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親密な関係② 性被害に遭ったのは自分のせいだと思い込む原因

はーい🌱もこもこで〜す🙋‍♀️👒
今日も初夏の様な爽やかな天気🍃でしたね。私はお昼に起きてYouTubeをラジオの様に流しながら部屋の掃除や片付けをしていました(実は全然片付かなかった‥😂)気が付いたら、あっという間に夕方🌇になってしまいました。今日はなぜか時間の経つのがとても早かったです😅
今日は、脱力週末モード🛀で、冷凍のラーメン🍜をレンチンで食べました😋とても美味しかったです💞

今日も、ガートナー先生による【第8章 親密な関係】の続きです。

✅自分の受けた虐待を疑うことなく自分のせいだと思い込む

他者の感情に責任を持つこと 260ページ

自らの受けた虐待に責任を感じる少年たちは珍しくないが、この感覚にはいくつかの原因がある。

自らの運命に責任を持つと言う事は、男らしさと言うジェンダーの理想形として少年なら誰でもある程度内面化しているものである。

加えて、少年たちはしばしば、自分が虐待者とのセックスに興味を持っているとか、侵略者につけこまれやすいと言うイメージを発していたから虐待を受けたのだと思いがちである。

虐待者が加害を正当化し、君は外見が良く、魅力があるからとか、君をとても愛しているからとか、これがお前の本当に望んでいたことだと言ったりすると、余計にそうなりやすい。

こうして虐待者は、被害にあったのは自分の落ち度によるものだと言う少年の確信に裏付けを与える。

✅被害にあった少年は他人の責任を自分の責任だと抱え込んでしまう

さらに、虐待を受けた少年は、家族が健康に過ごせるか、両親が心安らかにいられるかどうかは自分にかかっているのだと、それとなく、あるいははっきりと言い渡されていることもある。

受けた虐待の責任は自分にあると少年が感じ続けていると、自分に何が起ころうと、周囲の人々がどんな心理状態であろうと、全て自分の責任だと思うようになることもある。

『緊張を感じ取ると、それが自分のせいだと思ってしまうんです。だから仕事上のことであろうと、家族や恋人の間であろうと、言われたことには何でも、甘んじて従わざるをえなくなるんです。』

『僕は誰かの要求に従ったり受け入れたりした後、そうさせた人が誰であろうとその人に非常に怒りを覚え、そして、僕らが彼らが僕の意向を気にも掛けず、否定してかかる人物だと言うシナリオを作り上げてしまうのです。』

つまり、職場での出来事に対する彼の反応は、彼が両親に感じていた罪悪感と恐れ、両親の不幸が自分のせいであり、彼らの痛みを和らげる責任が自分にあると言う思い、そしてこの力動に結局は彼が怒りを抱いていたことが影響していたと言える。

✅性的虐待により慈しみと愛情を虐待と被搾取(搾取されること)が区別出来なくなる

性的虐待を受けた経験のある男性は、セックスと愛情(Love)、慈しみ(affection )、虐待のそれぞれに、実感を伴う区別がほとんどできない。彼らにとって、これらの概念はほぼ同一のものである。
Price(1994)は次のように述べる。「親密性は、虐待や搾取、セクシュアリティー、他者に飲み込まれること、絡め取られる事と同一視されてしまう」(p213)

Ferencziが1933の著書の中で書き記したように、性的虐待を受けた子供は、優しさを表す言語と、情熱を表す言語の間に「言葉の混乱」を引き起こし、大人になってからも人間関係に起こる経験を誤認しやすい。

✅感情を感じるのを恐れ感情的な加害者の世話をしてしまう


感情を喚起させられるのを恐怖症のように恐れる理由を、キースは次のように説明した。「僕にとって、侵害されることが親密さであり、親密であることは侵害されることなんだ。誰かが激しく感情を燃え上がらせると、僕はその中に飛び込たくなる。セックスをして、その激しさに一体化する。母と昔そうしていた時のような、あの生々しい感情が蘇る。そして僕はそして結局僕は、その感情的な人物の世話をする羽目になってしまう」。

エイブ「完全に下僕とならない限り、誰も俺のことを愛する人などいない。だから俺は自分を虐待してきた人々に贈り物を届け、サディスティックなセックスも許すんだ。俺はまだ後どれだけ経てば、愛されていると感じることができるようになるのかわからない。

