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「先生」

#たすけてくれてありがとう  という言葉を見て、ふと思い出したことがあるので書きおこしてみる。

あんまり楽しい話じゃないけど。

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中学生の頃、吹奏楽部に所属していた。
所属していた、と言っても2年生の夏までだが。


中学校に入学する前から、吹奏楽部に入部したいと思っていた。理由はまぁ単純なもので、小さい時からピアノを習っていて音楽が好きだったから。あとは昔観た『スウィングガールズ』という映画の影響もある。かっこいいなぁって、憧れていた。

4月の仮入部期間を終え、私は吹奏楽部に入部した。
独特の先輩後輩関係であったり、楽器の練習であったり、それなりに何とか、活動していた。

そんな中、5月の末に祖父が亡くなった。法事に参加しなければならないが、遠方なので泊りがけで行く必要がある。当然学校も、そして部活も休まなければいけないということだ。

私はこの時「身内が亡くなる」という経験が初めてで、正直混乱していた。いろいろあって亡くなってから法事まではしばらく日が空いたので、その間は普段通り学校にも部活にも行っていた。担任や顧問には欠席の連絡をし、同じパートのリーダーである先輩にも報告した。「これこれこういう訳で休みます」と。
いつも「欠席はリーダーに伝えてね」と言われていたから、そうした。顧問と話をしているときに部長に会ったから、部長にも伝えた。

その後家族で祖父母の元へ行き、初めての法事を経験した。祖父母の家にはだいたい1週間弱滞在し、自宅へと帰った。慌ただしい1週間だった。

次の日学校に行き、1週間前と同じように授業を受けて、部活に向かったとき、同じパートの先輩に呼び止められた。なんだろうと思った。

「なんで一週間も無断欠席したの?」

訳が分からなかった。話を聞いていくと、彼女が言うことには「リーダーだけに報告して、何で私には何も言わずに休んでいるわけ?」ということだった。

「先生とリーダーには伝えたんですが……。」
「『私が』聞いてないって言ってるの。」

え、パート全員に言わないといけなかったの?と戸惑った。

この一件から、私への無視であったり悪口であったり、大事な連絡を伝えてもらえなくなったり、「そういう」ことが始まってしまった。私が生意気そうだから一度シメてやる、みたいなところに格好の「無断欠席」というネタが入ってきたような雰囲気も感じられたが、1年生の私にはどうしようもないので耐え忍ぶしかない。
反省してるなら態度で見せろ、部活辞めろ、みたいなのもあった。ひどい話だ。

※「生意気そう」と書いたが、別に反抗的な態度を取っていたわけでも失礼な言動をしたわけでもない、と思う。想像の話。

こういうことが続いたある日、クラスに教育実習生の先生がやってきた。彼女は英語の先生になるために実習に来ていて、この中学の卒業生で、中学時代は吹奏楽部だったらしい。明るく元気な先生で、クラスの皆ともすぐに打ち解けていた。

彼女(N先生とする)が来てから1週間くらい立った頃、私はいつものように部活終わりに先輩からの呼び出しを受け、階段の死角になっているところで話をしていた。

N先生と他の先生が談笑する声が近づいてきた。私たちの姿が見えたのか、他の先生から「早く帰りなさいよ」みたいなことを言われた。そのときN先生と私は目が合って、N先生は笑いかけてくれた。自分のクラスの生徒だと認識してくれていたのだろう。
そして私は帰路についた。

正直この頃になると学校に行くのが怖くなってきていた。学校に行ったら部活がある。部活に行ったらまた怖い思いをする。学校に行きたくない。食欲がなくなった。体重は5キロ落ちた。夜は眠れない。学校のことを考えるとお腹が痛くなる。行きたくない。行きたくない。でも行かなきゃ。
ここまでくると「様子がおかしい」と思った母が学校に電話をした。クレームではなく「こういうことがあったみたいなんですが」とやんわり。

ニュースや学園もののドラマで、学校内で起きたトラブルがもみ消されてしまうというのをよく見る。「そういった事実はありません」とかね。

私ももれなくそうなってしまうのだろうなぁと、何も状況が変わることはないだろうなぁと、半ば諦めていた。


次の日、担任に呼ばれた。「あ、あのことだな」と身構えて行った面談室で、こう言われた。

「N先生がね、見ていたんだって。」

私に笑いかけてくれたあの放課後から、「何かあったんじゃないか」と気にかけてくれていたらしい。そこで母からの電話があり、職員室で話題になったときにN先生が呼び出しの事実を証言してくれた、ということだった。そこで先生たちの中で話し合いが行われ、すぐに対応をとなったらしい。

N先生の証言もあってか、その後私は顧問や担任を交えて話し合いをし、先生たちからは「今後このようなことが起こらないように、これ以上酷くならないように、注意をして見ていきます」ということになった。

N先生は実習期間を終え、私たちとお別れした。

しばらく経ち、私への無視だとかそういうことは少しづつ減っていった。


冒頭で「2年生の夏まで」と書いたが、なぜ3年生までじゃないんだろう、と思うだろう。結論を言うと、私は退部したのである。

結局「無断欠席」絡みのアレコレは時間と共に無くなっていったが、その後も完全に「そういう」ことが無くなったわけではなかった。
私が生徒会に立候補したりだとか目立つようなことをしていたので、当たるネタに事欠かなかったからかもしれないなとも思うが、その後も何かにつけていろいろとあったので、もういいやと思って、辞めた。
その分生徒会の活動はめちゃくちゃ楽しかった。

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これを書くまで、吹奏楽部のこともN先生のことも、敢えて思い返すようなことはしてこなかったけれど、久しぶりに思い出すと懐かしいなぁと思った。

今思えばN先生は当時大学生で、今の私と変わらない年齢だったわけである。もしも今の自分が教育実習に行ったとして、自分自身も指導案を作ったり授業をしたりと忙しい中で生徒のことを気にかけ、職員室でいろんな先生がいる中でいち実習生が「私、見ました」と証言できるか、と思うと絶対にできないだろう。

N先生にとっては私は彼女の担当したクラスのうちの一人の生徒にすぎないが、N先生に助けられた一人の生徒が、中学を卒業し、高校を卒業し、大学へと進学し、N先生と同じ年齢になり、社会人になろうとしている。

私にとってN先生は紛れもなく「先生」であり恩人であった。

N先生が無事に英語の先生になったかどうかはわからない。今も先生を続けているのかも尚更わからない。N先生がどこでどんなことをしているのか、何もわからない。

ただ、できることならお礼が言いたい。

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