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血の通った親子


ひとつ前の記事で若者コンプレックスを脱出した私。
前向きになった途端足取りが軽くなり、ここ最近停滞気味だったことに今更気づく。

私たちの間で『母になる計画』が話題になることがまた徐々に増えていきました。


それでもやっぱり、私たちが社会に出たばかりであることはどうしようもない事実。職場環境に大きな問題はないし、就活時は待遇を重視したのでお給料はそこそも貰えていますが、現時点で成人女性2人+子を養うほどの経済力は私にもナチコにもありません。

となると単純な話、共働きの選択が賢明でしょう。私たちが働いている間、子どもを預かってくれる場所を確保せねば。そして、親から離れている間に子どもになにかあったら駆け付けられる環境にしておかなくてはならない。

よしよし、見えてきた。


絶対に必要なのはやはり互いの両親の理解。
経済的に頼ろうなどとは全く思っていないし、子どもの預け先として甘えるつもりがあるわけでもありません。ただ、困ったときの相談先はリスク回避の意味であった方がいい。
私から言い出すのはかなり図々しい話なのですが、この相談先はナチコの実家が適切だと感じていました。ナチコも同じ意見です。なにせ私の実家は奈良県で、相談コールセンターとしての関西オカンは頼もしいですが実際手を借りることができません。


となると、私が産むべきかを問い直す必要がある気がしてきます。ここまで特に理由もなく私が産む前提で進めてきたので、ナチコが産む可能性については全く話し合ったことがありませんでした。

うちの母は私たちの子づくり計画を知ったとき、ナチコのいないところで「あんたが産んでほしい」と言いました。私のお腹から生まれたなら孫としてまっすぐ愛せても、実質他人であるナチコが産んだ、しかも自分の血が通っていない子を孫であることはすんなり受け入れられない。
申し訳なさそうに言う母気持ちが、私はわからなくもなかったのです。

それを踏まえて、果たして私が産むべきかナチコが産むべきか。近くにいるナチコの両親には協力的でいてほしいと思うなら、彼らが素直に孫として可愛がることができる子であった方がいいでしょう。両親との関係だけでなく、仕事のことや性格的なところまで散々話し合った結果、最終的に妊娠と出産はナチコが担うことになりました。


これが、座談会をきっかけに私たちが下したふたつめの大きな決断です。

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