だからいつも、虐待や近親姦という、素晴らしく居心地の良い巣に戻るんだ。それは下水溝のように汚らわしいものだが、それでも俺にとっては魂の住処なんだ。

なぜ俺が大人になっても虐待を許し続けるのかって? 虐待されている間は、その誰かの注意が全て自分に向けられているからだよ。それが愛情でないことはわかってる。でも本当に愛情みたいな気がするんだ」。

エイブは家族内でどれほど愛情と虐待が混同されていたかを、両親から繰り返し聞かされた言葉で要約した。

「誰かからキスされるより、私たちからひどく扱われるほうがましなんだよ」。言い換えれば、彼らの虐待はエイブが人生において望みうる人生最高の愛情だったということだった。

このように感情が曇らされた心理状態では、親愛の情(affection )というものには非常に疑惑が持たれ、性的かつ虐待的なもの、あるいは官能的かつ侵害的なものと受け止められる。

例えばエイブがある時認めたことだが、人から自分に向けられる思いは、夕食の誘いであろうと、有害で虐待的に感じられたという。

喜ばしい関係性に対してもこのような歪んだ見方が起きる事は、ゼイヴィアがかつてもたらした「私は家族からの愛情によって腐敗してしまった」と言う一言に、非常に際立って表されている。

彼らが人を愛すると言う自らの感覚をより自由に受け入れられるようになるには、長期の心理療法による困難な作業が必要とされる。  pg 264


【もこもこの感想】

加害者が被害者の子供に対して罪悪感を刷り込んでゆく過程は、親による子どもへの性虐待という見えない虐待のある家庭では、しつけだったり価値観や生活習慣だったりするので、巧妙な形で日常生活に自然に組み込まれています。

私も違和感なく受け入れてしまっていました。私もですが、子供は自分が被害を受けたと言う後ろめたさや絶望感から、絶対に逆らえない権威者(独裁者)の立場である、加害者親を全く疑うことを知らずに育ってしまうんですよね。

世間一般的には、親を尊敬することが当たり前で、良いことだという社会常識の圧力がありますから。私自身も加害者の責任を被害者が背負い、世話をさせられる過程を経験してきました。ここで改めてガートナー先生の文章を読み直してみると、非常に残酷で恐ろしいと改めて感じました。

前回の内容になりますが、パートナーとの関係がお互いを分かちあったりいたわり合うものではなく親密さや愛情が互いの権力争いになってしまうのを、家族間でも経験しました。

両親の関係でも家族間でもあらゆる関係で権力闘争になっていて、いつも他人の噂話や陰口を言い合い、それぞれが自分の思い通り(ほとんど衝動的な気分に左右される)にコントロールしようとしていました。

私は最下層の奴隷以下で、まだペットの方が可愛がられるのでまだマシだと感じたことがあります。

私は幸運にも、同じ被害者仲間の紹介で、トラウマ治療❤️‍🩹を受けることができました。加害者家族から離れることができ、ひとりで静かに安全に楽しく暮らせるようになりました。

私の経験で恐縮ですが、やはり被害者にとっての回復はトラウマ治療チームを含めた、仲間づくりにあると思います。今はSNSやインターネットの発達で24時間いつでも、世界中のどこにでもアクセスすることが可能になりました。

どうか、一人ぼっちで苦しんでいる皆さんが、仲間と出会い、トラウマ治療❤️‍🩹を受けて、自分を愛せるようになって欲しいと切に願っています。

どうか、世界中にあなたとの出会いを求めている仲間がたくさんいることを決して忘れないようにしてください😃

あなたのその苦しみはたくさんの人を救うのに、非常に役に立ちます😃🍀🍀😢😢💞💞

📖引用書籍の情報📖

【引用書籍】少年への性的虐待 : 男性被害者の心的外傷と精神分析治療  リチャード・B.ガートナー 編 宮地尚子, 井筒節, 岩崎直子, 堤敦朗, 村瀬健介 訳
 第8章 親密な関係 260-264ページ

【注】引用にあたり、読者の皆さんが理解し易いように言い回しをニュアンスを損なわない程度に変更している部分があります。ご了承の程よろしくお願いします🙇‍♀️

⬇️ガートナー先生の本は、2022年6月現在絶版😭です。
もし、図書館等で📖借りてみたいな〜😃とご希望の方のために、貸出可能な図書館が掲載されている国会図書館のリンクを貼りますね📚

ぜひご活用頂けますと嬉しい😃です💞

全国の男女共同参画センターや女性センターの図書室に貸出用として書籍の用意がある場合がございます。参考にしてみて下さい😃


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