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[理系による「アート」考察] 織部焼の茶碗が歪んでいる理由

歴史における、なんでだろう?、は結局本人がもういないので正解を出すことはできず、なるほど、そうかもしれない!、と言わせたもの勝ちなのでは?、と思ったりするのですが、表題の問いに対して、自身の考えを書いてみますね。

織部焼のアートディレクターは"古田織部"ですが、下の漫画が面白いのでお勧めです。

で、古田織部がなぜ茶碗をわざと歪ませたか?、なのですが、仮にタイムマシンがあり古田織部に直接聞けるとしても、気分!、の一言で終わりそうな気が実際しています。

この"気分"という言葉ですが、ファッションにおいてよく使われる言葉で、お洒落な方に、
"なぜそのアイテムを身に着けるているのですか?"
と質問にすると、
"今の気分!"
という回答がよく返ってきます。

まあ、ちゃんと言語化するのがめんどくさいので、気分!、で終わらせたい気持ちも分からないではないですが、ゴリゴリ理系の性として、論理的に言語化してほしい…、と思う限りで、誰もしないので自分がしますね。

ファッションに限らず、流行というのは結局"揺り戻し"の連続なのです。例えば、タイト→ルーズ→タイト、モード→カジュアル→モード、な感じです。

で、お洒落な方というのは、その揺り戻しがあることを無意識に知っており、今現在の流行が今後どうなるかを無意識に察知し、それをいち早くファッションに落とし込みます。

本人の意識としては、皆と一緒じゃ嫌だ、から来ており、今の流れから逸脱しない範囲で少し違うテイストを入れる、が意図なのですが、未来の流行における感度が鋭い分、その独自のテイストが、お洒落!、となるわけです。つまり、時代の半歩から一歩先に行っている状態になります。

で、古田織部の話に戻ります。

この時代は、唐物という、おもに中国から来た茶器が崇められていた時代です。それにカウンターを入れたのが千利休で、自身の美意識を具現化するために"楽焼"という茶碗を作り始めます。

楽焼のコンセプトは所説あると思いますが、所謂ミニマリズムかなと推測されます。

唐物自体は多種多様なので、一概にひとまとめにはできないのですが、信長・秀吉の時代ですから、どちらかというと下のようなダイナミズムなものが好まれたと思います。その中で楽焼によるミニマリズムの流れが出てきます。

信長・秀吉の時代の唐物

で、上記で述べたように、流行は揺り戻しの連続なので、再度ダイナミズムに戻る流れを気分として感じた古田織部が、あからさまにダイナミックな茶器を作り出した、が自身の仮説です。

よって、古田織部的に表題の問いに対する理由は、単に楽焼とは違う気分のモノが欲しかった、になるのかなと。

織部焼の茶碗 →ミニマリズムからダイナミズムへの回帰では?

最後に、歪んだ茶碗は、お茶を飲みやすかった、正確に言うと、どこから飲めばよいか分かりやすかったのでは、と考えています。具体的に、作法に疎い方がお茶を飲む場合、どこに口をつけるべきかが分からないが、茶碗が歪んでいるので必然的に尖っている場所から飲むしかなく、そのあたりの作法を意識する必要性を軽減できた、なことも考えましたが、まあ、これは古田織部が初めから意識したわけでなく、たまたまでしょう~、の自身の推測で今回は終わろうと思います。




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