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最愛の父が倒れた日


「お父さんが心筋梗塞で倒れた」


おかんからLINEが来た時のことをこれからも忘れることはないと思う。
私はその日職場で会議に追われていて、私用の携帯を一切見ていなかった。

通知が16件。16時過ぎに携帯を見たときに二度見した。いくらなんでもLINE来すぎやん、と。すると内容はすべておかんからの現状報告。

緊急事態だと気付くのにそう時間は必要なかった。

どうやら、週の半分を単身赴任で四国で過ごす父が地元(関西)の病院に心筋梗塞で運ばれたという。


私は今年で27歳になる。

おとん、おかんにとって私は一人っ子で、
今でも実家に住んでいるし、家族の仲は周りにも驚かれるほど良い。

おとんは昔から仕事人間だった。
社会人になって5年、そのすごさに気付かされることも多かった。

だがおとんは私が生まれてからずっと
「父親業」を怠ったことはなかった。


週に一度しかない休みは必ず遠くに遊びに連れて行ってくれたし、
どんなに疲れていても私や母に優しく、怒られたことがない。

唯一怒られたことがあるのは幼稚園で
おしっこばっかり漏らしていた私に本当に一度きりだった。

それもトイレで。

大人になってからもおとんと一緒にKISSやVanHalenのライブに行ったり、私の彼氏にも笑顔で会ってくれたし、母にもプレゼントやサプライズを怠らない人。私にとっておとんは紛れもなく「自慢の、そして最愛の人」だ。


、、、通知をみて、
上司にすぐに報告しタクシーで会社から病院へ向かった。

なぜか気持ちはそんなに焦っていなかった。

それよりも、おとんのことが大好きで
家族のことを第一に考えすぎるおかんの心情か心配だった。

渋滞で地下鉄で行ったほうが早かったな
と後悔するくらいには長くかかり、ようやく到着。

コロナで面会できないものの、当日の急患だった為、入れてもらえた。
おかんが病院の椅子に座っていた。
こっちに手を振っている。
私の顔を見るなり、おかんは泣いた。


「手術、終わったみたい。成功したって。
もう少し遅かったら危なかったって。

急性心筋梗塞やって。」
その時、安心でツーと、頬を涙が伝った。

どこかでおとんを失うかもしれないって不安だった自分に気付いた。

本当には病室に入ってはいけなかったけれど、おかんと潜入した。
おおよそ15秒くらいの時間しか顔を見れなかった。
ベッドに横たわっているおとん。
私の顔を見て、寝たまましんどそうな顔で
「グー!」と、親指をこっちに向けた。


やっぱりおとんはヒーローやなと思った。

失うかもしれないって思った自分を憎むほどに、
おとんからは「生きたい。俺は大丈夫や」というメッセージが見て取れた。

私は頷いて病室を出た。

今までよくドラマなどで見てきた
”医者からの説明”をおかんと受けた。
おかんは動揺していて、冷静に話が聞けてなさそうだった。
私はひたすら質問しながら、話を聞いた。

浅いけど、本当に医療従事者の方々はすごい。
毎日、”命”と向き合ってるんや。
心から「お願いします」と頭を下げたし、
「ありがとうございます」とおとんの命を助けてもらった感謝が口から出てきた。

今までの私は、会社では「大人」「先輩」であっても、家ではいつまでも「子供」「10歳」みたいな感じで、どこかでおとんとおかんを失うことも頼れなくなることも、考えたことがなかった。

でも、こんな状況ではじめて「おかんを支えないと」そう思った。

おとんはスマートなおしゃれ人生を心がけていて、
ファッションも持っている携帯も人と一味違う。
LINEもやってないし、
だれも使ってないようなおしゃれ海外のスマホを使っている。

だから、今まではおとんが単身赴任で四国に行ってる時も連絡を取ることはなかったのに入院生活で初めてメールを交わすようになった。


おかんもそれがすごく嬉しそうだった。

おとんには会えなかったけど毎日手紙をかいたし、
差し入れもおかんと持って行った。
自分がどれだけおとんに感謝してるのか、そこでやっとわかった気がした。

こんなに人に必要とされる人は死んだらあかんなぁ、漠然と思った。

「おかんを支えてくれてありがとう。
本間にあなたは人の痛みのわかる優しい子やな。
おとんが落ち着けばおかんも落ち着くし、
君のペースでコロナよけながら飛び回ってや。
俺が君くらいの歳の時、
自分のお父さんを責めたりきつく当たったりしたことを悔いるわ。
心の中で謝っておきます」

と。おとんがくれたメールやった。

私には会社員をやめて日本一周するという夢があって、
それを陰ながら応援してくれてるおとんの言葉やった。

そういえば私が大学を卒業した時も
名前入りのボールペンをくれて、

「いつでもどこにいてもお前がつらいときは
少し時間をくれたら飛んで迎えに行くからね」

と手紙をくれた。私が熱い女なのは”父譲り”だと、
このメールをみて思い知った。


リハビリをして、術後の様子をみて、
2週間で父は退院した。
先生が最初に告げたよりも2週間ほど早い退院となった。
父はいつもそうだ。

努力で人の想像を軽く超えていく。

今ならわかる。
シャカリキに働いて、
それでも家に帰ったら私をハグしてくれたおとん。
仕事が遅くなって会えない日は
小学生の私と交換日記してくれてたおとん。
どんなにしょうもない
長い話でも聞いてくれるおとん。
おかんを大切にするおとん。

それはただおとんが「そういう人間」なのではなく
”父”として努力してた。


家族とは、人間とは、病気とは、タイミングとは。
いろんなこと考えた末に、
やっぱりおとんは
私の最強のヒーローで尊敬する人

今のおとんの目標は「120歳まで生きること
ビックマウスに見えるけど
それでも「心筋梗塞の人がとるべき健康行動」を
調べまくって真剣に病気を向き合うこれまた努力家なおとん。

おとんは今年還暦になる。

人生の折り返し、まだまだ私の最愛の「おとん」であってほしいな。



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