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[理系による「ファッション」考察] "Comme des Garçons Homme Deux"について考える

最近、Comme des Garçons Homme Plus、をまた着たいな~、と思い始め、ちょいちょい試着するも、全く似合わず、そのたびに絶望する日々を送っているゴリゴリ理系です。

そもそもHomme Plusを着る行為自体がかなり人目を引くことになり、身体的にも精神的にもエネルギーに満ち溢れていないと、つまり自分に自信が無いと負けてしまう服なので、今の自分にはそもそも厳しいのかもしれません…。(下の二股に分かれた靴なんて、いまの自分には絶対に履けない…)

かと言って、Comme des Garçons Homme、で妥協したくもなく、
かと言って、Comme des Garçons Shirt、は自身には若すぎる服で似合わず、
そんな時にちょうどいいのが、Comme des Garçons Homme Deux、であることを最近発見したのですが、他のブランドは考察したことはあるのですが、このブランドに関しては記載したことがなかったので、改めて考察しますね。

Comme des Garçons Homme Deux、というブランドが、日本のスーツを意識しているのは知っていましたが、そもそも自身がスーツを着る職種でもなく、このブランドがComme des Garçons Homme Plusほど攻めている服でもなく、Homme Plusを好んで着ていた30代後半時は、このブランドの存在意義はさっぱり分かりませんでした。

が、スーツをお洒落に着る、ということ自体が自身のファッションにおける1つの命題になりつつあった30代後半から40代前半にかけて、意識するブランドではありました。

自信の推測では、デザイナーである川久保玲さんはHomme Deuxで、洋服としてのスーツとは何ぞや?、と改めて問いかけたかったのではないかと思います。なぜなら、これほどスーツを着ている人がいる国は、日本以外ないからです。

海外では、スーツを着ること自体が稀であり、外国から来た方によく言われますが、日本ではタクシー運転手でさえスーツを着ていることに驚かれます。

よって、世界的にはスーツを着ること自体が特別な意味があるはずなのに、何も考えず、まるで作業着のようにスーツを着ている日本人に、普段仕事で身に着けているスーツは生きる糧を得るためのユニフォームであり、場合によってはステータスシンボルでありうるものを着る、という行為をもっと深く考えてほしい、とカウンターを一発入れたかったのではないかと思います。

自身がHomme Deuxで印象的だったのは、Dr. Martensを積極的に取り入れたことです。パンク・ロックな象徴であるDr. Martensをスーツブランドとして再認識する、というコンセプト自体に、ギャルソンらしいな…、と心打たれましたが、少し前のDr. Martensの大流行は、実はこのHomme Deuxから来ています。

で、自身がHomme Deuxをどう着ているのか、着てみて実際どう感じたのか、は次回に記載したいと思いますが、
またギャルソンが着れることがうれしくて仕方ない!
な気持ちで一杯にしてくれます。







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