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天罰隠ぺい薬害 情報 幸せ捏造 エセ団結 目に頼ると騙される 毒親 死は善の発想の原因

1、天罰隠ぺい薬害
今まで、サタン側の薬害偽装を上手く表現する言葉を編み出せなかったから、薬害とひとくくりにして説明していたけど、これからは「天罰隠ぺい薬害」と書く事にする。

サタン側の薬害偽装とは次のようなモノ。
疫病は、天の主が背教者に怒って下す天罰だ。
サタン側は、人々が疫病の天罰を神によるモノだと認識しないように、薬害やケムトレイルをばら撒いて、疫病が神によるモノだと気付かないように誤魔化す。
神の天罰を妙な液体で蹴散らすのは、神に対する冒涜である。
予防接種で神に対する冒涜をするから、さらに神が怒って疫病を下すために、予防接種をした人を疫病にする。
これが予防接種の薬害の後遺症だと間違えてしまう。
接種者が薬害で死んだように取り違える人が多いけど、実際は神の天罰で疫病になっているだけである。

ただし、サタン側が虐殺をしたくて毒物を混ぜている場合もあるから、100%天罰という訳でもない。毒が入っていないと、毒殺を疑われなくなるから、毒を予防接種に混入していると見せかけている。
毒が入っているかどうかは確定していない。サンプルには毒を入れておくかもしれないけど。ある予防接種には毒を入れて、別のモノには入れていないかもしれない。要するに、よく判らないという事だ。
まとめると、サタン側は、神の存在を人々に気付かれたくないから、神の天罰の疫病を、サタン側が毒物をばら撒いて虐殺したとすり替えるのが「天罰隠ぺい薬害」なのである。「天罰隠ぺい虐殺」とも言える。

サタン側の虐殺があると言っている人間は、予防接種の反対派の事だけど、こいつらもサタン側の隠ぺい工作の片棒を担いでいる。知っていて加担しているか、知らなくて加担しているか。
知って殺しているのと、知らずに殺しているぐらいの違いしかない。

予防接種で神の天罰を蹴散らそうとして神を冒涜しても、反省したら、疫病の天罰を取りやめてくれるかもしれない。
旧約聖書でも、神が怒りで人々を打ち殺しても、途中で慈しみの心で取りやめてくれる。
神に立ち帰れば助かる。

疫病だけが天罰ではない。
地震・戦争・飢饉なども神の天罰である。

地震を誤魔化す方法は、自然地震や人工地震で人々を二分して、天罰地震に気付かないように洗脳する。
天罰隠ぺい人工地震・天罰隠ぺい自然地震とでも呼んだ方がいいだろう。
昔は、ナマズが起こしているとか言って誤魔化していた。「天罰隠ぺいナマズ地震」とでも言った方がいいか。

戦争も天罰であり、出エジプトの時に神がファラオの心をかたくなにしたように発生させる。最近の戦争も、かたくなにされた結果だから、誤魔化すために領土欲とか経済利権が目的だとすり替える。
天罰隠ぺい戦争と言える。

飢饉も天罰だけど、サタン側がワザと作付けや流通を妨害していると見せかける。
天罰隠ぺい飢饉と言える。

2、情報
日本に入ってくる情報を妄信してはいけない。
サタン側が都合よく捻じ曲げて、日本人を地獄へ道連れにするための洗脳をするに決まっている。

3、幸せ自己採点
サタン側は、幸福感をサタン側に都合よく捏造して、それを人々に洗脳して、人々が本当の幸せを追求しないように仕向ける。
神であるイエス・キリストはファリサイ派を「あなた方偽善者は不幸だ」と叱った。
神に逆らうのは不幸になるのは確定している。
サタン側の用意した幸福感は偽物だから、そんなものを幸福だと思っていると不幸になって苦しむし、死後は地獄へ落ちて焼かれ続けるか魂を消される。

4、エセ団結
サタン側は、背教者との妥協を強要する。
背教者と団結させて、地獄へ道連れにするのが目的である。

氷河期世代で勝手に団結させられるのが迷惑だ。
もし、景気が良くても、俺は虚弱体質だから、どうせまともなところへ就職できない。
自分より強い人間に助けろと要求する前に、自分より弱い人間を助けてみたらどうだろうか。
俺が就職難に対して妙に冷めていたのは、虚弱体質でシワ寄せされるのが判っていたからだろう。
小学生の時から、何となく体が弱いのは自覚できていた。毒親は、大人になれば治ると言って、責任逃れで問題を先送りにしたけど。

