家庭内の価値観を360度ひっくり返されたとき、子どもはどうなるのか。一つの例。

突然だけれど、
わたしは今でも母が、狂ったと思っている。

母本人は「今幸せだから!」とLINEしてくるけど、敢えて幸せだと宣言するのは胡散臭い。
その上、長年別居の夫が稼ぐ給料の過半を管理して、そのお金で暮らしている。
そのくせ、近所のおじいさんとの"恋ばな"を家で話す。

幸せといわれても、わたしの価値観では認められない。

そんなわたしは、母の「幸せ」にふりまわされてきた。

生まれてから、6歳ごろまではいい思い出がいくつかある。
絵本をたくさん読んでもらった。
母の自転車のうしろに乗って近所の池にいる鯉や亀にパンくずをやりにいった。
ふたりで海外旅行に行った。山登りで息を切らす母を、枝を振って応援した。
誕生日には、好き嫌いの多かったわたしの好物が並んだ。
うっすらした記憶と、写真に収められた幸せそうな笑顔がそこにはあった。
母にとってこの時代がハリボテでも、その時の"育児を頑張る母"としての笑顔はあったと思いたい。
わたしはきっと、それだけでよかった。子どもは母に母であることを求める。
でもきっと、母はそれだけでは苦しかったのだろうと思う。

6歳から10歳までを過ごした街に引っ越してから、母とわたしの関係は変わった。
家族で通う習いごとを始めた母は、思い通りにならないわたしを毎晩のようにベランダに出すようになった。習いごとの重要性はよくわからなくて、友達と会えてうれしかったわたしは、いつも母の思い通りにできなかった。
走り回った、話を聞いてなかった、大きな声を出した。そんな理由で外に出されたわたしは、いつもベランダの窓の外から、母と兄弟を眺めていた。

中学3年生までの母は、紅茶が好きで、ティファニーが好きで、普通のスーパーで買い物をする人だった。

高校生になったころ、母はホメオパシーという西洋医学にはまった。ホメオパシーは宗教的なものではないかもしれない。ただ、母ののめりこみかたは、まさしく”はまった”と表現するのが一番しっくりくる様子だった。
しばらくすると、ホメオパシーの団体の人ともめたようで活動には出掛けなくなった。

それと同時に、母はわたしが6歳のころから続けていた習いごとをやめた。
母に褒められたくて、その習いごとのほぼ頂点まで上り詰めていたわたしに母は言った。
「まだそんなことしとるん」。
そしてこうも言った。
「あそこのひとたちは幸せじゃないんよ」「ママはちがうから」。

そして、つぎは断捨離にはまった。
学校から帰ると、洗濯機が捨てられていた。帰宅する度にものがなくなった。
小さい頃に母からもらったアクセサリーも、「もとはママのものやから」「置いとくと心が浄化されん」と捨てられた。
子どもの頃の写真も処分された。

いつのまにか食卓には、自然食品のお店で買ったものしか並ばなくなった。

冷蔵庫もなくなった。

冷蔵庫がなくなり、洗濯機がなくなった日、もう無理だと思った。

単身赴任中の父に電話をかけ、まずは母の行動をどうにかしてほしいと頼んだ。
父の返事は「まあなんや、なんとかやれ」「あいつはどうにもできん」だった。
絶望したわたしは父にキレた。
ひとりぐらしの家を借りるための名義と家賃を貸せと迫った。
反抗期以外、父にはたいてい優しく接していたわたしが、本気で怒ったことにたじろいだ父はお金を振り込んでくれた。

こうしてわたしは、母の「幸せ」から逃げた。

母から強制される内容が急に大きく変わったことにおおきな戸惑いを覚えたのは、私の特性かもしれない。
いまでもささいな予定変更は大丈夫だけど、いまでも、概念的な変化が苦手だ。
それから、じぶん以外の人が変化するのがとても苦手だ。

でも、もし特性だったとしても、それを完全に無視された事実に変わりはない。

わたしは、母のように、ある日突然、じぶんが狂うのではないかと、怯えている。

じぶんに近い人ほど、いつもどおりの人間関係が崩れるのがこわい。
過去の自分が母に優しくしなくなったように、気がつかないうちにじぶんが狂ったから周りからの反応が変わったのかと怖くなる。
気が狂いそうになる。

同時に、周りの人もある日突然、考えが変わることがあり得ると不安になる。
社会的には取りつくろっても、身近な家族に対しては特にそうなるのではないかと思ってしまう。

親のダブルスタンダードに苦しんだ人はわたしだけじゃないと思う。
子どもにとって、一貫した反応が帰ってないことは強い不安に繋がる。

この経験が、おなじと思ってくれる人に届いてくれたらうれしい。
不安を手放せるように訓練のしかたを考えている最中だ。
そのためのアイデアはたくさん貯めてある。あとは発信だけ。がんばろう。


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