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社会に貢献したかった夢が叶ってたことすら忘れていた【仕事】

この間夢が叶ってしまったとnoteで嘆いていたけど、そういえば今の会社に勤めてからもう何度も夢が叶っていたことを思い出した。

夢叶ったくせにメソメソしてた記事(根暗?慎重すぎ?だあ)↓


高校生の頃から叶えたかった規模の大きい夢は「社会のマイノリティを置いていかない取り組みに関わる」だった。

兄が事故の後遺症で片耳難聴になったこと。
好きになった先生が手話を使う人で世界を広げてくれたこと。
実の父が人生を諦めてしまった人で家庭が崩壊したこと。
特待生枠と奨学金で大学に行ったけど学問にお金がつきまとっていたこと。
前に住んでいた家の近くに児童相談所があって、泣きながら出てくる人をよく見かけていたこと。
視覚障がいの人がプラットホームでどっちに進めばいいか困っていても助けてる人がいないこと。
元気だった人が死にたいと言った2日に死んでしまったこと。
友達が女性だからってだけでセクハラをされて会社を辞めざるをえなかったこと。


いまひとりで生活している中ではなにも影響を与えてないんだけど、小さな「生きづらさ」に触れた記憶がわりと残っている。

なんとかできたら良いなとはずっと思っていた。
べつに「救ってあげたい!」とかいうほどの美しさじゃなくて、見過ごすのは居心地が悪いみたいな。

競争させられる社会なら一度、フラットな状態になってもらってからヨーイドンで競争すればいいけど、マイナスの人を0にするのってこんなにうまく行ってないんだ〜。って。

おぎゃーって生まれた瞬間の命の重さは一緒なのに、そこから先の環境で格差ができていくのか〜。って。

熱量を持って飛び込みたい現場はなかったけど(教育、福祉などは特に現場で変えられることはミクロだと思ってしまった)、世の中の空気みたいなものを変えたいって思った。


そんな願いがいつの間にか何回も叶っていたことを思い出した。

そういえば、仕事で携わってきたあのサイトもこのサイトも公益を追求してるじゃないか!と。

仕事をしていると目の前のデザインや関わってる企画が誰に届くのかをすぐに忘れてしまう。
新規の立ち上げとかコンペ提案以外遠くを見渡すことがなくなっちゃうし、担当者と制作者っていう上流で話す機会しかないけど。


あのサイトは子どもの成長の後押しに関わってるし、あのサイトは心安らぐ瞬間を作ることに貢献している。そんなことを思い出せるサイトがいくつもあることに気づいた。
「求めてくれる人に貢献できているか」はけっこう簡単にアナリティクスで見えるしね。

去年作った医療福祉系のサイトが世に出てる

去年の今ごろ、とある医療福祉系のサイトに携わった。

特定のキーワードで検索をかけた時に、検索1位にあがってて、悩んでるユーザーがこのサイトに立ち寄ってくれて、正しい情報にたどり着いて、少し安心して、そのあと自分の生きやすさに適した対応を選んでくれたらいい。
そんな気持ちで設計をした。

迷わない導線、安心できるカラーリング、長く読んでても疲れないフォント、少しだけキャッチーにしつつも外さないネーミング。

会社で意見をたくさん出して、夜中まで考えて、プランナーさんにも手伝ってもらって、色々な人の手を借りて結い上げたサイトだ。


みんなで社会に目を向けてたあの空間がすごく好きだった。


そんなサイト、さっきキーワードで検索かけたらちゃんと1位に上がってて泣いてしまった。
サイト内には、記事に♡とかいいね!みたいなリアクションがつけられるボタンがあるんだけど、どの記事にもリアクションがちゃんとたくさんついてた………(T_T)


ちゃんと、届いてた。

「タイトルで予想した内容だった?足りない情報はなかった?不安や心配は消えた?これから大丈夫そう?」
ってめんどくさい彼女みたいに質問しに行きたくもなったけど、なによりも見つけてくれてありがとうって言いたくなった。(KVに「見つけてくれてありがとう!!」ってベタ打ちテキストの画像作ってはめたいくらいには)

もしかしたらふだん何気なく見ているこのサイトもあのサイトも同じくらい制作者が念を込めてるのかもしれない。
 

なんて納期に殺されてる思考回路は、そんなことを夜中についつい思ってしまう。つくる人の熱量を常に求めている。
制作する人のめんどくさいプライドとかこだわりを聞くのが大好きだ。


とりあえず寝ようね、健やかな睡眠が、健やかな制作につながる。(深夜2時のポエム)

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