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みんな勝手に幸せになれ

今年の夏はもうなんだか色々ひどかった。特に8月は、かろうじて人の形をした物体というくらいのところまで落ちてしまった。心も身体もポンコツで、毎日うんざりしながら過ごしていた。原因を考えてみるとおそらくそれは一つではなくて、そんなものを探してしまうと数年前の出来事から昨日のあれこれまで、全部数珠繋ぎのようにぽんぽんと出てきてしまう。というわけで生きたというより気付いたら生き抜いていた。そんな8月を過ごした。こういう状態になった時は必ず昔とある人から、あなたは悩むことが趣味なんだねと言われたことを思い出す。悪趣味過ぎて笑えるが、笑える今日が来たならとりあえずわたしの勝ちだと思う。何に勝ったかは分からないけれど、笑える者は負けてはいないだろう。小さな勝ちを積み重ねながら、そんな日々を愛おしく思いたい。

落ちたついでに、とことん落ちてしまった日のことを話してみようと思う。ちょっと長くなってしまうけれど許して欲しい。

約三年前、もう全て終わりにしようと思った日があった。今までそういった思いを抱える日は何度もあったが、今回はかなり本気だった。親の離婚とわたしのメンタルの不調とが重なった。今年の夏と同じく、また人間の形をしたなにかとして生きていたある日のことだ。母と仕事のことで口論になった。理由はもうよく覚えていないけれど、泣きながら事務所を飛び出したことはよく覚えている。そしてそのままの勢いで、自宅のマンションとは逆方向の道にある農道へ向かった。以前夫と帰省した際に、彼のお母さんがプレゼントしてくれたボアジャケットの1番上までジッパーを上げて、その道を駆け抜けた。季節は冬だった。だから事務所を飛び出した夕方頃でもすでに辺りはうす暗く、そしてかなり寒かった。頬の涙が冷えてカピカピになっているのを感じながら、似たような言葉を何度も頭の中で復唱していた。もういい。やれるだけのことはやったしもういい。全部投げ出しても、もういいやろう。それは受け入れるというよりも、諦めに近い感情だった。でも全てを投げ出せるだけのお金も勇気も見当たらなくて、だからもう全てきれいさっぱり終わりにしようと思ったのだった。

農道を抜けて、とりあえず山を目指そうと思った。最悪凍死できると思ったからだった。眠るようにして死ねるのが凍死だと、何かの本で読んだ。ただ消化されていく日々の本当の終わりを眠るように迎えられたら、どんなに良いだろう。甘い考えだったが、そう思ったら足取りがどんどん軽くなっていった。早く進め、迷わず進めと、何かに背中を押されているかのようだった。耳に風の音が当たってビュウビュウ鳴く。気付けば街灯が灯り始めていたので、さてだいぶ歩いただろうと辺りを見渡したら、まだまだどこも見知った景色ばかりだった。地元を離れたことのないわたしにとって、家の周りに知らない道はほとんどない。だからか自分が今とても大きなことを決意して動いていると分かっていても、見慣れた景色に囲まれている安心感からか事の重大さが薄まって、それに集中し切れなかった。優しい日常が、はよ帰っておいでやと、両手を広げて待ち構えてくる。道に迷うにも迷えない。だからもう無理矢理迷うしかないと思った。分かれ道が出たら、曲がったことのない道を選び足を進めた。さすがに知らない景色が増えていく。ふとボアジャケットのポケットで、スマホが鳴っていることに気が付いた。母だったら出ないでおこうと思ったら夫で、遅いから連絡をしてきたようだった。色々あってしんどいから少し散歩してから帰る、心配しなくても大丈夫だとかなんとか言った気がする。今思うと、本当に悪い事をしたと思う。それでも止まりたくなかった。終わりを考えているというのに、わたしの外側はキンッキンに冷えているというのに、わたしの内側はマグマみたいに熱く興奮していた。勢いに任せて、ひたすら歩いた。

歩き始めてから一、二時間ほど経った頃、辺りは真っ暗闇になっていた。道と側溝の境目が見えなくなるほどの暗さで、自分がどこを向いているのかさえも分からなかった。とは言え目指していた山らしきものは見えなくなっていたので、山の近くにまでは来ていたのだと思う。家は数件建ち並んでいたが、人の気配は全くない。何一つ生活音が聞こえないとても静かな所だった。そんな暗い道の突き当たりに、真っ白な街灯が一つだけ灯っていた。闇を掻き分けるようにゆっくり進むと、その下にあるお地蔵さんだけがぼんやりと照らされていた。それ以外に見えるものはほとんど無い。お地蔵さんの近くを取り囲む石垣のような場所で、わたしはようやく腰をおろした。本当に静かだった。気付けば寒さも涙もどこかに飛んで行って、わたしは一人ダラダラと汗をかいていた。新陳代謝。眠るように死ねると思って来たのに、わたしの心臓は今も熱く鼓動を続けている。汗も止まることなく流れる。働かせ過ぎた太もも、両腕、もはや全身が震えている。全身めちゃくちゃ生きていた。いやこんなん絶対寝られへんわ。寝ても絶対すぐ起きてまうわと。灯りに照らされながらそんなことを考えたら少し笑えてきて、心が落ち着いた。ふとスマホの電源を入れてみると、家族からの連絡通知で画面がいっぱいになっていた。胸が苦しくなった。そして行きしなと同じ言葉が頭に浮かんだ。もういい。もういいわ。それは諦めではなく受け入れる方のもういいわ、だった。

来た道をゆっくり歩いて帰ると、マンションの前で夫が一人で辺りを見渡していた。そこでわたしは自分がしようと思っていたことを心から恥じた。枯れたと思っていた涙がまた流れ始めた。わたしはわたしのためだけには、生きられない。わたしはわたし自身のために動く心臓や、考え過ぎて痛くなる頭や体や心、悔しくて流れる涙、色々なものに振り回されるこの心と体を、めんどくさいものだと切り離したくなる日がある。でも誰かのために料理を作る両手、誰かの喜ぶ顔が見たくて歩き進める足、誰かのことを思って痛む心、そして夫の顔を見て出る涙なら不思議と少しだけ愛おしく思えたのだ。

生きることも死ぬことも、それぞれ逃げ出したくなるほどずっしりとした重みがある。だから生きなあかん死んだらあかんとは出来るだけ言いたくない。今回書いた話も、だから皆頑張って生きようみたいな綺麗事を伝えたい訳ではない。ただ人は一人では生きることも死ぬことも出来ない。それは時に足枷になるけれど、生きる理由にもなる。少なくともわたしにはそうだった。

この夏、わたしはあの冬の日と同じようなことをぼんやり考えた。それでもあの真っ暗闇な道を思い出すことで、生きていくことに諦めがつくようになった。諦めて、受け入れて、もういいわ、生きていようと。

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