サタン側は世代ごとで分断統治をしているのだから、世代でこだわると搾取されるだけだから、世代で考えるのは止めた方がいい。
神の信者か非信者かという違いだけで区別した方がいい。

5、目に頼ると騙される
見えないモノを信じる者は、見えるモノに惑わされない。

イエスはトマスに言われた。「わたしを見たから信じたのか。見ないのに信じる人は、幸いである。」

ヨハネ福音書 20章29節 新共同訳

神は見なくても信じる者が幸いと言った。
見えないモノを信じる能力があれば、見えるモノに惑わされないから、不幸にならないため、幸せになれる。
サタン側は、見えるモノしか信じない奴らに対して、捏造で騙しに掛かる。

知能に頼ると騙されるけど、それ以上に見えるモノしか信じない性根の方が騙される原因になる。

見えない弱者にシワ寄せすると、自分が見えないところからシワ寄せされる。
見えないモノを信じないのだから、見えないところから攻撃される。

見えるモノしか信じないと、見える強者に脅迫されると簡単に屈する。
見えない絶対神を頼らないから、見える強者に屈する。
見えない絶対神を頼るなら、見える強者など何の力もないマヤカシだと判るから屈しない。
この世の強者など、自分の心の弱さが作り出す虚像でしかない。偶像崇拝をしていると、何の力もない偶像に力があると思い込んでしまう。
見えないモノを信じないと、自分の心も見えないから、自分の心の弱さも見えなくて、自分の心の弱さが生み出した虚構に屈してしまう。

神は人々をサタンの罠から何万回も何億回も助け続けているけど、見えないモノを信じない人間は神の助けを認識できない。
認識できる人は災いから救われているけど、神を信じないで認識できない人は助からない。
神の助けを認識できないから、軽挙妄動して、予防接種みたいに自分から薬害に遭いに行く。
俺は動物愛護だったから動物実験の成果は論外だから注射しなかった。神が動物愛護を遣わして守ってくれたから神に感謝している。

6、毒親
何らかの点で毒親は、どの点から見ても毒親である。
俺の毒親は、少年野球をやりたいと言ったら激怒した。怒ってかなり非協力的だった。やめる時には何の文句も言わなかったかどうか。何か道具がもったいないとか言っていたけど、じゃあやっぱり続けると言ったらやっぱり激怒していただろう。
何をやっても文句を言うのが毒親である。
毒親は、社会に接点がなかったから、俺も社会に接点がなくても何とも思わなかった。ある意味では、毒親のおかげでサタン社会に取り込まれずに済んだ。しかし、いくら役に立っても、天の主を冒涜するところは毒親だ。
何らかの点で毒親になる人間は、あらゆる点でも毒親になる。
自己中は、どんな場面でも自己中を発揮する。

7、死は善の発想の原因
死んだ人を悪く言わないのはともかく、死んだ人間を政治利用するのは完全に悪行である。
死んだ者に対して神は次のように言っている。

マタイによる福音書 8:22
イエスは言われた。「わたしに従いなさい。死んでいる者たちに、自分たちの死者を葬らせなさい。」
ルカによる福音書 9:60
イエスは言われた。「死んでいる者たちに、自分たちの死者を葬らせなさい。あなたは行って、神の国を言い広めなさい。」

死んだ人間を英霊として政治利用するのは、死んでいるも同然である。
聖書で死は、地獄へ落ちて焼かれ続けるか魂を消される末路を指す。

死人の人生を考察するのがいけない事なんて言うのは、何か死人を特別視している感じがするから、気を付けなければならない。
死人なんか、所詮はタダの死体である。
神であるイエス・キリストの遺体は復活に必要だから弔うけど、それ以外の人間の死体はタダの肉でしかない。

非信者の「死が善」という発想は、どこから来るのだろうか。
やはり、確固たる信念がないから、死んでからでしか評価できないのだろう。これが死は善と思い違いをする原因だ。
芸術作品を評価するのに芸術家が死んでから値上がりするのと似たようなモノだろうか。
神の信者なら、神に立ち帰る者だけが正しくて、神に立ち帰らない者は正しくないと確信しているから、死のうが死ぬまいが評価は変わらない。
神の信者は、人が死んだから正しいという発想にならない。
神の信者は、人が死んでから動くなんて考え方はしない。
非信者は死に囚われていて、神の信者は死に囚われない。

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