・何度も書くね。バカはフィクションを消費するな特に書き込んだ張本人のような「大人のバカ」。
子どもが物語に触れる機会を与えた上で、あれはファンタジーだよと伝えるのが大人の役目です。大人の役割を放棄するな。

以下はあんまり共感を得られないだろうけど、昨今の作者に道徳性を求める風潮にも大反対です。太宰治はいいの??? なんで??? 結局お気持ちじゃんね。

・道徳性に欠けるファンタジーでも面白いものは面白いと認めよう
・道徳性に欠ける作者の創作物でも面白いものは面白いと認めよう

が結論です。それと「現実で罪が裁かれるのは別問題」だよ。

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